20-67.応報
「ユミラさん」
高笑いを続けていたユミラが、ギロリと仁を睨めつける。仁は愉悦と憎悪の入り混じった視線を受け止め、凪いだ湖のような口調で続ける。
「もう終わりにしましょう。あなたが俺を恨む気持ちは理解できますが、それを理由に玲奈ちゃんたちやコーディーを巻き込むのは看過できません」
「だったらどうする! お前の女共が泣き叫びながら化け物に喰われても、私を殺すのか!」
仁は小さく首を横に振る。研究所をドラゴンに潰されたはずの合成獣がどうして新たに生まれたのか、どこか別の場所にも設備が残されていたのか、それにも魔王妃が絡んでいるのか、様々な疑問はあるが、今は置いておく。ただ一つ、仁には確信をもって言えることがあった。
「玲奈ちゃんたちは負けませんよ」
そう。玲奈たちは強い。エルヴィナや魔王妃の未知の眷属の合成獣が相手だろうと、玲奈とミル、ロゼッタたちならば何とかしてしまえると仁は信じていた。もちろん案じる気持ちが全くないとは言わないが、仁に心配されるだけの存在ではないと、彼女らは自らの手で示してきた。
直接的な戦いという意味では力を持たないリリーも、これまで幾度となく仁や玲奈たちを支え、今もダンジョンマスターとしての街の人たちを守るために戦っているのだ。
そんな彼女たちを理由に仁が戦うことを放棄すれば、それは裏切りでしかない。
仁が一歩を踏み出す。
「いいでしょう。お前がそこまで我が身が可愛いと言うのなら、まずは私の力でお前を跪かせるまで! 後で泣き喚いても許さない。這いつくばったお前の目の前で、お前の見捨てた憐れな女共の尊厳を踏みにじり、惨たらしく殺してやる……!」
ユミラが憎悪の炎を燃やし、捲し立てる口からは唾が飛び散った。仁が構わず歩を進めると、ユミラはドレスの裾を捲り上げ、太腿のベルトに装着していた指揮棒のような杖を取り出す。ユミラが右手を掲げ、杖の先端を仁に向けた。
「水蛇!」
木製の杖の先端に取り付けられた小さい宝石が青く輝き、6匹の水の蛇が飛び出した。予期していなかったユミラの魔法に仁は身構えるが、螺旋を描いて一塊で飛んでいた蛇たちが四方八方に別れ、仁を取り囲むように地面に喰いついた。
その直後、仁の周囲を覆うように円柱の外周状の水流が立ち昇る。仁の身長を一気に超えて上昇した水柱が天幕の天井をぶち破った。円柱の最上部で円周部分の水流が中央に集まり、ドーナツの中心部分を埋めるように急下降を開始する。
「水の牢獄の中で、押し潰されるがいい!」
ユミラの高笑いを聞きながら仁は頭上を見上げ、迫り来る水柱を眺めて口をぽっかりと開けた。
おそらく、水蛇と水の牢獄は別物だ。大して魔法を使うことができないはずのユミラが無詠唱で放ったことも驚いたが、それ以上に、一つの魔法をきっかけとして別の魔法を発動する技術を、仁は知らない。いや、知っている。知っていた。
遠隔魔法を得意とする仁には必要のない技術だったが、あらかじめ魔道具の罠を設置し、そこに魔法を撃ち込むことで疑似的に魔力を流し込んで罠を起動する、ある魔人族とエルフ族のハーフの女性の得意とした戦法の一つだ。
ユミラの中に、やはりアナスタシアがいるのか。そんな疑問が仁の頭に浮かぶが、それにしてはユミラの言動とあまりに噛み合わない。水流が迫る。
「魔力障壁」
仁の周囲に生まれた半透明の球体が水の柱をいとも容易く破壊し、足元から破裂音が聞こえた。
「は……?」
仁の頭上から迫っていた水流が障壁に阻まれて消失する。いつの間にか、高笑いは消えていた。
「なぜ……なぜ、水に押し潰されて這いつくばっていない……?」
ユミラは「なぜ、どうして」と繰り返す。仁は苦渋の表情で更に一歩を踏み出した。
「ユミラさん。こんなことを言うとあなたは怒るでしょうけど、あなたには同情しています。俺だって、もし玲奈ちゃんやみんなが殺されたら、殺した相手を殺しても殺し足りないくらい恨むと思います。それが例え戦争中の互いの命をかけたやりとりの結果だったとしても」
仁がまた一歩、ユミラに近付く。
「だから、俺はあなたに命を狙われたからという理由だけであなたを殺すようなことはしたくなかった。もしあなたが俺を恨むだけに留めて皆に手を出すようなことをしなければ、今でも俺はあなたにコーディーの元でやり直してほしいと思っていたかもしれない」
「死ね、死ね死ね!」
ユミラが呪詛の言葉を吐き出しながら狂ったように水の蛇を放ち続けるが、そのすべては魔力障壁に阻まれて徒労に終わる。非戦闘員だったはずのユミラにどうしてそれだけの魔力があるのかわからないが、古の魔王の対魔法の障壁はドラゴンの吐息ですら防ぎきるのだから、余程の攻撃でなければ通じるはずがない。
「なぜ死なない! あのお方にもらった力で、私はお前を――水大蛇!」
水蛇6匹分の魔力が1匹の大蛇を生み出した。荒ぶる水の大蛇が宙を這って仁に襲い掛かるが、結果は変わらない。
「この、化け物が……!」
ユミラが再びスカートを捲り上げ、太腿のベルトから今度はナイフを取り出した。どうやら魔王妃から何かしらの力を授かったらしいユミラのナイフ。それがただのナイフなのか何か特殊な力を持つものなのか、仁は魔眼を発動させる。
「死ねぇええ!!」
ユミラが投擲の構えを見せたその瞬間、仁は膨大な魔力の接近を感知した。天幕の側面を破った魔力の光線が魔力障壁とぶつかり、激しい光の粒子を散らす。突如仁を狙って放たれた二度目の光線。その射線の上に、ユミラがいた。
「ユミラさん!」
光が収束すると、胸に拳大の穴を開けたユミラがナイフを取り落とし、そのまま執務用の長机に倒れ込む。胸の大穴から、クリスタルのような何かが落ちた。
「くそっ!」
今まさにユミラと命のやり取りをしていた事実をかなぐり捨て、仁はユミラに駆け寄った。その直後、ビームが天幕を薙ぎ払い、帝国の陣の大半を更地に変えた。仁はユミラを障壁の中に抱え込むが、その行動は二度と動くことのない体を守る以外の意味をなしていなかった。
ユミラの瞳に宿っていた憎しみの炎は既に消え失せ、代わりに空虚な闇が広がっていた。
ユミラが死んだ。その事実を噛みしめるだけの時間が仁には許されない。吹き荒れる暴風のような濃密な魔力が辺りに満ちていた。仁はその魔力に憎悪の色を見た。
荒れ狂う魔力の中、人の形をした何かが近付いてくる。すらりとした脚と、腰の括れに胸の豊かな膨らみ。頭頂部からは長い髪のようなものが生えている。一見すると全裸の女性にも見える“それ”は、全身が銀色で、金属質の光沢を放っていた。
“憑依用魔導人形”
魔眼によって判明した“それ”の正体に、仁は戦慄した。




