20-49.救出作戦
仁の見下ろす先で、魔王妃が玲奈の声で嬌声を上げた。仁は海老反りのようになる玲奈の体をやんわりと押し返しながら、左の手のひらからゆっくりと魔力を注ぎ続ける。
先ほど、自身のものとは違う魔力の塊がするりと手を通り抜けていった感触から、レイナの魂が玲奈の体へと入っていったのだと知った。
後はレイナが無事アナスタシアの魂を体の外に排出してくれることを祈ることになるが、仁はそれを邪魔しないように気を付けながら、慎重に玲奈の魂の居場所を探り続ける。もしかすると余計なことをしているだけかもしれないが、すぐそこに玲奈がいると思えば、ただ待つことなどできはしなかった。
「ジーク……やっと、一つに……!」
感極まったかのような声を聞き流し、仁は魔力の操作に集中する。仁は目を閉じ、ひたすら玲奈を想う。脳裏に、これまでの玲奈との思い出が浮かんでは消えていく。嬉しかっったことも悲しかったことも、楽しかったことも辛かったことも、全部が全部、大切な思い出だった。
ふと、玲奈を感じた気がした。
「玲奈ちゃん……!」
思わず口から想いが溢れ、仁はハッと息を呑む。魔王妃に聞かれなかったかと恐る恐る瞼を開けて窺い見ると、アナスタシアは恍惚とした表情で頬を染めていた。仁はホッと胸を撫で下ろす。
再び目を閉じて意識を集中すると、仁は自身の魔力の先に玲奈の存在を感じた。仁はそれが玲奈の魂だと確信し、自身の魔力をそっと触れさせる。レイナとの邂逅のおかげで魂を探り出すことには成功した仁だったが、下手に刺激を与えて作戦に支障をきたしたり、万が一にも玲奈の魂に何らかの悪影響を与えたりしてはならないと、仁はすぐに玲奈の魂から離れようとする。玲奈が確かに無事でいると確認できただけで十分だと、仁は自分を納得させた。
しかし、そんな仁の魔力の先端を、玲奈が掴んで離さない。仁の全身を、まるで玲奈に抱きしめられているかのような多幸感が駆け巡った。
今度は心の中で、仁は玲奈の名を呼んだ。聞こえるはずがないのに、それに答えるかのように、仁の魔力を掴む玲奈の力が強くなったように感じた。ダメだダメだと思いながらも、仁の意志では止められないまま、自然と仁の魔力が玲奈の魂を包み込む。
玲奈がいる。その想いだけが仁のすべてを満たしていた。玲奈を抱きしめ、玲奈に抱きしめられる。仁はそんな姿を幻視した。
しかし、直後に聞こえたアナスタシアの呻き声が、仁を現実へと引き戻す。まだ作戦は終わっていない。
「だ、れ、だ……」
仁が目を開けると、アナスタシアが先ほどまでと打って変わって苦悶の表情を浮かべていた。アナスタシアがベッドの白いシーツを強く掴み、苛立ったように身を捩る。
仁は喉を鳴らす。ついにレイナがアナスタシアの魂と接触したのだと察し、気を引き締める。とはいえ、今の仁にできることはそう多くはなかった。仁は玲奈と繋がったままの魔力で大切な人の魂を覆い、何が起こっても今度こそ守って見せると心に誓った。
「ま、さ、か……!」
アナスタシアの器たる玲奈の体が暴れ出し、仁は左手を玲奈の下腹部に載せたまま、太ももの上に跨った。前傾姿勢を取り、右手で玲奈の肩を抑え込む。既に魔力を注ぐ意味はないかもしれないが、仁はもう玲奈と離れるのは嫌だと決して手を離さない。
「ジーク……!」
切なさを感じさせるアナスタシアの叫びに、仁の胸がチクリと痛む。かつてジークハイドだった魂の疼きを感じたが、仁は無理やり抑え込み、頭と心の中を玲奈だけで満たしていく。本来であればアナスタシアはとっくの昔に滅んでいるはずなのだと、他者と交わり過ぎて自我を保てなくなっているアナスタシアは輪廻の輪に帰ることこそ幸せなのだと、仁は自身に言い聞かせた。
「ジー、ク……だま、し……!」
途切れ途切れに聞こえるアナスタシアの声から切なさが姿を消し、憎しみに似た感情が滲み出る。
仁は暴れるアナスタシアから右手を離す。すぐに跳ね起きそうになる玲奈の左肩を右肘でつき、そのまま肘より先で玲奈の鎖骨の辺りを抑え込む。ベッドのスプリングが軋み、衝撃を受け止めた。
「ジーク……!」
左手を玲奈の下腹部に置いたまま厳しい体勢で動きを封じる仁に、アナスタシアが怨嗟の声を上げる。カッと見開かれた目は血走り、仁の大好きな顔が憎しみに歪んでいた。
「ジーク、ジークジークジークジーク……!」
すぐ下の玲奈の唇の間から唾が飛び出し、仁の腕や顔を汚した。仁は噛みつかんばかりのアナスタシアの顎の下に腕を僅かに潜り込ませ、首を絞めてしまわないように気を付けながら押し止める。アナスタシアは理性なく暴れるだけで、玲奈の体を使って魔法を放ってこないのが唯一の救いだった。
「ジーク!!!!」
鬼の形相をしたアナスタシアが一際大きく目を見開く。それと同時にアナスタシアの魔力が膨れ上がった。仁は拘束しきれていない玲奈の両手の手のひらが自身に向くのではないかと警戒するが、仁の予想は外れ、薄暗いベッドの脇で青白い光が立ち昇った。その下には光の魔法陣。
眷属召喚。仁がそう判断したときには、既に見覚えのある魔物の姿が露わになっていた。部屋の高さに合わせたのか、鎌のような爪を持つ既知の魔物は前傾姿勢をとっていた。
「くそっ!」
仁が鋭く悪態を吐く。アナスタシアはレイナに任せ、玲奈との繋がりを絶って刈り取り蜥蜴と戦うべきかと、仁は羽毛に覆われた魔物の頭頂を見据えた。しかし、結果的にはそうはならなかった。
玲奈の体から魔力に似た何かが弾き出されたような気配を感じた直後、突然、仁の下で玲奈の体が抵抗を止めて、ぐったりと力なく四肢をベッドに投げ出し、あれほど血走っていた目も瞼が覆い隠していた。
思わず灰色の魔物から目を逸らした仁は、その様子を見てレイナによる作戦の成功を予感した。仁はすぐさま体を起こし、玲奈の体ごと包むように魔力障壁を発動させる。何かがバリアに当たって飛んでいったような気がした。
眠ったままの玲奈を想いながら、仁は障壁の向こうへと魔力を伸ばし、いつでも遠隔魔法を放てるように身構える。魔王妃の魂がどのくらいの時間で消滅するのかわからないが、その間、仁は動けない玲奈を魔力障壁の内側に入れたまま戦わなければならないのだ。
仁は短い時間で幾通りも戦い方を思い描きながら、できることならこのまま立ち去ってほしいと念じた。すると、玲奈を見つめていた刈り取り蜥蜴のつぶらな瞳が、キョロキョロと彷徨った。直後、魔王妃の眷属が天井すれすれまで体を起こす。はっきりとはわからないが、長い両手が何か荷物を抱き抱えているように見えた。
仁が疑問に思う間もなく、刈り取り蜥蜴は90度向きを変えて口から渦巻く突風を放つ。間髪入れず、眷属は壁にできたひびに向かって頭突きを敢行し、壁を破壊してそのまま飛び降りた。
魔力で強化されているはずの外壁を破ったことには驚くが、相当な高さから飛び降りることになった刈り取り蜥蜴が墜死するとは思えず、仁は城の外で警戒している皆の無事を祈った。まさにその瞬間。
仁の左手の下で、玲奈の存在が膨らんだ。
決して離さないと包み込んでいた玲奈の魂が膨れ上がり、仁の魔力を優しく引きはがす。その勢いに負けて玲奈の体内に魔力を流し込むのを止めた仁に悲壮感はまったくなく、左の手のひらに温かな玲奈の体温を感じながら、心臓の高鳴りを感じていた。
大きな期待と僅かな不安が、仁の心を占めていく。
「玲奈ちゃん……」
仁が大切な人の名を呼ぶと、玲奈の瞼がピクリと動いた。ゆっくりと、永遠にも感じる時間をかけて玲奈の瞼が持ち上がっていく。仁が瞬きを忘れて見つめる中、完全に開いた玲奈の瞼がパチパチと瞬いた。
「玲奈、ちゃん……?」
「仁、くん……?」
掠れ声に、仁の大好きな声が重なった。




