20-40.存在
仁がレイナを見つめる。もし本当にレイナが魔王妃の魂を追い出してくれるというのであれば、仁にとってこれ以上に喜ばしいことはない。玲奈の体からどうやって魔王妃を追い払うかという、玲奈救出作戦においてもっとも大きな懸念がきれいさっぱり消えてなくなるということなのだ。しかし。
(それはすごく助かるけど……)
仁は眉間に皺を寄せる。魔王妃の魂を追い出した後、レイナの魂はどうなってしまうのか。こうして魂で触れ合ったことで、レイナが魔王妃に代わり、これ幸いと玲奈の体を支配するようなことはないと自信を持って言えるが、レイナの魂は玲奈の中で生き続けるのか、それとも。
「大丈夫だよ。お姉ちゃんはレナちゃんとアナスタシアを間違えたりしないよ」
考え込んでしまった仁を見たレイナが素っ頓狂なことを言い出した。仁はゆっくり首を左右に振り、「そんなにドジっ子じゃないよ!」と少しだけ唇を尖らせて抗議しているレイナに真剣な視線を向けた。
(いや、そうじゃなくて。というか、俺の考えって伝わっちゃっているんだよね?)
仁がツッコミを入れると、レイナは、ハッとした表情を浮かべる。その輪郭のぼやけた顔には、明らかに“しまった”と書いてあった。
「と、とにかく、ジンくんは何にも心配する必要ないから!」
(誤魔化すっていうことは、やっぱり俺が考えている通りなんだね……)
仁は、レイナが自らを犠牲にするつもりだと悟る。ようやく魂喰らいの魔剣から解放されたレイナは再びジークハイドの魂と魔力に巻き込まれる形で仁の中に至り、決して自由と言えないまでも、こうして生きているのだ。
体のない状態を“生きている”と言っていいかは議論の分かれるところかもしれないが、魂同士で触れ合え、語り合えるのであれば、仁にとっては生きているも同然だった。
いくら玲奈を助けるためとはいえ、仁にはそんなレイナの自己犠牲を見て見ぬ振りなどできはしなかった。
(魔王妃は俺が何とかするから、レイナさんはずっと俺の中にいればいいよ)
当初の計画通りに仁が魔王妃の魂を探り当てて追い出せば、レイナの犠牲は必要ない。仁はそう自分の意志を伝えるが、レイナは静かに首を横に振った。
「ジンくんの気持ちは嬉しいけど、どっちにしても私はここに居続けることはできないの」
(どうして?)
「ジンくん。最近、お腹の辺りに違和感があったでしょう?」
仁が頷くと、レイナは優しい声で続ける。
「それ、私が原因なんだ。人の体はね、二人分の魂を受け入れられるようにはできていないんだよ」
一つの体に一つの魂。それが人の原則であり、今の状況はイレギュラーであるという。ジークハイドの魂は仁の魂と元々一つだったため問題は起こらなかったが、レイナの魂は話が別だ。通常、他者の魂が入り込むことなど早々なく、推測ではあるが、魂の許容量を超えて存在する異物に対する仁の体の拒否反応が違和感の正体だとレイナは言う。
(でも魔王妃は……)
「あのね、ジンくん。アナスタシアが女性の体ばかりを狙うのには理由があるんだよ。もちろん同性だからっていうのも理由の一つではあるんだけど、女性は男性より少しだけ魂の許容量が大きいからなんだよ」
レイナ曰く、女性は子供を胎内で育むため、その分だけ自分以外の魂を受け入れやすい体をしているとのことだ。故に、レイナの魂は男性である仁の体の中には留まれない。このままの状態が続けば、仁の意思にかかわらず、遠くない将来、レイナの魂は消滅するか、体外に排出されてしまうだろうとレイナは告げる。
「だからね。そうなっちゃう前に、私はジンくんの大切な人を助けるお手伝いがしたいんだ。きっとそれが、私が、私の魂が、今日まで存在し続けた理由だと思うから」
レイナが真っすぐに仁を見つめ、仄かに光る体で仁の手を取った。その瞬間、仁はレイナの口にした言葉が偽らざる心からの願いであることを理解してしまう。
「アナスタシアは何らかの方法でレナちゃんの体に居座っているけど、間違いなくレナちゃんの心にも体にも負担がかかっているはずなの。だから、早く何とかしないと」
女性が男性より魂の許容量が大きいのは事実だが、だからといって永続的に二人分の魂を許容できるほどではないようで、レイナはできるだけ急いだ方が良いと、暗に仁の実験や練習を待つより自分が対処すべきだと仁を諭す。
「ジンくん。お願い」
仁の手を握るレイナの力が強まった。間近で仁を見つめる真摯な瞳は、仁に拒否権を与えなかった。
(……お願いするのは俺の方だよ)
仁は逆にレイナの手を握り返し、両手を胸の前で合わせた。仁はレイナの手を両手で包み込み、正面から視線を向け合う。
(レイナさん。玲奈ちゃんを助けるために、君の力を貸してほしい)
仁は祈るように、力を借りるどころかレイナの命を貰うに等しい願いを口にする。
(レイナお姉ちゃん。“また”俺を助けて。お願い)
自然と紡がれたその言葉は、果たして仁のものだったのか。それとも。
ともかく、自分のために死んでくれと言わんばかりの願い事をされたレイナは、目尻に涙を浮かべながら、何の憂いもない笑顔で力強く頷いたのだった。
その後、いくつかの質問と確認をして大賢者たるレイナの知恵を借りた仁は、しばらくしてレイナとの邂逅を終えることとなった。
輪郭のぼやけた部分がレイナの魂の体中に徐々に広がっていく。焦燥にかられたように手を伸ばす仁を、レイナが今にも消えてしまいそうな体でギュッと抱きしめた。
「ジンくん、大丈夫。レナちゃんを救うまで、ちゃんとジンくんの中にいるから」
レイナの優しい声が仁の耳を撫でるが、仁はこれがレイナの魂と触れ合える最後の機会だと本能で理解していた。仁はそんな心配をしているんじゃないと声を大にして言いたかったが、仁の心に反して、仁の口はほとんど透明になったレイナの名を呼び続けることしかできない。
「ジンくん、大丈夫。きっと大丈夫だから」
仁の背に腕を回したレイナの手のひらが、ポンポンと仁の背中を叩いた気がした。
「ジンくん、さようなら。それから――」
光り輝いていた世界が消え、仁の体から浮遊感が失われる。どこまでも落ちていくかのような感覚が仁を襲った。仁は魂の体の腕を必死に伸ばすが、もう心優しい少女の手を掴むことは叶わなかった。
やがて、暗闇の底まで落ちた仁の意識が急浮上する。
次の瞬間、仁はベッドの上で目を覚ます。既に夜は明け、窓の外からカーテンを通り越した朝日が部屋の中を照らしていた。
仁は汗ばんだ体を起こし、視線を下に向ける。臍の下辺りに手を当てれば、気のせいかもしれないが、仁の心は優しい温もりを感じた。
「必ず玲奈ちゃんを助け出す」
仁は誰でもない自分自身に誓う。それが仁と玲奈のために自身の存在すべてをかけて再び力を貸してくれる少女の想いに応えることだと信じて。




