20-39.送魂
仁が“大賢者”と心で呟いたことでレイナの輪郭の曖昧な光の体が強張るが、今度は仁の方から両手を背中に回し、耳元で「大丈夫」と囁いた。
(レイナ……さん。俺は、いや、ジークハイド……ジークは君を恨んでいなかったよ)
先ほど仁の垣間見た記憶では、村から急にいなくなったことを悲しくは思っても、ジークハイドはそのことで決してレイナを恨んでなどいなかった。アナスタシアに半ば洗脳されるように絶望してしまったが、最期はレイナの真摯な想いに救われたはずだ。
仁を抱きしめるレイナの腕の力が増し、肩口の辺りから嗚咽が聞こえてくる。仁はその背をポンポンと軽く叩いた。
「ジークちゃん……。ううん、ジンくん。ごめんね、ありがとう」
しばらくすると、レイナが泣き止み、そっと体を離す。地面のない精神だけの世界で仁は立ち上がり、レイナと向き合った。仁の体に纏わりついていた黒い蛇のような魔力は仁の魂に吸収されるようにして消え、名実ともに仁の魔力と一体となっていた。
それと同時に、心の底で燻っていた黒い感情の大半も消え去っていることに仁は気付く。
(レイナさんの記憶に触れたことで、本当に一人じゃなかったってジークが気付けたからかな……?)
ジークハイドの記憶は今も鮮明に仁の心に焼き付いているが、仁はそれをどこか客観的に見ていた。仁はかつて確かにジークハイドだった。それは間違いなくとも、仁がこれまで仁として歩んできた人生が、仁を仁たらしめていた。
「うん。ジンくんはジンくん。元々はジークちゃんの魂でも、今の魂はジンくんのものだよ。だけど、嬉しかった」
仁の心の声ばかりか、言葉にしていない考えや思いまでもレイナには筒抜けのようだった。レイナが玲奈のように、見るものを幸せにしてしまうような笑顔を見せる。
そんなレイナに釣られるように仁も笑みを浮かべるが、ふと、頭に疑問が浮かんだ。
ジークハイドはレイナ諸共、胸を剣に貫かれて死んだはずだ。そこで記憶が途絶えているのだから、おそらくそれは間違いないと仁は考える。そして、仁の魂がかつてジークハイドのものだったというのも、魔王妃やレイナの言動から、もはや疑いようがない。
しかし、だとするならば、なぜこの世界で死んだジークハイドの魂が仁たちの世界で転生したのか。ジークハイドの魔力や記憶が魂喰らいの魔剣の中にあったのは、死の間際にその魂を喰われたためではないのか。それに、レイナの魂が魔剣の中にいた理由もわからない。仁が眉を顰める。
「あ、えっとね……」
レイナが申し訳なさそうな顔をしていた。
「それは私が原因っていうか……その……」
目を泳がせるレイナに、仁は怪訝に思いながら視線で先を促した。
「えっと、怒らないでね?」
仁が頷くのを確認すると、レイナが、おずおずと口を開く。
「この世界に絶望してたジークちゃんにやっと私の想いが届いたっていうときに、ジークちゃん、私と一緒に殺されちゃったでしょ? あの瞬間、ジークちゃんの絶望……ううん、この世界への強い怒りが伝わってきたの。それで、このままだったらジークちゃんが生まれ変わっても救われないんじゃないかって思って。だから――」
「だから?」
「だから、最後の力を振り絞って、ジークちゃんの魂を外の世界に送ったの。最期までジークちゃんに優しくなかったこの世界じゃ幸せになれない気がしたから」
レイナは素質を見出されて貴族の養子となってから大賢者と称えられるようになるまでに多くを学び、それ以降も研鑽を続けた。その過程で古の秘術に触れる機会があり、その際にレイナは送魂の術と呼ばれる秘術を知ったという。
「だけど、その、あの魔剣がジークちゃんの魂を食べちゃいそうになって……。というか、半分くらいは食べられちゃったんだけど、“ダメーッ!”って思ったら、代わりに私の魂が食べられちゃって」
レイナは「あはは」と乾いた笑い声を上げるが、決して笑い話ではないと仁は思った。魂喰らいの魔剣に喰われた魂がどうなるのかわからないが、レイナはジークハイドの魂を救うために自身が犠牲になり、輪廻転生のある世界で生まれ変わることもできずに魔剣の中で気の遠くなるくらい長い時間を過ごしていたということになる。
仁は眉間に皺を寄せるが、レイナは「それは違うよ」と優しく微笑んだ。
「大切な、弟みたいなジークちゃんと一緒だったんだよ。だから全然寂しくなかったよ。まぁ、食べられちゃった方のジークちゃんの魂は恨みと怒りと絶望ばっかりで、見向きもしてくれなかったけど……」
言葉が最後に向かうほど音量が小さくなっていき、仁が申し訳なく思っていると、レイナは慌てた様子で言葉を連ねる。
「でもその代わりにジンくんは世界を憎むことなく、大好きな人だってできたんだから、私は良かったって思うよ。それに、なんとなくしか外のことはわからなかったけど、ほとんど寝てたみたいに時間の感覚ってあんまりなかったから」
そう言って仁を見つめ、「だから気にしちゃダメだぞ」と語尾に音符でも付きそうな口調で締めくくるレイナは、どことなく玲奈に似ているように仁は感じた。
「でも、本当に良かった。半分くらいしか外の世界に送れなかったから、きちんと転生できたか、ずっと不安だったんだよ」
ホッとした様子で安堵の息を吐くレイナに、仁は玲奈と同じ世界に送ってくれたことを感謝する。この世界と元の世界の間にどういう繋がりがあるのか不明だが、もし玲奈と出会えていなかったらと考えると身の竦む思いだった。
そう思った瞬間、玲奈を魔王妃に奪われている事実が不安と恐怖の津波となって仁の心に襲い掛かった。
「そうそう。今はジンくんの大切な人、レナちゃんのことだよ!」
レイナが声を張り上げ、仁は俯きそうになった顔をレイナに固定する。レイナは仁たちの考えた玲奈を救う手法を間違っていないと太鼓判を押したのだ。その理由を仁は知りたかった。レイナの魂に触れたことで何か掴めたような気はするが、大賢者と謳われたほどの人物の話が聞けるまたとない機会を逃すわけにはいかなかった。
「ジンくん。皆まで言わなくても大丈夫。レナちゃんのことは、このレイナお姉ちゃんに任せなさい!」
レイナは「ふふふ」と自信ありげに笑う。思わず胡乱気な視線を向けてしまった仁に気付かず、レイナは「レナとレイナって、ちょっと名前が似てるね?」と可愛らしく小首を傾げていた。
ふと仁の心に、数日早く生まれたくらいでお姉ちゃんぶるのはどうなんだろうという考えが頭に浮かぶが、今の仁と比べれば遥かに年上であることには間違いなく、仁は敢えて突っ込むようなことはしない。
「そこっ! 私はおばあちゃんじゃないよ。ちょっとだけ年上のお姉ちゃんだよ!」
「心は読まなくていいから! そ、それより、玲奈ちゃんを任せろってどういうこと?」
ぷっくりと頬を膨らませていたレイナだったが、仁が急かすと、すぐにパッと表情を明るくした。
「ジンくんは計画通り、えっちなお誘いをしてレナちゃんの体に魔力を流し込むだけでいいよ。その後は私に任せて!」
どういうことかと問う仁に、レイナが自信満々に答える。
「私がジンくんの魔力にくっ付いていって、ジンくんの大切な女の子の体からアナスタシアの魂を追い出しちゃうから! だから、お姉ちゃんに任せておけば大丈夫」
目を丸くする仁の前で、レイナがドンッと胸を叩いた。




