20-4.伝説
場所を湖畔の木製のベンチに移す。同じく木製のテーブルを挟んだベンチは、仁の元の世界の公園などに置かれているものによく似ていた。これらはエルフの里から持ち込んだものだ。
湖畔の桟橋跡には街の住人と魚人族が共に利用できる集会所が造られる予定だが、完成するまでの間、仮に設置されている。
そんなベンチに仁とミルは隣り合って座り、対面のトリシャの話に耳を傾ける。イムはミルの膝の上だ。
かつての小さな聖女フランは戦災孤児らを養子に迎え、回復魔法の使い手にすべく育成を試みた。フラン自身が幼い頃に志願して受けた仁の魔力操作の訓練を参考にした手法も行われ、元々素養の見受けられた子たちを中心に、回復魔法に限らず、何人かの魔法の才能を開花させることに成功した。
その中で最も優れた回復魔法の使い手となった子供が、ゲルトやトリシャの祖だ。フランと血の繋がりこそないものの、かなりの実力者だったと伝わっている。
しかし、いくら適性が遺伝しやすい傾向にあるとはいえ、皆が皆、親から子へ受け継がれるわけではない。もし高確率で伝わるのであれば、回復魔法の技能持ちが今ほど貴重な存在にはなっていないはずだ。
村人たちに乞われて村長となったトリシャの祖先はフランの子孫として恥ずかしくないようにと、義母と同様に子どもたちへの回復魔法の教育に努めた。その甲斐あって、先天的か後天的かはともかく、グイダの孫の代、即ち、トリシャの母親に至るまで回復魔法の技能を継承することに成功した。
「私の母はご先祖様方に比べれば大した使い手ではなかったみたい。だけど、回復魔法を使うことはできた。なのに、私は……」
早世した父母や祖父母に代わって曾祖母のグイダがトリシャの教育を担当したが、グイダ自身、一族に伝わる訓練方法を施せるほどの魔力操作技術を持っていなかったことも災いし、今日に至るまでトリシャが回復魔法の技能に目覚めることはなかった。
「兄さんも使えないし、別に回復魔法が使えなくても村長を継げないわけでもない」
現任のゲルトはもちろん、歴代の村長にもトリシャの父のように、回復魔法を使用できずとも婿入りしてその任に就いた者もいる。それに、他のフランの養子の子孫たちの中には、僅かながらも回復魔法の使い手がいるのだ。
「でも、それでも私は……!」
小さな聖女フランの直系の末裔として、リガー村の村長の一族として、トリシャは兄と自分の代で技能の継承を途切れさせてしまうことに罪悪感を抱いていた。適性を持っていなかったゲルトの妹に生まれたことによる、この子こそはという周囲の期待を裏切ってしまったとトリシャは思い込んでいる。ゲルトと違い、聖女たり得る性別だったことも拍車をかけた。
実際には、村人たちは心のどこかで残念に思ってしまうのは仕方がないにしても、決して失望したわけではない。事実、ゲルトもトリシャも適性を待たずとも村人たちに愛されていることは仁の目にも明らかだった。
それに、仁は技能のあるなしではなく、フランの“命を繋いでいく”という遺志を受け継ぎ、今、自分たちの力になろうとしてくれている二人や村人たちに感謝している。とはいえ、それをどれだけ言葉としてトリシャに伝えても、トリシャ自身の意識が変わらなければ真に受け入れられることはないだろうと仁は考えた。
仁がどうするべきか頭を悩ませていると、それまで静かに話を聞いていたミルが口を開いた。
「ミルは、おかーさんから技能を受け継いだの」
真剣な顔でそう口にしたミルに、トリシャは悔し気に表情を歪めるが、続く言葉で一転させた。
「だけど、ミルは回復魔法が使えなかったの」
トリシャが目を丸くする。
技能を受け継いだのに使えない。その意味が分からず、トリシャが視線をチラリと仁に向けた。仁が言葉通りだと頷くとトリシャが目を見開いた。
「ミルのお母さんは獣人族でも珍しく十分な魔力量を持っていたみたいだけど、一般的に獣人族は魔法との相性が良くないよね。だから、出会った頃のミルは回復魔法の技能はあっても、それを使うための魔力が足りなかったんだよ」
驚きながらも仁の説明に納得したのか、トリシャがミルに視線を戻す。
「ミルはジンお兄ちゃんやレナお姉ちゃんのおかげで、おかーさんと一緒の魔法が使えるようになったの。だから、ミルはトリシャちゃんに教えてあげられないの」
ミルが真摯に告げると、トリシャの顔に失望の念が浮かぶ。ミルはそんなトリシャを真っ直ぐに見つめてから、体を90度捻って仁を見上げた。
「ジンお兄ちゃん。ミルの代わりに、トリシャちゃんに特訓してあげてほしいの」
「ミル……」
仁はミルの視線を真正面から受け止める。ミルが回復魔法を使えるようになったのはレベルを上げて魔力量を増えたからだ。そういう意味では、仁と玲奈はパワーレベリングにこそ関与したものの、ミルに回復魔法を教えたわけではない。
しかし、ミルは知っていた。仁との魔力操作の訓練を経て自身が無詠唱で回復魔法が使えるようになったことを。そして、戦乙女の翼のメンバーのみならず、幾人かのエルフが既に新しい魔法に目覚め、リリーも水魔法の修得を目指していることを。
トリシャの話にあった一族に伝わる訓練法。その訓練を施せるものが今の世にいなくても、その大本となった特訓をフランに行った張本人がここにいることにミルは気付いていた。そして当然、仁自身も。
期待と不安の綯い交ぜになったトリシャの視線が仁の肌に突き刺さる。
「どうしてその考えに思い至らなかったのかな……」
トリシャが小さく呟いた。トリシャは“小さな聖女”というフランとミルに共通した二つ名にばかり意識が向いていたようだった。
「ジンさん、お願い。どんなに恥ずかしくても我慢するから……!」
トリシャが深く頭を下げる。仁にはまだ幼さの残る二人の少女の願いを拒むことなどできなかった。そもそも、拒む理由がない。
「トリシャ、顔を上げて。俺にできることならもちろん協力させもらうよ」
仁がそう告げた途端、トリシャが勢いよく顔を上げ、強張っていた顔を綻ばせた。「伝説の訓練を受けられるなんて」と静かに興奮しているトリシャに、仁は小首を傾げる。
「伝説の訓練……?」
「うん。回復魔法しか使えなかったご先祖様に強力な攻撃魔法を授けたっていう、すごく恥ずかしいけど同じくらい気持ちいい、伝説の訓練だよね?」
トリシャの頬が仄かに赤らんでいるのは、興奮しているからか、はたまた恥ずかしがっているからか、仁には判断できなかった。
「とっても気持ちいいの!」
仁が答えに窮していると、ミルが嬉しそうな声を上げた。
「レナお姉ちゃんもロゼお姉ちゃんも、リリーお姉ちゃんも、みんな大好きなの!」
仁が何かしら口にするより先に、ミルとトリシャが興奮した様子で訓練についての語り合いを始める。
仁の与り知らぬところで伝説とまで謳われ、尾ひれはひれの付いた魔力操作の訓練。しかし、それが必ず望む結果を齎すわけではないことを知っている仁は、トリシャの期待が失望、そして絶望に変わらないことを祈りつつ、事前に各所に報告をしておこうと心に決める。
結果的にトリシャが回復魔法の修得に至らなかった場合、ゲルトやグイダのサポートが必要になる。もちろん上手くいくのが最善だが、今も苦戦しているリリーを見れば、楽観視することはできなかった。
「兄さんに自慢しないと」
ミルとトリシャの会話が耳に届き、仁は自分が報告するべくもなくゲルトに伝わるであろうことを知った。ふと仁の脳裏に、トリシャから自慢げに告げられた際のゲルトの様子が浮かぶ。
『兄貴! トリシャだけずるいぞ。俺にもやってくれ!』
仁はそう言ってにじり寄るゲルトを幻視する。それは十中八九、現実に訪れるであろう未来だと仁は確信した。
「うん。断ろう」
一人頷く仁に、イムが呆れたように一鳴きする。仁がそう決断した理由は、言うまでもない。




