20-3.二つ名
「玲奈ちゃん。今、ミルはどこにいるんだっけ」
「えっと。診療所に顔を出してから、ルビーの様子を見に行ってるはずだよ」
リリーと別れた仁はトリシャの望みを受け入れ、ミルのところまで案内することになった。これからロゼッタ、カティアと合流して各所の手伝いに回る予定の玲奈を見送り、仁は「じゃあ、行こうか」とトリシャに声をかける。
「診療所……やっぱり噂は本当なんだ……」
小声で呟くトリシャを促し、仁は診療所に向かって歩き出した。仁と玲奈がラインヴェルト城の地下室を訪れていた時間を考慮すれば、既にミルは湖にいるかもしれないが、城前からは診療所の方が近かった。
この場合の診療所とは、しっかりとした施設が完成するまで街の広場の脇に仮に設置された野外診療所のことで、ミルは度々そこを訪れては回復魔法を必要とする怪我人の治療を行っている。
戦時ではない今、それほど重傷者が発生するわけではないが、街に程近い魔物が生息するエリアの探索や街の復旧工事での事故等々で、少なからず負傷者は生まれていた。
先日などは騎馬隊が巡回中に突如現れた殺人鰐の襲撃を受けて隊員の一人が落馬して大怪我を負い、ミルの回復魔法による治療を受けたこともあった。
仁はもしかするとその時のことがリガー村で噂になったのかもしれないと想像しながら、背後を俯き加減で付いてくるトリシャの様子をこっそり窺う。
ゲルトやグイダからは、トリシャが回復魔法を使えるとは聞いていない。だからと言ってトリシャに回復魔法の適性がないと決めつけられるわけではないが、何事か考え込んでいるようなトリシャを見れば、その可能性が高いのではないかと仁には感じられた。
小さな聖女として名を馳せた、旧ラインヴェルト王国の、リガー村の英雄の子孫であることを誇りに思い、祖先の志を受け継ごうとしているトリシャの目に、偶然とはいえ同じ二つ名で呼ばれているミルの存在がどう映るのか、仁は少しだけ心配になってしまう。
ミルがかつての小さな聖女フランと同じく、仁の仲間という立ち位置にいるのだから、なおさらだ。
しかし、その一方で、短い期間ながらも近くで接したトリシャの印象からは、それをもってミルに悪感情を抱くとは思い難かった。
「トリシャ」
仁が歩幅を縮め、トリシャに並んで呼びかけると、トリシャが暗い顔を仁に向けた。
「えっとさ、ミルがメルニールの人とかエルフの里の人たちにフランと同じ“小さな聖女”って呼ばれているのは本当だけど、ミルが自ら名乗ったわけでもなければ、周りの人たちがフランになぞらえてそう呼んでいるわけでもないからね」
仁はゆっくり歩きながら、簡単にこれまでの経緯を説明する。メルニールでは帝国との最初の戦争で、エルフの里では恐るべき鉤爪の襲撃の際の治療行為がきっかけだったと仁は記憶している。
そして、貴重な回復魔法の優れた使い手で、治療に対価を求めず、年若い女性。これらの共通点が、二人が同じ二つ名で呼ばれるという偶然を生み出したのだと仁は思っていた。
ちなみに、診療所を任されているエルフの薬師らからは、戦時を除いて治療費を取るべきではないかと打診されたが、ミル本人や仲間たちとの話し合いの結果、あくまで無理のない範囲でミルが善意で行っていることであることから、少なくとも街が本格的に稼働するまでは対価を求めないことに決まった。
それに対して、追々は冒険者として生計を立てているミルへの依頼という形で診療所から報酬を出すつもりだという申し出があった。仁は、対象がミルでなくても他にもいるかもしれない回復魔法の使い手が戦わずとも生きられる道に繋がるかもしれないと、喜んで受け入れた。
「うん、わかってる」
トリシャが複雑な表情をしながらも、仁を見上げて頷いた。
そんなトリシャの様子に、仁は、やはりリガー村の人たちにとって“小さな聖女”というものがとても大きな存在なのだと改めて思い知る。今にして思えば、白虎族であるロゼッタに対しての村人たちの態度から考えれば、ミルの二つ名について軽く考えるべきではなかったと仁は反省する。
ふと、仁の頭に「ゲルトはミルの二つ名を知っていたっけ?」という考えが浮かぶが、その答えがどうであれ、ミルを“ちっちゃい姉貴”と呼んで仲良くしている姿を思い出せば、大した問題にはならないだろうと仁は結論付けた。
やや気まずい沈黙の中、二人が広場の診療所を訪れると、エルフの薬師から既にミルが立ち去ったと告げられた。薬師がミルへの感謝を口にしている間、トリシャはずっと俯いたままだった。
「ミルはミルなの! ジンお兄ちゃんたちの妹なの!」
仁がトリシャをゲルトの妹だと紹介すると、ミルは普段と変わらず元気よく、笑顔で自己紹介した。
「トリシャ・リガーです……」
トリシャのどこか不安げな様子に、ミルが小さく小首を傾げる。横で見ていた仁がどう間を取りなすべきか頭を悩ませていると、ミルは、ハッとしたように顔を真横に向けてからトリシャに向き直る。
「イムちゃんはイムちゃんっていうの。怖くないの。とっても優しくて可愛いの!」
「グルッ!? グ、グルゥ!」
イムが焦ったような声を上げた後、トリシャに向かって自己紹介代わりに一鳴きする。
トリシャの事情に明るくないミルはトリシャがイムを怖がっているのではないかと推測したようだった。仁としてはまだ小さいイムよりも、ミルの背後の湖に浮かんでこちらの様子をジッと見つめているルビーの方が怖がられるかもしれないと思ったが、トリシャの思いつめたような様から、そもそもどちらも目に入っていないのだろうと考える。
トリシャが意を決したように勢いよく顔を上げ、切羽詰まった顔をミルに向けた。
「あ、あの……!」
必死さの滲み出る声と表情に、ミルが目を丸くする。
「私に回復魔法を教えてください! お願いします……!」
トリシャが、ガバッと頭を下げる。ミルは困惑の視線をトリシャの頭頂に向けた後、仁に縋るような目を向けた。仁は苦笑いを浮かべ、混乱の最中にいるミルの頭にそっと手を置いた。
「トリシャ、とりあえず顔を上げて。落ち着いて話をしよう」
仁はトリシャがミルに悪感情を抱いているわけではないと知って、内心で安堵の息を吐く。
トリシャがゆっくりと上半身を起こし、仁とミルの間で視線を彷徨わせてから、小さく頷いた。




