19-10.使命感
「私がこちらの里を目指した理由ですか」
仁や玲奈、アシュレイたちが見守る中、ルーナリアが居住まいを正し、ゆっくりと口を開いた。真っすぐコーデリアに向いていたルーナリアの視線が、仁と玲奈、そしてアシュレイのところで一時停止を繰り返しながら移動し、再びコーデリアに戻る。
「ジンやレナ、それにアシュレイさんとの縁を頼った……というだけでは納得していただけないようですね」
仁としては寄る辺のないルーナリアが自身やアシュレイを頼ることに疑問の余地はないが、コーデリアは不満げな顔を崩さなかった。
「当り前よ。あなたが本当に私の知るルーナリア姉様なら、決して我が身可愛さで逃げ出して他者を巻き込むような真似はしないはずだわ」
コーデリアはルーナリアを険しい表情で見つめたまま、最後に「私と違って」と付け加えた。
「コーディー。それは……」
仁は思わず口を挟む。
確かにメルニール陥落時に仁の制止を聞かずに帝都に向かうほど責任感や使命感の強いルーナリアならば、帝都に護送され、仮に処刑を言い渡されても最後まで戦争を止めようと誠意を尽くすかもしれない。
しかし、そうしなかったからといってルーナリアを責めることはできない。なぜ逃げ出したのだと糾弾することは、ルーナリアになぜ殺されなかったのかと問うのと同義なのだ。
コーデリアの言うように、仁にもルーナリアなら逃げ出さないかもしれないというイメージはあるが、眷属のメルニール襲撃の前から戦争を止めようと尽力していたルーナリアが、あの日、死地に向かうのを止められなかった自身を頼ってくれたことを、仁は嬉しく思っていた。
「ジン。よいのです」
ルーナリアが仁を制止する。ルーナリアは仁に微笑みを送ってからコーデリアに向き直った。
「私は逃げるべきではなかったのかもしれません。例え受け入れられずとも、最後の最後まで言葉を尽くすべき。そう考えていた時期もありました。しかし――」
ガザムの街から帝都への護送中の当時を振り返りながら、ルーナリアが語る。
護送を担当したのはガザムの街に駐屯していた帝国兵の一部隊だった。彼らは最初からルーナリアたちに同情的だったという。
魔王妃と一人で接見したルーナリアと、待合室にいたヴォルグとサラは別々に捕らえられたのだが、一応、手枷はされていたものの、それ以外に大した拘束もなく一つの馬車に押し込まれただけだったのだ。
もちろん馬車の外には見張りがいたが、小声で脱走の相談をするのに支障のない環境だった。更に、ルーナリアたちが逃げ出すことを想定していなかったのか、深夜にヴォルグが見張りの意識を刈り取ってみれば、その兵士が手枷の鍵を所持していて、簡単に自由の身になることができたという。
そして今後の道中を思って食料や物資、武器などをこっそり調達できないかと考えていたところ、サラの魔法鞄やヴォルグの斧槍も、糧食等を乗せた荷車から簡単に見つかった。
帝国兵の質の低下を嘆けばいいのか感謝すればいいのか複雑な思いを抱いたルーナリア主従は、むしろ兵士たちが敢えてルーナリアたちを逃がそうとしてくれたのではないかとすら思ったのだった。
「兄の世のためにこの身を犠牲にすることで、メルニールの民も帝国の民も、更には諸外国の民も、皆が平和に暮らせるようになるのであれば、それが私の定めだと受け入れたでしょう。幸い、私には優秀な妹がいますから、ジンとレナへの責任も、私の代わりに果たしてくれるでしょうし」
ルーナリアが後半部分を告げながら淡く微笑むと、コーデリアは苦虫を噛み砕いたような表情になった。実際、セシルたち奴隷騎士隊の戦力強化と引き換えという体で、ラインヴェルト城への移住後、コーデリアには魔法陣と仁と玲奈の帰還方法の研究に当たってもらうことになっている。
「けれど」
ルーナリアが表情を改め、言葉を続ける。
「おそらく、兄は自覚のないまま体よく魔王妃に操られているのでしょう」
ルーナリアの兄。もちろん帝国第一皇子のガウェインのことだ。いくら次期皇帝の座に執着していたからといって実の父を害するような人ではなかったと、ルーナリアが顔を曇らせた。
「それに――」
魔王妃がガウェインを唆してメルニールを狙った理由は現段階ではダンジョンだと推測されているが、ガウェインの目的は似て非なるはずだ。
おそらく魔王妃が魔王の復活のためにダンジョンを必要としているのに対し、ガウェインはダンジョンから得られる魔物の素材、特に魔石が目当てなのだから、冒険者や探索者を必要以上に殺す必要はない。
しかし、実際は魔王妃の眷属の魔物を用いて無差別な殺戮を行った。雷蜥蜴の投入がその最たるものだ。その結果としてメルニールは放棄され、帝国とガウェインはダンジョンの恩恵を得るための人員を失ったのだ。
帝国軍の騎士や兵士をダンジョン探索に充てるつもりかもしれないが、ルーナリアやコーデリアの話では今の帝国に余剰な戦力はないとのことだった。そもそも、これまでのノウハウをなくすメリットは一切なく、ガウェインがすべきだったのはメルニールへの降伏勧告であり、メルニールにもそれを受け入れる用意があった。
けれど、現実がどうだったかは今更言うまでもない。
この事例だけでも、帝国が今、正常に機能していないことは明らかだった。
「かつて魔王妃は大陸の東に暮らす人々すべての敵だったと聞きます。大賢者に敗れ、エルフ族の手で永きに渡り封印されていた彼女が帝国の力を使って何を成すのか」
古の魔王の復活を目論む傍ら、世界に破滅と混沌を齎してもおかしくはない。そして、それに帝国が利用されないわけがない。
そう続けたルーナリアに、誰も反論することができなかった。
「私のすべきことは、自身の矜持を守って命を散らすことではありません。魔王妃の魔の手から民を、延いては世界を救うため、魔王妃と、魔王妃に操られる兄を止めること。それが帝国の皇女たる私の果たすべき責任です」
ルーナリアが眼光を強める。仁たちの誰かが、ゴクリと音を立てて生唾を飲み込んだ。
「ルーナ。それは、俺たちと一緒に帝国と戦うっていうこと……?」
「そう取っていただいても構いません」
そうはっきりと言い切るルーナリアに、仁は絶句する。
「魔王妃との決着がついたとき、世界が、帝国がどうなっているか、今の私には想像することしかできません」
静寂に包まれた一室に、ルーナリアの淀みのない言葉だけが広がっていく。
「ですが、そのときに、もし帝国が存在し得るのなら、存在することが許されるのなら、私は聡明で民と平和を想う妹に皇帝の座に就いてほしいと、そう願っています」
ルーナリアが口を閉じ、優しく微笑んだ。その一方で、コーデリアが眉間に深い皺を刻む。
対照的な顔で見つめ合う腹違いの姉妹を、仁はただただ眺めることしかできなかった。




