18-1.少女
「兄貴、止めてくれ」
背からゲルトの声が聞こえ、仁はオニキスに指示を伝える。オニキスが徐々にスピードを落とし、仁の視界に流れる景色が動きを止めた。辺りには荒涼とした荒地が広がっていて、正面には小山が見える。
里を出て数日後。八脚軍馬のオニキスと双角馬のガーネットの脚力は大したもので、仁の予想より早く魔の森を抜けることに成功した。
事前のアシュレイからの指示で森の切れ目付近まで撤退していたエルフの里の調査隊とは既に接触し、武装集団を有するゲルトの集落と話を付けるまで、その場で待機してもらうことになった。これは、万が一にも戦力を引きつれた恫喝だと思われないための処置だ。
ゲルトが一緒のため、仁としてはそれほど心配ないと思っているが、用心するに越したことはない。
そうして里を出たときと変わらない面々で先を急いでいたのだが、目の前の小山を超えればラインヴェルト城が見えるはずというところで、ゲルトが制止したのだった。
「ゲルト。どうしたの?」
仁が振り向いて尋ねると、ゲルトはオニキスの背から飛び降りた。
「兄貴。さっきも言った通り、この山を越えれば迷うことはない。だから、俺がいなくても大丈夫だ」
「……は?」
困惑する仁に、ゲルトはサッと手を上げて「ちょっと用事を思い出したんで、ここからは別行動にしよう!」と言うが早いか、颯爽と身をひるがえす。
「石壁!」
脱兎の如く駆け出したゲルトの進行方向を、いつぞやのように石の壁が塞いだ。切れのいいステップで避けようとしたゲルトだったが、仁は次々と行く手を阻む。
「兄貴! 後生だから行かせてくれ!」
「いやいや。君の仲間との仲介をしてもらわないと困るんだけど」
そもそもゲルトに乞われたこともあって、まずはかつての仲間である小さな聖女フランの子孫が暮らす集落を訪ねる予定なのだから、城の場所がわかったからといって案内役を放り出されても困るのだ。
尚も逃走を試みるゲルトに、仁は仕方なく以前森でしたのと同じように厚い石壁ですべての逃げ場を封じた。
「出ーしーてーくーれー!」
ドンドンとゲルトが必死に壁を内側から叩き、仁は首を捻る。仁がどうしたものかと思いながらガーネットで横付けしたロゼッタに顔を向けると、ロゼッタも訳がわかないとでも言いたげに首を横に振った。
『主! 何かいます!』
オニキスの念話が頭に響き、仁は注意を周囲に向ける。念話はロゼッタにも届いていて、ロゼッタが馬上で槍を構えた。仁も片手に黒炎刀を作り出す。
「ロゼ、危ない!」
仁が叫ぶと同時に、ロゼッタの死角から小さな影が飛び出した。人と思しき影は手に短剣を持っていて、馬上のロゼッタを狙っていた。仁より先に気付いたガーネットが後ろ脚を蹴り上げるが、何者かは身を捩ってすり抜けるようにして跳ね上がり、手にした刃が真っすぐにロゼッタの脇腹に向いていた。
「石壁!」
仁が咄嗟にロゼッタと何者かの間に石の壁を作り出すと、小さな影は空中で反転し、石壁を蹴って飛びずさった。突然の襲撃者は着地と同時に更に後方へと飛び退いた。
「女の子?」
ロゼッタを庇うように移動した仁はオニキスから飛び降りる。仁と距離を取って相対する謎の襲撃者は、小柄な少女のように見えた。
『主。山の上から複数の気配が近付いてきます!』
オニキスが警戒を促すのと同じタイミングで、少女が自身の指を咥え、指笛を鳴らした。甲高い音が辺りに響き、小山の山道を騎馬隊が駆け下りてくる。
「おい、お前。兄さんを解放しろ! 奇妙な術を使うみたいだけど、こっちは一人じゃないんだぞ!」
えんじ色の髪の少女が目を吊り上げる。少女はボブカットの髪の一部を左右の側面で短く結っていて、年の頃は元の世界で言う小学校高学年か中学生になりたてくらいに見えた。
仁は騎馬隊が追いつく前に少女を拘束しようと思っていたが、その少女の言葉で動きを止めた。
「ジン殿。もしかすると、ゲルト殿の妹御では?」
「うん。どうやらそうっぽいね」
ゲルトに妹がいるとは聞いていないが、現状を鑑みるに、そう判断するのが妥当だと仁は考える。だとするならば、逃げるゲルトを捕まえる場面を勘違いされてしまった可能性が高い。勘違いも何も、実際その通りなのだが、仁はゲルトと敵対しているわけではないのだ。
「その声は、もしかして、トリシャか!?」
「兄さん、待ってて! 今助けるから!」
石壁の牢獄の中から聞こえる震える声に、トリシャと呼ばれた少女が応じる。少女は短剣を構えたまま、必死の形相で仁を睨みつけた。
「さあ、早く兄さんを解放して! さもないと、無事で済まさないぞ!」
今にも再び襲い掛かって来そうな少女に、仁は黒炎刀を消して敵意がないことを示す。オニキスとロゼッタ、ガーネットを下がらせ、敵ではないから落ち着いてほしいと仁が訴える。
「御託はいい! 早く兄さんを解放しろ!」
このままでは埒が明かないと踏んだ仁は、さっさとゲルトを解放して説明してもらおうと、再び黒炎刀を作り出す。石壁の魔法で作った壁は、魔法発動後の今は、ただの強固な石の壁でしかない。それを壊すのには相応の威力が必要なのだ。
「お、おい! 兄さんをどうする気だ。まさか、人質にするつもり!? やめろ、卑怯だぞ!」
石壁に体を向けて黒炎刀を構える仁に、少女が慌てて叫ぶ。
「ま、待って! 私が代わりに人質になるから。だから、兄さんには手を出さないで!」
もう意味が分からない仁は少女を無視して黒炎刀を持つ手を脇に回すと、壁の中のゲルトに端に寄るよう言ってから、黒炎斬を放って石の牢獄の中央を下から斜めに一刀両断する。返す刀で逆側から同じ角度で切り下ろし、逆三角形の石壁がバランスを崩して倒れ込んだ。土埃が立ち昇り、その中からゲルトが咽ながら顔を出す。
「兄さん!」
少女が仁の横を疾風の如く駆け抜け、そのままゲルトに抱き着いた。
「兄さん兄さん兄さん!」
少女はしばらくゲルトの腹の辺りに頬ずりしていたが、ハッと何かに気付いたように飛び退くと、呆然と見守っていた仁に赤い顔を向けた。
「兄さんは返してもらったぞ。さあ、覚悟しろ!」
仁があっけに取られている間に、小山を駆け下りた騎馬隊が追いついてきていた。十数人規模の騎馬隊は仁の後ろで足を止め、結果的に少女と騎馬隊で仁を挟み撃ちする形となっていた。
仁は騎馬隊の面々が油断なく武器を構えているものの、問答無用で突撃してくる様子を見せないことにホッとしつつ、どこか戦々恐々としている風のゲルトに目を向けた。
何とかしてくれと仁が目で訴えると、ゲルトは視線をあちこちへ送りながらも、やがて観念したかのように仁の元に向かって歩き出す。
「兄さん!」
少女が慌てて制止するが、ゲルトは構わず歩を進め、仁の隣に並んだ。
「トリシャ、みんな、聞いてくれ。兄貴たちは敵じゃない!」
「……兄貴?」
ゲルトの妹と思しき少女が訝し気に目を細め、呟いた。




