3-12.交渉
仁は鳳雛亭に戻り、玲奈に朝からのことを話して聞かせた。ミルの手前、勇者に関しての部分は誤魔化したが、仁は折を見てギルド長に知られてしまったことを玲奈に伝えるつもりだ。ミルは事前に玲奈から話を聞いていたのか、殊更驚くようなことはなかった。仁はマルコから聞いた相場は明言を避け、予想より高かったが、収入があったからなんとかなりそうとだけ告げた。
「ジンお兄ちゃん。いいの……?」
ミルが上目遣いで仁を見上げた。仁は笑顔で頷く。
「ただ、まだ買い取れるって決まったわけじゃないから、期待しすぎないでね」
「うん。でも、ミルのために無理はしないでほしい。ジンお兄ちゃんとレナお姉ちゃんの気持ちだけで、ミルはとっても嬉しいの」
ミルはそう言って顔を綻ばせた。
仁は鳳雛亭1階の食堂で昼食を取り、ダンジョンへ向かうことにした。第一皇子の手の者の動きに注意しつつも、いつも通りの生活を送ることにした。自分たちが強くなることが一番の自衛手段だと思えた。普段と時間が違うため、ザムザたちに会えるかどうかわからないが、もし会えたときは短剣買い取りの交渉を始めることにする。相場と同等の資金は確保したが、仁は可能な限り値切るつもりだった。加えて、接近してきた真意を探りたいと考えていた。仁は、交渉は自分に任せてほしいと玲奈にお願いした。
宿屋を出るとき、仁はリリーが受付から手を振っているのに気付いた。
「リリー。冒険者ギルドの初代ギルド長の名前、知ってる?」
「はい。ダンジョン前の広場に銅像がありますけど、ご存じないですか? 流浪の冒険者、“疾風”のラストル様ですよ」
その瞬間、宿屋の入口から一陣の風が入り込み、仁の頬を撫でた。その風に連れられたかのように、仁の脳裏に陽気な笑顔が浮かんだ。
「ありがとう。銅像も見に行ってみるよ」
「いってらっしゃーい」
再び手を振るリリーに、仁は小さく手を振り返して、鳳雛亭を後にした。
仁と玲奈はミルに案内されてラストルの銅像前に来ていた。仁は無言で長い髪をなびかせた姿の銅像を眺めた。歳を取った風貌に違和感を覚えたが、どことなく仁の知る人物の面影を残していた。
ラストルは根無し草の冒険者だったが、ラインヴェルト王国を気に入り、王都にしばらく居ついていた。ちょうどその時期に、王女の手により仁が召喚され、王都のダンジョンで鍛えることになった仁にダンジョンで生きる術を教えるよう、王女に雇われたのだった。ラストルは王国に仕えていたわけではないが、帝国との戦争が激化しても王国に残り、いつも前向きな陽気さで仁たちを支えていた。ラストルは最後まで一緒に戦うと息巻いていたが、仁が送還されることになった最後の戦いの直前、どうしても断れない依頼を受けて王国を去ることになったと悔しさで顔を歪ませていた。
仁はそれ以来ラストルと会うことはなかったが、こうしてこの世界に仁の知る人の痕跡が残っていることを嬉しく思った。仁はダンジョンで一緒に焚火を囲んで夢を語っていたラストルの姿を思い出した。ラストルは冒険者という存在を広めて、冒険者の街を作りたいと話していた。
(そうか。メルニールがラストルの夢だったんだね)
仁は黙祷を捧げた。玲奈は仁の様子から察し、ゆっくりと瞳を閉じた。ミルは不思議そうに二人を見上げていたが、何かしら感じるものがあったのか、二人と同様、目を瞑った。
「玲奈ちゃんも、ミルも、ありがとう」
仁は目を開けて2人の様子を確認すると、心が温かくなるのを感じた。玲奈は言葉なく微笑み、ミルはなぜお礼を言われたのか不思議に思い、小首を傾げた。
「今日も3人揃い踏みだな。これからダンジョンかい?」
3人は一斉に声のした方を向いた。そこには薄い笑みを浮かべるザムザと、その隣でこれ見よがしに舌打ちをする不機嫌そうなゲラムの姿があった。仁はあまりのタイミングの良さに不信感を抱いたが、作り笑顔を浮かべた。
「ああ、ザムザさん。それとゲラムさん、こんにちは。ちょうどよかった。実はお二人にお願いしたいことがありまして」
「お。俺らのレクチャーを受ける気になったかい?」
ザムザが口の端を持ち上げた。その横でゲラムが鼻を鳴らした。
「いえ。お願いというのは、昨日ザムザさんが使っていた短剣についてです」
「なに?」
「お恥ずかしい話、どうやら一目惚れをしてしまったようで、あの短剣の美しい姿が頭から離れないのです。ぶしつけなお願いで申し訳ないのですが、どうにかお売りいただけないかと思いまして」
ザムザは目を細め、仁を試すように眺めた。
「安くないぜ?」
「ええ。あまりに安くては短剣に失礼ですからね」
「そういうことならここでする話じゃねーな。付いてきな」
仁たちはザムザの後に続いた。しばらく歩いた頃、一般街とスラム街の境にある看板のない宿屋風の木造の建物に着いた。
「おう。おやじ。上の部屋を借りるぜ」
ザムザは薄暗い玄関の奥に声をかけ、返事を待たずにそのまま階段を上っていく。仁たちが戸惑っていると、ぐずぐずするなら帰れとゲラムにせっつかれた。
「さあ、入りな」
ザムザに促されて2階の部屋に入る。木製のテーブルと椅子だけが存在する、装飾のない殺風景な部屋だった。それぞれ席に着くと、ザムザが単刀直入に口を開いた。
「それで、いくら出す」
仁は少し悩むそぶりを見せる。
「金貨1枚でいかがでしょう?」
「はん。話にならねーな。いいか? この短剣はな、俺と兄貴が苦労してダンジョンの10階層で手に入れたものなんだぞ。そんなはした金で渡せるかよ」
ザムザが話は終わりだと手をひらひらと振った。
「金貨5枚でいかがですか?」
ザムザは顎で部屋の出口を示した。
「では逆にお聞きしますが、どれだけ出せば売っていただけるのですか?」
売る気がなければそもそもここまで連れてくることはない。ザムザは金額次第では手放すつもりがあるのだと、仁は考えた。ここで追い返すのは本望ではないはずだった。
「そうだな。金貨20枚だ」
ザムザの言葉に、仁は目を丸くした。思わず口が半開きになってしまった。どうやらザムザは短剣の本当の価値に気付いてないように思えた。隣で玲奈も同じ表情をしていた。ザムザが2人の顔を見て、ニヤリと笑った。
「まあ待て。新人のあんたらにはとても払える額じゃないのはわかってる。だが俺も鬼じゃない。俺らの仕事を手伝ってくれたら金貨10枚に負けてやる。どうだ。金貨5枚をすんなり出せるってなら、なんとか捻出すれば金貨10枚くらいなら払えないことはないんだろう?」
合成獣の報酬が入った今、金貨20枚をすぐ支払うことはできたが、仁はザムザの申し出が気になった。仮に何かよからぬことを企んでいるのだとしたら早めに潰しておきたいし、善意の申し出であるならば、仁たちに近づいてきた意図を図るいい機会になると考えた。仁はあまり玲奈を危険に晒したくはないという思いを込めて、どうしたものかと視線で玲奈に問う。玲奈は仁と顔を見合わせ、大きく頷いた。仁は決断を下した。
「それは有難い話です。新人の俺たちにも務まる仕事だといいのですが」
仁はザムザの申し出を受けることに決め、仕事の内容について話を聞くことにした。ザムザが笑みを深める横で、ゲラムが不機嫌そうに顔を顰めていた。




