16-24.役目
時を僅かに遡る。コーデリアやセシル、ファレスと共に帝都を脱出した仁が一人と一頭でメルニールに向かっている頃、奴隷騎士隊はエルフの里を目指して進んでいた。
魔の森の地理に明るくない面々は別れ際の仁のアドバイスに沿って、以前に陣を張っていた石灯籠型アーティファクトを目指すことにした。それにより帝国の動きを探っているエルフ族との接触を図り、エルフの里へ取り次いでもらう腹積もりだ。幸いにも奴隷騎士隊が敵対を望んでいないことは既に仁の口から里に伝わっているため、無駄な争いには発展しないと予想された。
ファレスは一行の中央部分でコーデリアの身辺警護を務めながら、最前列で行軍の指揮を執っているセシルの青い後頭部を見遣る。
ファレスとしては帝国の皇女であるコーデリアがどう扱われるか懸念していたが、エルフの里を救った恩人の一人と認識されているセシルの存在が一定の安心材料となっていた。もちろんファレスはコーデリアの意思を尊重しつつも主人の身の安全を第一に動くつもりだが、仁やセシルの話を聞く限りではそう悪い事態にはならないのではないかとも考えていた。
もし仁やセシルの里との関係性が頼りにならないと感じていたのであれば、いくら敬愛する主人の意思と言えど、仁という代わりの利かない知る限りでの最大戦力を手放すようなことにファレスは賛成しなかっただろう。メルニールにいる兄を心配する気持ちに嘘はないが、ファレスの優先順位にぶれはない。
「問題があるとすれば……」
ファレスが小声で呟き、周囲の警戒をしている風を装って辺りを見回す。仁から譲られた簡素な武具で武装した奴隷騎士隊の面々は様々な顔を見せていて、ファレスは、いざというときに戦力になりそうな者とそうでない者とを脳内で仕分けしていく。
その“戦力”にはコーデリアへの忠誠心も含まれている。緊急時に冷静な対処のできる力ある者でも、敵になってしまっては脅威でしかないのだ。
奴隷契約がある以上、そう簡単にコーデリアを裏切ることはできないだろうが、コーデリアと共に来ることを選んだ者のすべてが心の底からコーデリアに心酔しているわけではないとファレスは考えていた。
かと言って、端から警戒心を丸出しにするつもりはない。仲間に疑惑の目を向けることが要らぬ諍いの素となりかねないことは、敵の奸計に乗せられてセシルに疑念を抱いてしまっていたファレスは身をもって理解していた。
しかし、コーデリアは奴隷騎士たちに過度の制約をかけていないため、手段を選べば実質的に裏切れてしまうことも事実だった。
ファレスが周りに悟られないように気を配りながら内への警戒を欠かさないでいると、一行の後方で視線を地面に向けているエリーネの姿が目に入った。
その重い足取りは疲労や先行きの見えない現状を悲観してのものにも見えるが、ファレスはどうやらそれだけではなさそうだと感じていた。
その後、何度かあった魔物の襲撃を退け、少ない物資を皆で分け合い、遂に奴隷騎士隊は第一の目的地に辿り着いた。かつて突貫工事で撤退したため、陣の名残が所々に見受けられたが、それによって魔の森での生活が向上するようなことはなかった。
しかし、これ以降は闇雲に彷徨ってもエルフの里に到達できる見込みはなく、当初の予定通りこの場を基点として里から偵察に来ているであろうエルフ族との接触を図ることにした。
食料も残り少なく、一時的にせよ冒険者として仁たちと共にあったセシルの指導で狩った魔物から糧を得ているが、十分な準備のできないまま逃げ出してきた彼女らにとっては可能な限り早期の接触が望まれた。
奴隷騎士隊もローテーションを組んで周辺の捜索に乗り出し、里の者に顔を知られているセシルも精力的に働いた。
その甲斐あってか、コーデリアと奴隷騎士隊が陣跡に到着してから半日ほど後に、エルフの側からセシルに接触があった。木々の中から聞こえる声に、セシルは縋るように協力を訴え、直接の話し合いの機会を設けることに成功した。
いつ魔物に襲われるかわからない魔の森で武装を解除したことが功を奏したのか、石灯籠型アーティファクトの前で待つセシルらの前に黒装束のエルフの精兵が姿を見せた。
その里の精兵は仁やセシルと一緒に猪豚人間討伐に赴いた戦士で、セシルの言葉ならば信じられると、里に受け入れが可能か急使を送ってくれることになった。里からの返答が届くまではこの場に留まることになるが、黒装束の戦士は仮に受け入れを拒否することになっても当座の物資だけでも融通してもらえるよう力を尽くすと請け負ってくれた。
「ご主人様。もうしばらくの辛抱ですね」
「ええ、そうね。セシル、よくやったわ」
「あ、ありがとうございます」
エルフの戦士が去った後、コーデリアと奴隷騎士隊のトップ2は周囲の警戒を他の面々に任せ、しばらくその場に留まっていた。
「セシルも部下の前では少しは隊長らしくなってきたと思っていたけれど、気弱なところは相変わらずね」
恐縮したように肩を縮こまらせたセシルに、コーデリアは呆れたように肩を竦めた。とはいえ、その言葉に非難するような色は含まれていなかった。セシルもそれをわかっているため、特に気に病むことはしない。
「それで、ファレス。やるのね?」
どこか緩んだ空気をコーデリアが引き締める。ファレスが肯定の言葉を返したことで、セシルはゴクリと生唾を呑み込んだ。
「隊長。これはご主人様や私たちの今後にとって必要なことなのです」
ファレスが瞳に意志を込める。今回の件にセシルは性格的に向いていないことは火を見るより明らかなため、ファレスはコーデリアに進言し、自身が副隊長として表に立つことの了承を得た。
「隊長はご主人様と一緒に、毅然とした態度でいてください」
ファレスは頷くセシルを眺めながら、これはコーデリアやセシルを裏切りかけた自分の役目だと強く意識する。
「既に準備は整っています」
「わかったわ。最後の審判は私が下すけれど、それまではファレスに任せるわ」
コーデリアからの許可を得たファレスは一礼してから動き出す。二人から離れたファレスは一部の見張りを除いて全員を広場に集めさせた。
コーデリアとセシルが少し離れたところで見守る中、ファレスが整列した奴隷騎士たちに里のエルフとの話し合いの顛末を伝え、受け入れられることを前提に準備をしておくよう告げた。
「我々奴隷をご主人様や隊長が騎士として扱ってくださるように、我々もエルフ族を蔑むようなことはあってはなりません。我々に救いの手を差し伸べてくれる恩人として接することを望みます」
隊員たちの顔には多少の戸惑いが浮かんでいたが、エルフ族に助けを求めるためにここまでやってきたことは周知の事実のため、特に反論が起こるようなことはなかった。元々、コーデリアがウィスマン奴隷商に求めた人材に、奴隷や他種族に対する差別意識の少ないという条件を付けていたことも幸いしていた。
「さて。厳密にはまだお世話になると決まったわけではありませんが、助けを求める側としては我が身を正しておかなければなりません」
ファレスはそう言い切り、整列した隊員たちの中央に位置する一人に鋭い視線を向けた。ファレスが指を鳴らすと、怯えたように身を竦めた女性騎士の周囲の隊員たちが外側の騎士を更に外に追いやり、数人が円形となってその騎士を取り囲んだ。
その円の中にファレスが分け入り、女性騎士を正面から見据えた。
「あなたに問わなければならないことがあります」
そう告げたファレスの声はひどく冷たく、仲間の隊員に武器を突き付けられた女性騎士は絶望の表情を浮かべていた。




