16-17.休息
「ジンくん、すまない」
オニキスを駆って避難所の近くに戻ってきた仁に、ヴィクターが頭を下げた。
「いえ。ヴィクターさんが謝ることじゃないですよ」
仁はヴィクターの肩に手を置き、顔を上げるように促す。ルーナリアからの伝言を頼まれただけのヴィクターに、何の非もあるはずがない。ルーナリア主従が仁の帰りを待つことなくこの地を去ることを既に予感していたこともあり、仁はそれほど衝撃を受けることはなかったが、自身の言葉が届かなかったことを悔しく思った。
一瞬、すぐに追いかければ追いつくのではないかという考えが過るが、決意を固めたルーナリアを説得できる未来は全く想像できなかった。仮に追いかけて同行を申し出たところで、断られてしまうのは目に見えていた。そもそも、仁は政治面では何の役にも立たないばかりか、ガウェインや帝国上層部に悪感情を抱かせてしまうに違いない。
仁は大きく溜息を吐き、自分の不甲斐なさをまとめて体外へ排出する。ルーナリア主従のことは心配だが、ルーナリアが言っていたように、できることを少しずつでも確実にやっていこうと無理やり気持ちを切り替える。
仁はオニキスを柵の外に待たせ、ヴィクターを伴って避難所に向かった。
バランと情報のすり合わせを終えた仁は、マルコらの無事を確認してからオニキスの元に戻った。バランやマルコたちには感謝の言葉と共に避難所のテントで休むように言われたが、オニキスだけを残しておくのが忍びなく、仁は避難所から少し離れた草むらの中に自前のテントを用意した。
「オニキス。頑張ってくれてありがとう。あまり時間は取れないかもしれないけど、少しでも休んでほしい」
『はい。主』
燦々と日光の降り注ぐ中、仁はオニキスを一撫でしてからテントに入り込む。座った途端、どっと疲労感が押し寄せ、仁はそのまま体を横たえた。寝袋の上に仰向けになり、仁はそっと瞼を閉じた。
仁は瞼の向こうに光を感じながら、これからのことを考える。
仁個人の方針としてはエルフの里に向かうくらいしか選択肢はない。バランたちが即座にメルニール奪還に動くというのであれば力を貸すことに吝かではないが、先ほどの会合で、バランはこの避難所からも撤退を進める方針だと言っていた。
帝国軍の本体が現れる前に魔物を一掃してしまえれば奪還は可能かもしれないが、魔王妃の眷属の力を目の当たりにした冒険者たちの多くが戦意を失っていた。探索者に至ってはほとんど壊滅状態で、探索者ギルド長の生死すら不明とのことだった。このような状況で再び戦端を開いても、勝ち目などない。
そもそも、雷蜥蜴をどうにかしなければ戦いにすらならない上に、魔王妃の眷属がこれで打ち止めとは限らないのだから、なおさらだ。
仁は痛いくらいきつく目を瞑る。
今この避難所には、行く当てのない人々の他に、これまで真の意味で危機感を抱いてこなかったものたちが多く含まれていた。警告を深刻に受け止めず、ろくに準備をしていなかったものたちは別の都市や他国に縁があっても、遠方まで逃れることができなかったのだ。
バランはそういった者たちには最低限の食料や水、物資を与えて早期の退去を推奨していくようだ。しかし、本当にどこにも行く当てのないもの、もっと言えば、他の土地では生活基盤を築けないような身寄りのない女子供や老人、怪我人、病人たちは避難所に残るしかない。
バランはどうしてもの場合は帝国に降るのも止む無しと覚悟しているようだが、避難所がそれより前に魔物の襲撃を受けることを危惧していた。早々に交渉の使者を帝都に向けて送ったバランは、まさか帝国軍が早くメルニールを占拠することを願うことになるとは思わなかったと自嘲していた。
仁は避難所に残らざるを得ない人々のことを思うと何とか助けたい気持ちになるが、個人の力ではどうすることもできない。本心では希望者全てをエルフの里に案内したいと思うものの、エルフ族の許可どうこう以前に、里のキャパシティを考えるとそれは不可能だ。
元々、仁はエルフの里とメルニールの仲立ちをするつもりだったし、バランはエルフの里と協力関係を築くためにエクレアを派遣したようだが、協力することと多くの住人を受け入れることでは話の規模が違い過ぎる。
「エルフの里がもっと広ければなぁ……」
仁が瞼を開けて溜息を吐く。時間をかければ里の規模を広げることは不可能ではないだろうが、すぐにどうにかなる問題ではない。仁は現実味のない思考を自嘲気味に笑って、再び瞼を閉じた。
その後もいろいろと頭を悩ませるが、これと言っていい案が浮かぶことはなく、やがて仁の意識は微睡の中に消えていった。
『主……主……』
テントの外のオニキスが念話で仁の覚醒を促した。仁はゆっくりと目を開き、パチパチと何度か瞬きをして眠気を払う。仁がどのくらい眠っていたか気になってオニキスに外の様子を尋ねると、日が傾き始めているとのことだった。
「それで起こしてくれたんだね。ありがとう」
『あ、いえ。主のお友達がお見えです』
「え?」
「ジンくん。起こしてしまってすまないが、少し時間をもらえるかい?」
どうやら訪問者は既に外でオニキスとやり取りをしていたようで、仁は慌てて起き上がると、寝袋をアイテムリングに収納し、来客を招き入れる。照明の魔道具がテント内部を明るく照らしていた。
「すまないね」
「いえ」
仁がテントの奥に座って待ち構えていると、入口から若い男の整った顔が覗いた。申し訳なさそうな顔に、仁は笑みを浮かべて応じる。仁が入室を促すと、ヴィクターは仁の正面から横に少しずれたところに腰を下ろした。仁が首を傾げる。
「し、失礼します……」
ヴィクターに続いて入ってきたのは、見覚えのある年若い人族の女の子だった。仁は泣きはらして目を赤くした少女がファムやキャロルの友人だと思い出し、その憔悴しきった様子に心を痛める。
避難所までの道中で聞いた話では少女は魔物の襲撃直後に避難していたようだが、住み慣れた街を追われたことに変わりはなく、親しい人や知り合いが被害に遭っていないとも限らない。仁はかける言葉が見つからず、ヴィクターに視線を向けた。
「ジンくん。恥を忍んで君に頼みたいことがあるんだ」
ヴィクターの真摯な顔に、罪悪感のような色が浮かんでいた。




