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奴隷勇者の異世界譚~勇者の奴隷は勇者で魔王~  作者: Takachiho
第三章

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3-5.偽善

 翌朝、仁と玲奈は新たな気分でダンジョンに向かっていた。玲奈からは昨日までの張りつめた緊張感が消えて、二人揃って足取りが軽くなっていた。玲奈はこれまで俯き加減で歩いていた道が違った景色に見えるのか、キョロキョロと辺りを見回していた。


「本当にいろんな人がいるんだね」


 中央の塔の入口付近の広場には、冒険者や探索者、サポーターが雑多に集まっていた。待ち合わせをしているもの、自らを売り込んでいるもの、何かしら言い争っているもの。そこでは様々な日常の営みが繰り広げられていた。


 ふと玲奈の目が一点で止まった。仁が視線を追うと、そこには一人の獣人の小さな女の子の姿があった。くすんだ小麦色をしたボサボサの髪が肩の下まで伸び、頭の上に小さな犬耳が生えていた。犬人族の女の子は痩せ細った体を壁に預けて座り込んでいる。長く伸びた前髪の隙間から覗く赤紫の瞳が虚ろに見えた。


「仁くん。あの子って」

「うん。犬人族の女の子だね。随分幼く見えるけど、サポーター希望の子かな」

「今にも倒れちゃいそうに見えるけど、大丈夫なのかな……」


 仁はここ数日、その10歳くらいに見える女の子がいつも同じ場所にいたのに気づいていた。朝ダンジョンに入るときも、昼前にダンジョンから出てきたときも、女の子はその場所にいたため、サポーターの仕事を取れているとは思えなかった。仁は、どこか玲奈の演じていたアニメのキャラクターを思わせる衰弱した女の子を気にしつつも、何もできないでいた。少し辺りを見渡せば、程度の差はあれ、同じような境遇と思しき少年少女の姿が目に入った。


 かつてのラインヴェルト王国でも似たような光景は広がっていた。奴隷落ちはしていないまでも、満足な稼ぎを得られない人たちはスラムと呼ばれる街の隅の一角に集まって困窮した生活を送っていた。王女がなんとか救おうといろいろな政策を打ち出していたが、結局そのすべてを救うことはできないでいた。


 メルニールでも少なからず同じ状況なのだろうと当たりを付けていたが、今の仁には慈善事業に力を割く余裕はなく、何かしら関わり合いが生まれない限り、見て見ぬふりを決め込むつもりだった。


「仁くん……」


 玲奈が懇願するように上目遣いで見つめてきた。仁はこれが関わり合いなのだと思った。


「俺は玲奈ちゃんの奴隷だからね。ご主人様の意向には従わないとね」


 仁の言葉に、玲奈は申し訳なさそうに眉根を寄せた。仁は慌てて付け加える。


「実は俺も気になっていたんだよ。あの子、玲奈ちゃんが演じたキャラにどことなく似てるしね」

「あ。やっぱりそう思う? もちろん心配なのもあるけど、親近感を感じちゃって」


 玲奈がはにかんだ。仁は玲奈のこの表情を見られただけで、犬人族の女の子に手を差し伸べるだけの理由になると思った。仁は玲奈を促し、女の子に近づいた。


「こんにちは」


 仁が声を掛けると、女の子の頭が僅かに持ち上がった。虚ろな瞳が仁を捉えて微かに揺れた。仁はしゃがみ込んで目線を合わせた。玲奈も隣でそれに続いた。


「俺たち、サポーターを探してるんだけど、君はサポーターでいいのかな?」


 女の子の頭が僅かばかり縦に動いた。


「それじゃあ今日1日君を雇いたいんだけど、いくら払えばいいかな」


 虚ろな瞳がぱちぱちと数回瞬きを繰り返した。


「ミルでいいの……?」


 仁と玲奈は二人揃って大きく頷いた。可能な限り優しい声を出すように心がける。


「ミルちゃんって言うんだね。ミルちゃんさえよければ、お願いしたいな」


 女の子は重たい頭をゆっくりと左右に動かし、仁と玲奈の笑顔を交互に見つめ、青白い表情にほんの少しだけ笑みを浮かべた。


「俺は見ての通り奴隷の仁で、こっちが俺のご主人様の玲奈ちゃん。ミルちゃん、よろしくね」

「玲奈です。よろしくね」

「ミルはミルです。よろしくお願いします」


 ミルがゆっくりと立ち上がって小さくお辞儀をした。顔を上げたミルに、改めて契約料を訊ねる。


「1日だから、銀貨2枚」

「あれ。少なくないかな。大体の相場は銀貨5枚って聞いたけど」

「ミルは非力で、あまり役に立てないから……」


 仁は華奢というより痩せ細ったとしか言えないミルの細い手足に目を遣った。確かにサポーターの荷運びという主な仕事柄、力の強さは重要だった。ミルのような子の場合、安くしないと客が付かないのだろう。そして稼げなければ食うものに困り、更に痩せ、衰弱した体では仕事が取れず、悪循環に陥っているとしか思えなかった。


 しばらく話していると、ミルのお腹から可愛らしい音が聞こえた。


「ミルちゃん、もしかして朝ごはん食べてない?」


 ミルが血色の悪い顔を僅かに赤らめ、下を向いた。


「仁くん、何かこの場で食べられるものない?」

「ちょっと待ってね」


 仁は背負っていた革袋を地面に下ろし、左手を突っ込んでアイテムリングに保存していた焼き鳥を1本取り出した。


「はい。これぞどうぞ」


 ミルの大きな瞳が、目の前に差し出された香ばしい匂いを振りまく焼き鳥に釘付けになった。ミルが大きく唾を飲み込んだ。ミルがはっと我に返り、頭をぶんぶんと左右に振った。


「遠慮しなくていいよ。俺たちもさっき食べてたんだけど、ちょっと買い過ぎちゃって、どうしようかと思ってたところなんだ」


 玲奈が隣でうんうんと頷く。ミルはそれでも悩んでいたが、もう一度腹の虫が鳴ったところで、おずおずと串を受け取った。ミルの小さな口がゆっくりと薄い塩味の鶏肉を咥え込んだ。次の瞬間、ミルの目が大きく見開かれると、そのまま勢いよく齧り付いた。あっという間に鶏肉がミルの腹に収まっていく様を微笑ましく眺めながら、仁はもう一本を取り出した。


「いいの……?」


 仁が頷くと、ミルは瞳を輝かせた。虚ろだった瞳に光が戻ってきていた。仁が焼き鳥を渡すと、ミルは脇目も振らずに一心に食べ始めた。肩をトントンと叩かれて横を向くと、玲奈が仁の耳に口元を寄せた。


「次は私に渡させて」


 小声で囁く玲奈に、仁は思わず笑い声を零した。仁の声に反応してミルが仁の方を向いた。仁が何でもないと告げると、ミルは再び手に握られた串に視線を戻した。仁はアイテムリングからもう一本の焼き鳥を取り出し、こっそりと玲奈に手渡す。玲奈はわくわくと体を小さく揺らしながら、ミルが食べ終えるのを待っていた。


 仁はそんな玲奈とミルの姿を微笑ましい思いで眺めていた。すべてを救えるわけではないし、できることも限られてはいるが、例え偽善でも、何もしないよりはいいのかもしれないと思った。


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