14-29.八脚軍馬
八脚軍馬は一角馬の変異種とされる魔物だ。変異種が生まれる理由は不明だが、地球における突然変異と似たものと考えられている。実際、馬の魔物の群れにいる少年声の八脚軍馬の両親はどちらも一角馬だった。
一角馬の亜種は別に存在するが、八脚軍馬とは明らかに別種であり、それが八脚軍馬が変異種であると言われる所以でもある。
古くから続くこの群れでは過去に一度、八脚軍馬が生まれたことがあるそうだが、その個体は騎手となった者と旅立ち、この地に戻ることはなかったという。ただ、その伝承が残されていたことから、新たに誕生した八脚軍馬も、殊更異端視されることなく、群れに受け入れられたのだった。
一角馬という種は元来気性の激しいものが多いが、それは敵対する相手に対してであり、仲間や味方と定めたものたちには思いやりを持って接し、穏やかな時を過ごしている。
八脚軍馬も他の同年代の一角馬と同様、いつも母馬の後ろを付いて回り、変異種だからと差別されることもなく、幸せに暮らしていた。
しかし、いつからか、八脚軍馬の胸の内に、どこか満たされないような正体不明の感情が住みついたのだ。
そんな八脚軍馬の心の機微を敏感に察知した両親は、我が子にその悩みが八脚軍馬という種に起因するものだと告げたのだった。
八脚軍馬は生まれながらの軍馬。騎手を乗せて戦う馬であり、本能的に自らの乗り手を求めてしまう。八脚軍馬という種は乗り手を得ることで幸せを感じ、その先にある人馬一体を体現することを至上としているのだと、八脚軍馬の両親は伝承で知る知識を伝えて、息子を安心させようとしたのだ。
『だからお前はおかしくないよ。それがお前にとっては普通のことなんだ。だからいつかお前も良い乗り手と出会えるとといいね』と。
優しく告げる両親の何の裏もない澄んだ瞳。純粋に息子を案じる穏やかで真摯な、慈愛に満ちた両親の姿が、幼い八脚軍馬を絶望へと追いやった。
八脚軍馬は一角馬とは違う。それは即ち、八脚軍馬は自身の愛する優しい両親とも、仲良い友人たちとも、温かく見守ってくれる群れの大人たちとも、同じではないということだった。
それ以来、幼い八脚軍馬にとって未知だった感情は、その正体を知ると同時に呪いとなった。乗り手を求める本能とも言える気持ちが、自身が両親や仲間たちと違う種だという何よりの証となってしまったのだ。
更に八脚軍馬を追いたてたのは、両親から告げられた八脚軍馬固有の能力である魅了の話だった。人種――人族に限らず、所謂人型の生物――の騎乗したいと思う気持ちを増幅することで乗り手を得やすくする能力。魔物である八脚軍馬が乗り手を得るためには必要な能力とも言えるが、その想いを否定したい幼い八脚軍馬にとっては悪夢のような能力だった。
それでも、長年この地に人種が訪れることはなく、近辺には騎乗する習性を持つ人型の魔物も生息してはいなかったことから、幼い八脚軍馬は自身の本能的な欲求を無理やり抑え込むことで、一角馬であろうとした。
しかし、より早く、より逞しく、より大きく成長する体は、八脚軍馬にそれを許しはしなかった。
同年代の一角馬より遥かに大きな体に育ち、否応なく別種であるという事実を突き付けられる八脚軍馬に対し、周囲の大人たちがその戦闘能力に期待する節を見せ始めたのだ。
群れとなることで魔の森で暮らしていけるだけの力を持っている一角馬だが、それ以上の力を持つ存在はいくらでもいることを知っていた。身近にドラゴンという、力の象徴とも言える存在がいることが何よりの証拠となっていたのだ。
その期待は決して八脚軍馬の力に頼り切ろうというものではなく、何かあったときには一緒に遊んでいる自分や群れの子供たちを守ってくれるのではないかという程度のものだったのだが、幼い八脚軍馬には『お前は我々と違って軍馬なのだから戦うことが好きなのだろう』と言われているのに等しかった。
故に、八脚軍馬は戦いを避けるようになった。
一角馬たちの暮らす地は一角馬の縄張りとなって久しいため、やたらと他の魔物たちに襲われるようなことはないが、それでも全くないとは言えなかった。ドラゴンの存在が多少の抑止力にはなっていたが、魔の森に暮らしているのは知能のある魔物たちだけではないのだ。
そのため、一角馬の子供たちは友人とのじゃれ合いなどから始まり、生きていく上で自然と戦うことを覚え、やがて群れの戦力となっていくのだが、八脚軍馬は同年代の一角馬たちからも遠ざかるようになってしまった。
“自分は戦いなんて望まないし、戦う力も必要ない”
そんな心の安寧を得るための幼い抵抗を、後に八脚軍馬は心の底から後悔することになるのだった。
「合成獣が現れたんだね」
仁が確信を持って告げると、八脚軍馬は襲撃当時を思い出しているのか、湖の畔から森の境目までを、様々な感情の入り混じった瞳で見つめる。
『ボクは戦い方を知らなかった。知ろうともしなかった。それでも、自分に力があることは感覚的に理解していたんです。その気になれば魔法だって使えた」
八脚軍馬の赤い鬣から炎が巻き起こり、金色の角が放電する。
『それに、体だって一番大きかったし、角だって一番丈夫だった。だから、体当たりでも頭突きでも、やろうと思えば、戦おうと思えば、いくらでもやりようはあったんです。だけど――』
戦うことから逃げ続けていた八脚軍馬の逞しい脚は、群れの大人たちが、両親が果敢に挑んでいくときも、力及ばず敗れ去った後も、戦場へ一歩を踏み出すことを拒み続けた。
『お父さんもお母さんも、ボクに戦うことを求めなかった。まだ子供なんだから戦う必要はないって。もう二人より大きな体をしていたボクに、他の子供たちと一緒に逃げろって言ったんです』
そして、戦いたくても戦えない、逃げたくても逃げられない、感情と思考の袋小路に迷い込んだ八脚軍馬に、両親は免罪符を与えた。
“もし、どうしてものときが訪れてしまったら、どうか心を奮い立たせて群れの子供たちを守ってほしい”
それは八脚軍馬が群れの大人たちから感じ取っていた淡い期待。自身が嫌がり、拒絶したその願いが、八脚軍馬の言い訳となったのだ。
八脚軍馬は一角馬の子供たちと一緒に逃げ続けた。
幸か不幸か、特段逃げた子供たちに執着しなかった合成獣は大人たちを食い散らかした後、新たな獲物を求めたのか、戦闘で荒れ果てたこの地を後にした。
戦う力を持ちながらも戦うことをしなかった八脚軍馬を責めるものは誰もいなかった。同じように悼み、慰め、生きていることを喜び合った。
そして、八脚軍馬は、確かに自分は一角馬とは違うが、そのことに一番拘り、負い目を感じていたのは他ならぬ自分自身なのだと悟った。
『それから、ボクは戦い方を学んだ。誰に言われたからでもなく、ボク自身の意志で。今度何かあったら、そのときこそ、ボクの力を群れのみんなのために役立てるんだって。見た目は違っても、ボクも同じ群れの仲間、家族なんだからって。だけど……』
八脚軍馬の視線が仁を捉え、遠くで戯れている玲奈たちと一角馬たちへと移動する。
『余所者からみんなを守らないとって思った気持ちは嘘じゃないんです。ようやく元の穏やかな暮らしが戻ってきたところに面倒事を持ち込むなって、必死だったんです。でも――』
八脚軍馬の赤い瞳が再び仁の姿を映した。八脚軍馬は逸れそうになる視線を意志の力で固定し続ける。それは、葛藤しながらも今度は逃げないと自身に言い聞かせているようだった。
『でも、ボクは思ってしまったんです。あなたたちの姿を目にしたときに』
弱々しさを湛えながらも決意に満ちた赤い瞳を、仁は見つめ続ける。少しの間の後、仁の頭に念話が届いた。
『誰か、ボクに乗ってくれないかなって』
それは、母親に悪戯を告白した少年のように、想い人に愛の告白をした少女のように、怯えと期待を仁の心に響かせた。




