14-26.嘘つき
『う、嘘だ!』
仁の脳内に大音量の念話が響き渡る。静謐で温かな空気を切り裂くような叫び声は、中性的な少年声だった。仁が顔を上げると、遠巻きに様子を窺っていた八脚軍馬が仁を睨みつけていた。
『嘘に決まってます!』
黒馬の魔物が真紅の鬣を靡かせながら駆け寄り、純白の一角馬に並ぶ。八脚軍馬は荒々しく鼻息を吹き出し、その怒りに反応するかのように赤い鬣から炎が立ち昇っていた。
『控えなさい』
馬の魔物たちのまとめ役が宥めようとするが、八脚軍馬は強靭そうな前脚を地に叩きつけて仁たちを威嚇する。
『お父さんやお母さんが勝てなかった化け物が、人族なんかに倒せるわけない!』
再び頭に響き渡った念話に、ミルがハッと息を呑んだ。仁はミルの小麦色の髪を梳くように撫でてから一歩進み出て、八脚軍馬の正面に立った。
「君が信じたくないのなら信じなくていい。俺は別に恩を売りたいわけじゃない。この場所を襲った相手と俺が倒した合成獣が同一個体だっていう証拠があるわけじゃないし。ただ、君たちの懸念の一つを取り払えたらと思っただけだよ」
『あなたの話が嘘だったら、何の意味もないじゃないですか!』
「俺が倒したかどうかはこの際置いておくとしても、合成獣が倒された可能性が高いってわかれば多少は安心できるんじゃないかな」
『確証がなければ安心なんてできません! 嘘で惑わすのはやめてください!』
仁は八脚軍馬の赤い瞳を見つめて頬を掻く。証拠が提示できない以上、何を言っても平行線のままに思えた。
『いい加減になさい』
穏やかな声音だが、不思議と耳に残る声だった。先ほどは純白の一角馬の言葉を無視した八脚軍馬だったが、今度は僅かにたじろいで、恐る恐る顔を向けた。薄紫色の瞳が静かな威圧感を放っていた。
『御客人方。一族のものの無礼をどうかお許しください。お詫びというわけではありませんが、あなた方に協力させてもらいたいと思います』
『そ、そんな!』
まとめ役の一角馬の提案に八脚軍馬が抗議の声を上げるが、一角馬が瞳で黙らせる。
『ただ、先ほどお話しした通り、あなた方の戦力になり得るものは少なく、一族を挙げてということは難しいとご理解ください』
「それは、はい」
仁が頷くと、一角馬は穏やかに目を細め、背後を振り返った。
『この方々に力を貸してもよいというものは名乗り出なさい』
まとめ役の背後に控えていた一角馬たちが息を呑み、探るように互いに顔を見合わせる。仁は期待を持って見守るが、しばらくしても誰も名乗り出ることはなかった。
仁としては残念なことだが、仁たちに協力するということは、これから戦になるかもしれない場所に赴き、大国の軍隊や未知の強力な魔物と一緒に戦うという話なのだ。逆の立場で考えれば、おいそれと応じられないだろうことは想像に難くない。
『ほら。人族みたいに同じ種族同士で争う野蛮な種族に協力したいなんて、誰も思いませんよ。ましてや、この人は嘘つきですし』
『黙りなさい』
勝ち誇ったように鼻を鳴らす八脚軍馬に、純白の一角馬がぴしゃりと言い放つ。八脚軍馬はビクッと体を震わせて縮こまる。
『どうですか?』
まとめ役の一角馬はラベンダー色の瞳に再び白い毛並の仲間たちを映して尋ねるが、一角馬たちは戸惑うばかりで、名乗り出るものはいなかった。
『わかりました。他のものたちにも話してみましょう。お前たちもゆっくり考えなさい』
まとめ役は仲間の一角馬たちが頷くのを確認してから仁たちに向き直った。
『そういうわけですので、申し訳ありませんが、もうしばらくお時間をいただけますか?』
「はい。構いません。急な話だということは理解しているつもりです」
エルフの里に危機が迫っている現状、あまり長くは待てないが、一角馬たちが考える時間は必要だ。仁たちが了承したのを受け、まとめ役の一角馬が足を引きずりながら離れたところにいる仲間たちの元に向かう。先ほどまとめ役を連れてきた綺麗な白い毛並の一角馬がまとめ役に先だって駆けていき、他の一角馬たちがまとめ役の後に続く。
『待つだけ無駄だと思いますけど』
仁が白い背中を見送っていると、八脚軍馬が吐き捨てるように言った。
「君は行かなくていいの?」
『ボクはあなたたちの監視です』
「そんなに警戒しなくても、何もしないよ」
『ふん』
八脚軍馬はプイッと仁から顔を背ける。仁は嫌われたものだと溜息を吐き、玲奈たちを促して湖の畔に移動して、他の一角馬たちの反応を待つことにした。
「仁くん。協力してくれる子がいるといいね」
「そうだね」
仁と玲奈は隣り合って座り込み、遠くの馬の魔物たちを眺める。八脚軍馬ほど際立って個性的な個体は見当たらないが、白や灰色だけでなく、遠目には黒毛に見える個体も僅かながらに存在しているようだった。
仁の元の世界での印象だとユニコーンは一角の白馬だったが、この世界の一角馬は違うのか、それとも亜種や変異種なのだろうかと仁は頭を捻りながら八脚軍馬に目を遣る。
八脚軍馬も一角馬も同じ馬型の魔物であることは間違いないが、パッと見たところ、同じ種とは思えなかった。
先ほどのやり取りを見る限り、八脚軍馬も仲間として扱われていたが、同じ種としての仲間なのか、群れの仲間としてなのかは不明だ。
更に言うなら、八脚軍馬にはよそ者として嫌われているようだが、一角馬たちのように仁が男だから嫌われているわけではなさそうだった。
もっとも、それに関してはまとめ役の一角馬も仁を嫌っていないようだったため、もしかすると一角馬の全てが男性嫌い、延いては処女好きというわけではないのかもしれない。
となると、玲奈が一角馬たちから警戒されずに近づけたのにも別の理由がある可能性が出てくるが、仁としては一角馬が元の世界のユニコーンと同じ性質を持っていると思いたかった。
仁がそのようなことを延々と考えていると、ロゼッタやカティアと一緒に湖の中を観察していたミルが意を決したような顔で八脚軍馬に近付いて行った。イムがミルを見守るように随伴している。
仁はハッとし、制止しようと立ち上がりかけるが、八脚軍馬には敵意はあっても害意はないように感じ、思いとどまる。
「ジンお兄ちゃんは嘘つきじゃないよ?」
八脚軍馬の足元から、ミルが黒い前脚にそっと触れながら、首を目一杯後ろに倒して赤い瞳を見上げた。
八脚軍馬は鼻先を下に向け、しばらくミルと見つめ合っていたが、純真さの塊であるミルの視線には勝てなかったのか、パッと顔を背けた。
その直後、八脚軍馬が瞼を最大まで持ち上げ、固まった。丸く赤い瞳には、こちらに近付く白い姿が映し出されていた。




