14-24.軍馬
仁が一角馬と向かい合う玲奈たちの側面に躍り出る。魔力の高まりを感知した仁はアイテムリングから不死殺しの魔剣取り出し、湖と玲奈たちを背に、森の中、嘶きの聞こえた方角に鋭い眼光を送った。
「来る!」
仁が叫んだ瞬間、日の届かない薄暗い森の中に光が見えた。金色に瞬いた光が雷となって仁の横を通り抜け、玲奈と純白の一角馬の中間の地面を抉る。
馬の魔物たちが慌てた様子で銘々に散っていくが、仁の注意は雷魔法の飛んできた元に向いていた。
「仁くん」
玲奈が小盾を構えて仁の横に並ぶ。ミルにロゼッタ、カティアが二人の後ろでそれぞれに身構える。イムはミルを庇うように、ミルの前方の上空に浮いていた。
仁たちが固唾を呑んで見つめる視線の先から一頭の馬の魔物が姿を現す。ぬっと森から出でたそれは、闇に溶けるような黒い毛並に燃え盛る炎のような真紅の鬣を靡かせ、元の世界の競走馬と同じか、やや小さいくらいのサイズの一角馬たちよりも一回り大きい体躯を持っていた。
そして、その魔物を表す最たる特徴は、雷のマークのように鋭く折り返した一本の角だった。金色に輝く角は、電気を帯びているかのようにバチバチと空気を弾けさせている。
仁は先ほどの嘶きと稲妻が目の前に現れた魔物の仕業だと確信すると共に、並々ならぬ敵意を感じた。
仁が魔眼を発動させる。仁の左目が魔物の正体を暴き出し、仁は生唾を飲み込んだ。
“八脚軍馬”
仁の知識によれば、スレイプニルとは元の世界の北欧神話の主神オーディンの騎乗した八本脚の軍馬の名前だ。見たところ、目の前の魔物の脚は4本だが、神話の軍馬の名前を冠する魔物が弱いとは思えない。
仁が激戦を予感していると、頭の中に重く低い声が響いた。
『立ち去れ』
その声は耳で捉えたというより、頭の中に直接響いているようだった。仁は戸惑いながらも、おそらく八脚軍馬のステータスの中にあった念話という技能によるものだろうと察しを付ける。
念話とは元の世界の創作物における、所謂テレパシーと同質のものだ。言葉を口にせずとも、頭に、心に直接意思を伝える超能力のようなものだと仁は理解している。
問答無用で戦闘になるのではと思っていた仁は、八脚軍馬の怒りに燃える赤い瞳の奥に僅かに残る理性の欠片を見出した。
もし八脚軍馬が本気で敵対するつもりなら、先ほどの雷撃を地面に向かって放つ理由もなければ、念話を送ってくる意味もない。黒い馬の魔物がゆっくりと仁たちとの距離を詰める。
『何人たりとも我らの領域を侵すことは許さぬ。早々に立ち去れ』
八脚軍馬が一足の距離まで近づいたとき、再び脳内に念話が届いた。仁は眼前に迫った威圧感に抗い、剣を下げて一歩前に出る。玲奈が何か言いたげな視線を寄越していたが、仁は「今度は俺に任せて」と小さく告げ、漆黒の馬の魔物に向き合った。
「勝手にあなた方の縄張りに足を踏み入れたことは謝罪します。ですが、俺たちに敵意はありません。こちらの言葉が理解できるのであれば、どうか話を聞いてください」
八脚軍馬の“我ら”という言葉から、仁は眼前の魔物が一角馬たちと同じ群れに属していると推測した。仁は真摯な想いを瞳に込めるが、八脚軍馬は目を鋭く細める。
『問答無用。立ち去らぬというのであれば、我が雷の餌食となるがよい!』
黒い魔物が前脚を仁の頭よりも高く振り上げ、金色の角が輝きを放った。仁は交渉決裂を予感し、避雷針の如く魔剣を掲げる。仁の頭上から稲光が走った。
「……え?」
一拍置いて、仁の口から戸惑いの声が零れ落ちる。八脚軍馬の放った雷撃は、仁の足元に落ちていた。追撃のないまま、仁が眼前の魔物の動きを注視していると、闇夜のように黒い前脚が音もなく地に下ろされた。
「あの、話を――」
『立ち去れ!』
再び前脚が振り上げられ、額の角から稲光が走った。雷撃は再度、地を穿つ。仁が足元を見下ろしてから顔を上げると、前足を地に下ろして仁を睨みつける赤い瞳と目が合った。
「えっと……。話を――」
『立ち去れ!』
三度同じことを繰り返す。仁が怪訝そうに目を細めると、八脚軍馬が極僅かに後ずさった。仁の頭に、もしかして目の前の魔物はこちらを攻撃する気がないのではないかという考えが過る。
そう思い至ってから改めて魔物の様子を観察すると、威圧感たっぷりに見えていたものが、実は強がっていただけのように思えてきた。仁は掲げていた魔剣を下ろす。
「あの――」
『お願いだからどっかに行ってくださいぃいいい!』
まだ交渉の余地が残されているのではと考えた仁が再度口を開こうとしたとき、大音量の念話が仁の頭の中に轟いた。先ほどまでの低く重みのある声ではなく、声変わり前の少年のような、高く中世的な声だった。
仁は目を瞬かせる。混乱した仁がチラリと斜め後ろに目を向けると、念話が聞こえていたのか、玲奈も目を丸くして、パチパチと瞬きを繰り返していた。
「えっと……」
八脚軍馬は強靭そうな脚をぷるぷると小刻みに振るわせていた。
『もうお止めなさい』
仁たちが怯えたような目を向けてくる八脚軍馬に戸惑っていると、落ち着いた女性のような声が脳内に響いた。足音が聞こえて振り返ると、八脚軍馬と同等の体躯を持った純白の一角馬が後ろ脚の一本を引きずるようにゆっくりと近付いてきていた。玲奈が話しかけた中にはいなかった個体だ。少し後ろを歩いている、先ほど玲奈と話していたと思われる一角馬が呼んできたのだろうと仁は考える。
『御客人。若い衆が失礼を致しました』
巨躯の一角馬が八脚軍馬に並び、頭を垂れた。もう一頭は少し離れたところで足を止め、他の仲間たちと一緒に遠巻きにこちらの様子を窺っているようだった。
ゆっくりと顔を上げた一角馬が隣で震えている魔物に目を向けると、八脚軍馬がビクッと大きな体を揺らした。
『ご、ごめんなさぃいいい!』
八脚軍馬が勢いよく頭を下げると同時に、再び大音量の念話が仁の頭に響き渡った。
『お前は下がっていなさい』
一角馬が溜め息でも吐くように鼻を鳴らすと、八脚軍馬は項垂れた様子ですごすごと退散していく。
『御客人。あの子はあのようななりをしていますが、まだほんの子供でして。どうかご容赦ください』
「い、いえ。こちらは元々争うつもりはなかったので、戦闘にならずに済んでよかったと思っています」
仁は哀愁漂う八脚軍馬の後ろ姿から正面の一角馬に視線を移した。
『それで、聞くところによると、何やらお話があるとか』
神々しいまでに純白の一角馬は仁たちに順に目を向けてから、仁をリーダーと認識したのか、その視線が仁を真っ直ぐに捉えた。ラベンダーのような澄んだ紫の瞳には、仁が男性だからと嫌悪しているような色は見られなかった。
仁はホッと内心で安堵の息を吐き、馬の魔物たちの棲むという湖を目指した理由を語り始めた。




