3-2.願い
あの後、襲ってきた人狩猟犬を仁が蹴散らし、手早くダンジョンから脱出した。そのまま宿屋まで直行した。玲奈の綺麗な脚が内股気味になっていた。
「あ。ジンさん、レナさん!」
宿屋の入口を跨ぐと、受付カウンターに座ったリリーが満面の笑みを浮かべた。
「あ、リリー。また後でね!」
挨拶もそこそこに、玲奈が階段をバタバタと駆け上がっていった。リリーが呆気にとられていた。
「ジンさん。レナさんどうしたんですか?」
「あ、うん。ちょっと急いでてね。リリー、こんにちは。どうしてここにリリーが?」
仁は玲奈の名誉のためにも話題を変えた。
「ジンさん。こんにちは」
リリーがペコリと頭を下げた。トレードマークのツインテールがひょこひょこと揺れた。
「わたし、メルニールにいるときは時々フェル姉のお手伝いをしてるんです」
「フェル姉?」
「ここの女将です」
話を聞いてみると、リリーは幼い頃からフェリシアと仲良くしていて、若くして1人で鳳雛亭を切り盛りしているフェリシアの手伝いをしているとのことだった。最近では僅かながら給金も支給されているようで、知り合いの店で手伝いがてらアルバイトをしている感覚なのだと仁は理解した。マルコもフェリシアを気にかけているようで、鳳雛亭を紹介された理由の一端を垣間見た気がした。
「あ、レナさん。もういいんですか?」
階段を下りてくる玲奈を見つけたリリーが声を掛けた。
「うん。リリー。こんにちは。慌ただしくしてごめんね」
胸の前で手を合わせる玲奈の顔はほんのりと朱に染まっていた。玲奈にリリーがアルバイトをしているそうだと伝えると、目を丸くした。
「すごいね、リリー。私、アルバイトってしたことなくて」
仁は玲奈がラジオなどでことある毎にアルバイトをしてみたいと言っていたことを思い出した。仁にしてみれば中学生の頃から声優の仕事をしている玲奈はアルバイト以上のことをしているように思えたものだが、逆に、玲奈がいわゆる普通の学生生活への憧れを持つことは理解できるような気がしていた。
「そうなんですか? やっぱりレナさんはC級かB級の冒険者になったんですよね。そっちの方がすごいですよっ」
リリーが仁と玲奈の首から下げられている銀色のギルド証に視線を送ってから、玲奈を尊敬の眼差しで見つめた。ギルド証を常に掲示しておく義務はないが、余計な諍いを避ける意味でも、首から下げておくのを冒険者ギルドから推奨されていた。
少し間、リリーと世間話をしていたが、仕事の邪魔になってしまうため、仁と玲奈は鳳雛亭を出て、マルコのところにお礼を言いに行くことにした。リリーからマルコの居場所を聞き、マクリール商会の小売店へ足を向けた。中央の塔にほど近いメインストリート沿いに、その店舗はあった。大した時間もかからずに到着した。店番をしている女性に声を掛けると、店の奥の部屋に通され、マルコと面会することができた。
マルコは仁と玲奈が生活雑貨などに困っていないか気を回し、格安で譲ってくれることになった。家具はアイテムリングでほとんど事が足りてしまうため、備え付けのもので十分だったが、ダンジョン内でも使える食器類や日用品をいろいろと新調しようと思っていた二人にとっては渡りに船だった。
「お礼を言いに来たのに、むしろ感謝しないといけないことが増えてしまいましたね。本当にありがとうございます」
「いえいえ。お二人の助力がなければワシや孫らは命がなかったのです。これくらいで返せる恩ではございませんよ。それでもワシに感謝をしてくれるというのであれば、孫共々、マクリール商会をご贔屓いただければと」
「はい。これからもよろしくお願いします」
マルコと別れた後、少し遅めの昼食がてら屋台を回り、気に入ったものを多めに購入しては、人目に付かないようにアイテムリングに放り込んだ。玲奈はお祭りのようだと目を輝かせ、仁はこっそりとデート気分を味わった。宿屋へ戻る前に冒険者ギルドに立ち寄り、今朝ダンジョンから持ち帰った魔石を買い取ってもらうと、屋台で使った金額の元が取れるくらいだった。
「レナ様、ジン様。もうダンジョンへ行かれたのですか?」
「あ、エクレアさん。1階層に少しだけですけど」
そのまま冒険者ギルドを出ようとしていると、受付嬢のエクレアが声を掛けてきた。昼過ぎのこの時間が一番出入りする冒険者が少なく、エクレアの受付列には誰も並んでいなかった。
「そうですか。お二人の実力であれば上層に出現する魔物は問題にならないと思いますが、気を付けてくださいね。それより下を目指すのであれば、やはりパーティの戦力の増強をお勧めします。同じ目的のフリーの冒険者と組むか、金銭に余裕があるのであれば戦闘のできる奴隷を購入し、ジン様のように奴隷冒険者にするのも手ですね。奴隷であれば手の内を口外しないように制約を与えることも可能ですので、そうしたことを気にされる方には特に重宝されています」
奴隷というと元の世界の人身売買のようなマイナスのイメージを受けるが、人として扱ってくれる主人であれば雇用契約に近く、生活保護などの制度のないこの世界では生きるための最後の砦としての意味もあった。もちろん帝国の多くの人のように奴隷を物扱いする主人であればこの限りではないが。
「それに関してはもう少し様子を見ながら考えてみますね」
仁と玲奈はアドバイスへの感謝を伝えると、冒険者ギルドを後にした。
「さて仁くん。少しお話があります」
自室のベッドに腰を下ろした玲奈が、居住まいを正した。仁もそれに倣って玲奈と対面する形で自分のベッドに座った。
「今後のダンジョンでの活動における、いわゆるトイレ問題についてです」
予想していた話題だったため、仁は静かに頷いた。
「この街に向かう途中、郷に入りては郷に従えの精神で、野外の物陰で、その、お花を摘むことは受け入れました」
仁は帝都を脱出した翌朝のことを思い出して頬が緩みそうになったが、鋼の意志で止めた。表情を気にするあまり逆に無表情になってしまったことで玲奈に感付かれ、キッと睨まれてしまった。玲奈の顔が朱に染まっていた。
「ですが、さすがにあれは無理です。仮に私が許しても、私の心の女の子の部分がどうしても許してくれません」
仁にしても、その行為自体はともかくとして、玲奈のあられもない姿にはもちろん興味があるし、ぜひ見たいとも思うが、それ以上に自分以外の男に見られるのは嫌だった。
「それでも、ダンジョンで力を付けることが、ルーナとの約束を果たし、この世界で生き抜くために最善であることはわかります。そこで、仁くんに訊ねたいことがあります」
仁を見つめる玲奈の真摯な瞳を受け、見つめ返すことで続きを促す。
「それでは聞きます。私に土魔法の修得は可能でしょうか」
仁は瞼を閉じて少しだけ時間を置いた。
「不可能ではないと思う。いや、玲奈ちゃんならきっとできる」
「ほんとっ!?」
先ほどまでの重苦しい雰囲気をかなぐり捨て、玲奈が勢い込んで前のめりになった。
「うん。勇者召喚に使われた魔力の一部が召喚される人の体を魔力的に強化してるから、玲奈ちゃんの体も魔法との親和性は高いはずなんだ。俺の雷魔法も後から修得したものだしね」
仁の言葉に、玲奈が顔を綻ばせた。
「仁くん。方法を教えて。私、絶対に土魔法を使えるようになる!」
それは心からの叫びだった。
「だから、それまでダンジョンに長時間入るのは勘弁してください!」
玲奈の切実な願いに、仁は頷く以外の選択肢を持ち合わせていなかった。




