1-2.異世界召喚
眠りから覚めるかのように、脳がゆっくりと覚醒していく。数度瞬きをすると、機能を取り戻した両の目に、見覚えのない景色が飛び込んできた。岩肌が剥き出しになった窓のない空間は、地下室のようであった。壁には高速道路のトンネルに付いているような長方形の照明具がいくつも設置され、部屋を明るく照らしている。
仁は辺りを見回す。正面には赤く塗られた甲冑に身を包んだ壮年の騎士風の男と、意志の強そうな銀髪碧眼の少女。その斜め後ろには金髪翠眼で耳が少し尖った小さな女の子。その3人を中心に、左右には銀色の全身甲冑の騎士が並んでいた。
仁の足元には魔法陣のようなものが描かれた真っ二つに割れてしまっている大きな石版があり、六芒星の各頂点それぞれに、ローブを纏った男女が息を切らして座り込んでいる。そして背後には、つい先ほど手を握っていた玲奈が不安げな表情を浮かべて呆然と佇んでいた。
仁はそれだけ確認したところで確信を得た。今の状況がかつて自身に起こったのと同じ異世界転移だと思い至った途端、靄のかかっていた記憶が鮮明に思い出され、頭を揺らして膝をついた。
「こちらの言葉は伝わりますでしょうか」
銀髪碧眼の少女が一歩近づいた。仁は顔を上げ、整った容姿に一瞬目を奪われた。少し年下であろう硬い表情の少女の視線が仁と玲奈の間を行き交う。仁は背後を見やり、玲奈と目を合わせて軽く頷きかけると、ふらふらする体に力を込めて立ち上がり、正面を見据えた。
「はい。問題ありません」
仁の言葉に少女の瞳が一瞬大きく開かれ、すぐに表情を崩して笑顔を浮かべた。
「ご挨拶が遅れました。私はグレンシール帝国第一皇女、ルーナリア・グレンシールと申します。以後お見知りおきを」
ルーナリアが髪と同じ色をした白銀に輝くドレスの裾を掴んで優雅に礼をするが、仁は礼を返すのも名乗り返すのも忘れて、固まってしまった。ルーナリアの言葉の中に、聞き覚えのある単語があった。
「グレンシール帝国……」
「はい。グレンシール帝国です。お二人には信じられないことかもしれませんが、この世界はあなた方のいた世界とは異なる世界です」
思わず零れた呟きに、ルーナリアが答える。背後で息をのむ玲奈の気配を感じた。
「突然のことで戸惑うことでしょう。あまりにも荒唐無稽な話で納得できないかもしれません。ですが、事実として、あなた方は我が帝国に勇者として召喚されたのです」
仁は頭が沸騰しそうな怒りをなんとか自制し、玲奈をルーナリアから隠すように立ちふさがった。深呼吸をして気持ちを静める。自分だけの感情で玲奈を危険な目に合わせるわけにはいかなかった。
「お話はわかりました。ですが、はいそうですかとすぐ納得できる話ではありません。少し私たち二人だけで話をする時間をいただけないでしょうか」
ルーナリアや周りの騎士たちの様子を窺いながら、こっそりと体内の魔力を練る。元の世界ではどれだけ努力してもできなかった魔力操作が、体を動かすのと同じように、意識することなく可能だった。
これならいつでも魔法を放つことができると安心する一方、どうも扱える魔力の量が少ない気がしてならない。とても黒炎地獄を撃てるとは思えなかった。早急にステータスを確認したいが、不用意な行動を取ることはできない。膝が震え、虚脱感を感じた。
「もちろん必ずその時間は設けます。ですが、もう少しだけこの世界について説明させてください。それと、お二人の名前をお聞きしてもよろしいでしょうか」
「はい。羽月仁です」
「私は佐山玲奈です」
「ジン様とレナ様ですね」
ルーナリアはゆっくり頷くと、銀甲冑の騎士に合図を送った。仁が警戒で目を細める中、騎士はA4サイズの白銀の板をルーナリアに渡す。鑑定石だ。
「これは鑑定石と呼ばれる魔道具です。魔道具というのは名前の通り、魔力で動く道具ですね。魔道具には様々な効果のものがありますが、鑑定石はステータスを確認するものになります」
仁には既知の情報だった。もう疑うべくもない。この世界は、かつて仁が勇者として召喚された世界と同じ世界だ。ルーナリアの側に控える騎士風の男の赤い甲冑にも見覚えがあった。かつてグレンシール王国の力ある騎士に与えられていた赤色甲冑と同様のものに見えた。
「す、すみません。魔力とか、ステータスというのは……?」
玲奈が仁の肩越しにルーナリアの手元の鑑定石を見ていた。
「そうでした。あなた方の世界には魔力も魔法も存在しないのでしたね」
ルーナリアが柔らかく微笑む。
「魔力というのはこの世界の生物を構成する要素の一つである魔素が持つエネルギーのことです。魔法というのは魔力を使って様々な現象を行使するものですね。例えば――清らかなる水源より流れ出て我が手に集え――水球」
静かな水面のような澄んだ詠唱を終えると、ルーナリアの手のひらの上にソフトボール大の水の球が浮かんでいた。玲奈が驚きに目を見張る。玲奈の新鮮な反応にルーナリアは頬を緩め、水球を消し去った。
「話を戻しましょう。それで、この鑑定石ですが、こうして板に手を当てて魔力を込めると、自らのステータスを確認することができるのです」
鑑定石が銀色の光を放ち、銀板の上に文字と数字が浮かび上がった。ルーナリアがそれを仁と玲奈に見えるように向ける。
名前:ルーナリア・グレンシール
種族:人族
年齢:15歳
職業:皇女
LV:18
HP:102/102
MP:115/115
力 :81
耐久:77
魔力:128
敏捷:82
技能:短剣術(1)・杖術(2)・体術(1)・魔力操作(1)・水魔法(3)・土魔法(2)
使役:シルフィ
「音の響きから、もしかしたらそうなんじゃないかとは思っていたけど、本当にゲームみたい……」
「過去の勇者の研究から、言語や文字に関しては、こちらの世界とあなた方の世界で同じようなものが存在する場合、自動的に翻訳されているみたいです。ですので、きっとあなた方の世界にもステータスと似たものが存在するのでしょうね。逆に、ゲエムというものが私には理解できません」
「なるほど、そういうことなんですね」
「細かなニュアンスは異なるかもしれませんが、基本的には思い浮かべたものの通りだと思っていただいて大丈夫だと思いますよ。ステータスは個々の能力を数値化したもので、名前や種族、年齢なども表示されます。この世界ではステータスは神の祝福とも言われ、魔物と戦ったり、日常生活を送る上で体が鍛えられたりすると数値に反映されます。また、様々な経験を積むことでレベルが上昇し、ステータスが大きく成長することもあります。その経験を積む行為を、俗に経験値を稼ぐと表現したりします」
言葉が通じることを疑問に思っていたのか、納得いったという顔で玲奈が頷く。玲奈は仕事柄、アニメやゲームに関わることが多く、趣味としても楽しんでいたので、この世界のことは理解しやすいようだ。
「それではお二人とも、鑑定石に触れて魔力を流してみてください」
「はい」
物腰の柔らかいルーナリアと話している内に現状を受け入れ始めたのか、玲奈が仁の横に来て、鑑定石に手を伸ばす。
「待ってください。この鑑定石を使う以外で自分のステータスを確認する方法はないのですか?」
もちろん仁にとっては周知の事実ではあったが、自身のステータスを確認する際の挙動で周りにバレてしまう恐れがあるため、試せないでいた。
「説明が不足していましたね。鑑定石は主に他人にステータスを開示する手段として用いられるもので、自分だけが確認する方法は別にあります。そうですね。まずはそちらを試してみましょう。わからない技能などがあれば後ほど鑑定石使用時に解説しますね。では、目を閉じて、ステータスが見たいと念じてみてください」
「それだけでいいんですか?」
あまりに簡単そうな方法に玲奈が首をかしげる。
「はい。これも魔法の一種ではあるのですが、適正がなくても誰でも簡単に使えるのです。それが神の祝福と言われる所以でもあるのですが」
「わかりました。やってみます」
目を瞑る玲奈を横目で確認しながら、仁も目を閉じてステータスを表示させる。
名前:ジン・ハヅキ
種族:人族
年齢:18歳
職業:奴隷
LV:50
HP:720/720
MP:37/1200
力 :700
耐久:650
魔力:900
敏捷:780
技能:剣術(5)・刀術(6)・双剣術(6)・槍術(3)・体術(5)・身体強化(5)・魔力操作(EX)・火魔法(8)・闇魔法(6)・雷魔法(4)・気配察知(4)・魔力感知(5)
特殊技能:鑑定の魔眼(-)・黒炎(-)・二刀流(-)・他言語理解(-)
称号:召喚されし者・亡国の英雄・黒炎・勇者・魔王
隷属:レナ・サヤマ
「え?」
「どうかされましたか?」
「あ、いえ」
以前のステータスを引き継いでいる様子に安堵してから、思わず口に出てしまった疑問符に、ルーナリアが視線を強めた。
ステータスが以前より少し強くなっているのは最後の戦いでレベルが上がったのと、元の世界に戻ってからの行動が活きた結果だろう。MPが残り少ない理由は謎だが、召喚された直後に体がふらふらした理由は判明した。自然回復で少し持ち直してこの数値だということは、相当少なかったはずだ。MPは最大値の1割を切ると魔力不足で体が衰弱し、本来の力を発揮できないと言われている。だが、それより問題なのは――
(なんで奴隷なんだ? それも玲奈ちゃんの?)
以前召喚されたときの職業は中学生だった。もちろんこちらの世界で近衛騎士に任命されてからは騎士に変わったり、そのときの状況で変化したりしたはずだ。だから、今回は高校生になっていると思っていた。奴隷になっている理由がわからなかった。
「あの、すみません。使役っていうのは何でしょう?」
ルーナリアは仁から視線を外し、玲奈に向き直る
「使役というのは、自分の命令に従うもののことです。要するに、召喚獣だったり、奴隷だったり、ですね。レナ様は何か召喚獣をお持ちなのですか?」
「えっと、その、それが……」
玲奈が仁をチラチラと窺いながら、言葉を濁す。
「私です」
「え?」
玲奈の様子を訝しげに見ていたルーナリアが仁に向いた。
「私が、玲奈ちゃんの奴隷みたいです」
仁の告白に、ルーナリアが驚きのあまり、動きを止めた。