2-14.部屋
遂に自由都市メルニールに足を踏み入れた。門を潜った先は広い道が真っ直ぐに伸び、街の中心部まで続いていた。中心部には外壁と同等の壁が塔のようにそびえ立っていた。リリーによると、あの中央の壁の中にダンジョンへの入口があるとのことだった。高い壁はダンジョンから魔物が溢れてくるのを防ぐためのものだが、幸いなことに一度もその用途で用いられたことはないようだ。通り沿いに石造りの建物が並んでいた。
辺りに目を配ると、様々な出で立ちの人々が往来を闊歩し、活気を感じさせた。メインストリートの端には露店が並び、呼び込む声と、掘り出し物がないかと覗き込む人の姿が賑やかな空気を醸し出していた。
「仁くん、あれって」
目を丸くした玲奈の視線の先を追うと、頭の上に猫のような耳を付けた男の後ろ姿があった。目線を下げると猫のような尻尾が生えていた。
「獣人だね。あの人はたぶん猫人族かな」
首に目を遣ると、猫人族の男性は隷属の首輪をしていた。玲奈が仁の耳元に顔を寄せた。
「やっぱり獣人もいるんだね。私、前に犬耳の女の子を演じたことがあるんだけど、犬人族もいるのかな」
「うん。いるよ。厳密に俺たちの知る犬と言えるかどうかは怪しいけど、今更だしね」
耳元で囁かれた玲奈の可愛い声に身震いしながら、仁の脳裏に玲奈が演じたアニメのキャラクターが浮かんでいた。小麦色のおかっぱ頭に犬耳を持つ幼い女の子。玲奈の甘いロリボイスがとても合っていたのを思い出した。知らず知らずのうちに仁の頬がだらしなく下がった。
「仁くんって獣耳萌えの人だったりして?」
「ち、違うよ。俺はどちらかというと玲奈ちゃん萌えだよ」
「え。あ、ありがとう……」
玲奈がほんのり桜色に染まった顔を地面に向けた。仁は二次元のキャラクターに関しては獣耳があろうとなかろうと可愛い女の子は好きだが、殊更獣耳に執着しているわけではなかった。俯く玲奈を愛らしく思った。
「なーに二人でこそこそ話してるんですか?」
玲奈と逆隣から顔を出したリリーが、体を捻るように下から仁を見上げていた。
「な、なんでもないよ。それよりリリー。どこかいい宿屋知らない?」
仁は玲奈を眺めて和んでいたのを思わず誤魔化すように別の話題を振った。メルニールに到着した今、それも重要なことだった。
「え。お二人とも、うちに来ないんですか? いいよね、お爺ちゃん」
「ええ。まだ大したお礼もできておりませんし、好きなだけ滞在なさってください」
「いえ。お気持ちは嬉しいですが、流石にそこまで面倒を見てもらうわけには」
横目で玲奈を窺うと玲奈が頷いた。この世界で生き残るためにもある程度の人間関係は必要だが、いずれ元の世界に帰るつもりである以上、関わり過ぎるわけにはいかなかった。
「あ。レナさん。やっぱり二人っきりがいいんですねっ。わたしだってジンさんと一緒にいたいのに」
「べ、別にそういうわけじゃ」
頬を膨らませるリリーに、玲奈がたじたじとなっていた。
「あまり人に頼ってばかりいられないからね。とりあえず二人でなんとかしてみるつもりだよ」
「わかりました。でも、何か困ったことがあったら必ず頼ってくださいね」
「孫共々、ワシらマークソン商会はお二人の味方ですぞ」
心強い言葉を貰った仁と玲奈は、商隊と別れ、マルコに紹介された宿屋へ向かう。別れ際、しぶしぶ引き下がったリリーが両手で大きく手を振っていた。マルコからは冒険者ギルドのギルド長と、宿屋の女将への羊皮紙の手紙を預かった。
「兄ちゃん、嬢ちゃん。宿屋を決めてからでいいが、その後、冒険者ギルドまで来てくれねえか? 俺はこれから合成獣の件をギルドに報告に行くつもりだが、二人にも来てもらいてえんだ」
「はい。わかりました」
先に冒険者ギルドへ向かうガロンを見送り、宿屋へ向かった。メルニールの街は中央の塔から放射線状に大通りが伸びていて、冒険者ギルド、探索者ギルド、商業ギルドは塔のすぐ近くに集まっていた。マルコから教えられた宿屋は門から塔へ続くメインストリート沿いではないが、冒険者ギルドにほど近い通り沿いにあった。石造りのしっかりした宿屋は、ガザムの街の宿屋と同様に、宿泊用の部屋は2階と3階で、1階は食堂兼酒場になっていた。
「いらっしゃいませ~。鳳雛亭へようこそ~。お泊りですか~?」
仁と玲奈が揃って宿屋の入口へ足を踏み入れると、受付カウンターの女性が笑顔で出迎えた。20代前半くらいの、おっとりとした印象を感じさせる垂れ目の美人だった。
「はい。その予定です。あ、それから、女将さんにこちらの手紙を預かってきました」
仁はマルコから預かった手紙を革袋から取り出し、女性に差し出した。どうやらこの女性が女将だったらしく、手紙の封を切って読み始めた。
「マルコさんからですか~。ふむふむ。なるほど~」
女将は手紙を読み終えると、顔を上げた。
「それではお部屋に案内しますね~」
「え、あの、料金などのお支払いは……」
「宿泊代はとりあえず30日分、マルコさんが払ってくれるそうですよ~。せめてもの恩返しに、こちらでの生活が軌道に乗るまで面倒を見させて欲しいそうです~。お二人からは絶対にお金を受け取らないようにって念押しされました~」
仁と玲奈は目を丸くした。手紙を預かった時点で何かしらの便宜を図ってくれるのだろうと感謝していたが、ここまでしてもらえるとは思っていなかった。今度お礼をしに行こうと心に決めた。
「それではどうぞこちらへ~」
女将に続いて、受付カウンターのすぐ横にある階段を上った。2階に上がって、廊下の突き当たりまで進むと、女将は鍵を開けてドアを開いた。
「こちらになります~」
ドアから部屋の中を覗き込むと、10畳ほどの広さの洋室で、ベッドが2台並んでいるのが目に入った。
「えっと。ここって二人部屋ですよね」
「そうですよ~。お二人だから、二人部屋です~」
にこにこしている女将は、何でもない事のように言った。
「あの、奴隷の身で申し訳ないのですが、1人部屋を2部屋貸していただくわけにはいきませんか? 余分にかかる分の料金は自分たちで払いますので」
「奴隷かどうかは関係ないですよ~。でも、今現在1人部屋は埋まってしまっているんです~。お世話になっているマルコさんの恩人を泊めずに帰すわけにはいきませんし、お二人だから丁度良かったです~」
仁はどうしたものかと玲奈と顔を見合わせる。せっかく紹介してもらった宿屋に泊らないのは申し訳ない気持ちもあるが、玲奈には一人部屋で気兼ねなく過ごして欲しかった。
「お二人は冒険者か探索者になられるのですよね~。男女で組まれるのなら、一緒に寝泊まりすることくらい当然のことですよ~。それにジンさんはレナさんの奴隷さんなんですから、ご主人の嫌がることはしませんよね~?」
「も、もちろん、それはそうなのですが……」
「仁くん。私は大丈夫だよ。リリーも一緒だったけど、同じテントで一緒に寝泊まりしてきたんだから、もう慣れっこだよ。それに、仁くんのこと、信じてるから」
恥ずかしそうに頬を上気させながら、玲奈が優しく微笑んだ。守りたいと心から思える笑顔だった。
「お泊りいただけるようでよかったです~。あ、申し遅れました。私はここ鳳雛亭の女将をしています、フェリシアと申します~」
その後、宿屋の決まりごとや設備の簡単な説明を終えたフェリシアから部屋の鍵を受け取った。大した荷物もないので、革袋をそのまま背負ったまま冒険者ギルドに向かうことにした。ようやく無事たどり着いたメルニール。ベッドに倒れ込みたい衝動を抑え、仁は気合を入れ直す。柔らかそうなベッドに腰を下ろすのは、もう少しだけ先になりそうだった。




