12-20.囲い
仁の胸に衝撃が加わった。仁はくぐもった声を発しながら、自身と恐るべき鋭い鉤爪の鉤爪の間に割り込んだ小さな赤い体を受け止める。
「グルゥァア!」
イムは仁の顔の辺りにぶつかった頭を前方に振り、思いっきり火炎の吐息を吐き出した。勢いよく噴出した赤々とした炎が目の前の銀毛の魔物を呑み込むかに思えた。しかし、恐るべき鋭い鉤爪は強靭な脚で即座にバックステップを踏み、斜め後方に逃れてみせたのだった。
「グルゥ……」
イムが仁の胸元で悔しげに鳴いた。
「イ、イム! 無事か!?」
仁は恐るべき鋭い鉤爪に注意を向けつつ、反射的に黒炎刀を消して受け止めたイムの体を上から覗き込んだが、イムの体に傷はなく、鮮やかな紅い鱗が輝いていた。
仁はドラゴンの子もドラゴンであることを再認識し、内心で安堵の息を吐く。イムが自身の身代わりとなって斬られていたらと考えるとゾッとする思いだった。
「イム。ありがとう」
「……グルゥ」
イムは一拍置いてから小さく鳴くと共に、両の翼で自身を掴んでいる仁の手を打ち、そのまま仁の斜め上へと上昇していく。
自慢の鉤爪で傷一つ付けられなかったことがプライドを傷つけたのか、恐るべき鋭い鉤爪の怒りに満ちた瞳がイムの姿を追っていた。
「イム。さっきは逃げろって言ったけど、前言撤回させてくれ。俺と一緒に戦ってほしい」
「グルゥ」
仁が恐るべき鋭い鉤爪から視線を逸らさないまま言うと、即座に返事があった。仁はそれを肯定と受け取る。
「イム。あいつを倒すには逃げ場を奪う必要がある。それは俺が何とかするから、イムは吐息で攻撃してあいつを動かしてほしい」
了承の意を示したであろうイムの鳴き声を聞きながら、仁は体内の魔力を練り上げ、大気中の魔素を通じて自身の魔力を辺り一帯に広げていく。
仁が何かしようとしていることに気が付いたのか、恐るべき鋭い鉤爪が警戒するように地に響く呻り声を上げた。
「イム。頼む!」
「グルッ!」
イムが仁の前面に飛び出し、長い首を大きく撓らせてから全力で火炎の吐息を放つ。先ほどよりも広範囲に広がる火炎に、恐るべき鋭い鉤爪がサイドに逃れる。恐るべき鋭い鉤爪の動きを見逃さないように注視していた仁の目がキラリと光った。
「石壁!」
恐るべき鋭い鉤爪の行く手を、見上げんばかりの頑強な石の壁が遮る。銀毛の魔物は即座に石壁を鉤爪で斬り付けるが、仁はそれを想定してかなりの厚みを持たせていたため、切断には至らない。その背後に、イムの火炎が迫る。
イムは火炎を吐き続けたまま位置を変え、恐るべき鋭い鉤爪を追っていた。
恐るべき鋭い鉤爪は更に側部に逃れようとするが、既に新たな石壁によって塞がれていた。イムの炎が銀の毛の先を焼く。
銀の魔物は口惜しげに呻り、垂直に跳び上がった。しかし、これまで信じられない程の俊敏さと跳躍力を見せてきた恐るべき魔物も、城壁のようにそびえ立つ石壁を助走もなしに一足で跳び越えることはできない。
ここぞとばかりにイムの吐息が追従する中、恐るべき鋭い鉤爪は石壁の中ほどに鉤爪の切っ先を突き刺し、そこを基点として更に上方へ跳躍した。
2度目の跳躍が1度目と同じくらいであるならば、石壁を越えてしまう。そうなれば、仁が遠隔魔法で作り出した石壁が逆に恐るべき鋭い鉤爪を守る防壁となり、イムの火炎は届かない。
焦りを覚えながら魔物に口ごと顔を向けるイムの目が、直後、驚きで彩られた。
恐るべき鋭い鉤爪が跳んだ先に、空はなかった。石壁から垂直に伸びた石の天井が、日光と魔物の逃走を阻んでいた。強かに頭を打ち付けた恐るべき鋭い鉤爪に、遂にイムの火炎が追い付いた。
恐るべき鋭い鉤爪が悲鳴を上げて落下を始める。青みがかった銀の毛を真紅の火炎が侵していく。
「イム! 離れて!」
「グ、グルッ!」
仁の鋭い指示に、イムが驚きと歓喜を忘れて従った。イムの感情が目まぐるしく変化している間にも仁は石壁を使い続けていて、既に仁の正面の一部を残してイムと恐るべき鋭い鉤爪をすっかりと囲っていた。
「ガァアアア!!」
イムは唯一の出口に向かって急ぎながら、背後から聞こえた憎悪に塗れた叫びに体を震わせた。
先ほど仁を襲った鉤爪の斬撃はドラゴンの鱗が防いだが、それにしてもイムは自身の無事を確信して飛び出したわけではなかった。あの一撃で傷付かないとわかった今でも、もう一度同じことをしろと言われれば躊躇してしまうくらいには、イムは恐怖心を抱いていたのだった。
仁の手前、そんなことはおくびにも出さず共闘していたが、怒りに燃える恐るべき鋭い鉤爪が何を仕出かすか、イムは気が気でなかった。
イムは必死に仁の元を目指す。イムの背後で魔力が膨れ上がった。
「グ、グルゥッ!」
イムが闇の世界から光の世界へ飛び出した。イムは仁の頭上を飛び越え、仁の後方へ逃れる。すれ違いざま、イムは仁の手の中に、背後から伝わる恐るべき鋭い鉤爪以上の魔力を感じ取った。
「黒炎地獄!」
思わず振り返ったイムの目の前で、仁の手から赤黒い球体が放たれた。黒炎の塊が唯一の出入口から石壁の囲いの中へと吸い込まれ、それと同時に仁は遠隔魔法で石壁を唱えて囲いを完成させた。
「イム!」
呆然としていたイムを、間髪入れずに振り返った仁が跳び上がって掴み取り、胸に掻き抱いてしゃがみ込む。直後、石壁の囲いの中で膨大な魔力が弾け、地獄の業火が広がった。石壁の囲いを物ともせず溶かし尽くした黒炎が、イムに覆い被さるように抱きしめた仁を背中から呑み込んだ。
数瞬後、仁は立ち上がって振り返り、ホッと息を吐いた。イムは仁に抱かれたまま目を丸くした。そこに恐るべき鋭い鉤爪の姿はなかった。
仁の足元に、何物も存在しない、焼け爛れた大地が広がっていた。




