12-6.転換
「仁くん?」
額に冷や汗を滲ませた仁を、玲奈が心配そうに横から見つめる。
「仁くん、どうしたの? 大丈夫?」
「え、あ、うん」
仁はざわつく胸に握り拳を当てながら、何とか言葉を絞り出す。仁の頭には、ある光景が浮かんでいた。
「エ、エルフィーナさん。同様の事象っていうのは……?」
仁の様子に僅かに首を傾げながらも、エルフィーナは仁の問いに答えるべく口を開く。
「後に魔王が放った魔法が大都市の跡地と同様の痕跡を残すのを、大賢者が目撃したのです」
個人の魔法が大都市を丸ごと消し去ったらしいという事実に玲奈たちは目を見開くが、仁は違った。バクバクと早鐘を打つ心音に急かされるように仁がエルフィーナに詳細な話を求めると、エルフィーナは仁に気遣わしげな目を向けながら、先祖から代々伝わってきた古の大戦膠着期以降のあらましを語り始めた。
大都市の消滅。その原因となった理由はわからないままだったが、一つだけ確かなことは、それ以降、魔王軍はこれまでの占領地における政策を一転させたということだった。端的に言うのであれば、今までの統治者としての振る舞いから、無慈悲な侵略者へと転じたのだ。
大人しく降伏した地も含め、全ての占領地の住民から全ての食糧を奪い、戦える術を持つ者も持たない者も老若男女問わず、隷属魔法で奴隷にし、最前線へと送り込んだ。また、隷属魔法が効かなかった者は容赦なく殺され、幼子や怪我人、病人など、満足に歩けない者は亜人の玩具にされるか、生きたまま魔物の餌にされたという。
魔王軍は奴隷とした人族や獣人族に武器を持たせて闇雲に突撃させて連合軍の士気を大いに挫き、時には魔人族の強力な魔法で奴隷ごと吹き飛ばした。そして新たな土地を得ると同じことを繰り返した。
こうなると魔王軍に降伏しようとする者はいなくなり、連合軍としては魔王軍の侵攻速度が落ちることを予想したのだが、そうはならなかった。人族や獣人族の奴隷に大被害が出た後も落ちないような都市や城を前にすると、それまで全くと言っていいほど顔を見せなかった魔王自らが現れ、強大な魔法で城壁を破壊し、突入した魔人族の精鋭が殺戮の限りを尽くしたのだ。そして、魔王の傍らには常に一人の魔人族の女性が控えていたという。
「それが魔王妃……?」
仁が呟くと、エルフィーナは大きく頷いてから話を続ける。
そうして魔王軍が勢力を伸ばす度に、魔王や幹部が居城としたいくつかの城を残し、魔王軍によって占領された街や村は住む者のいない廃墟と化した。あまりの魔王軍の変貌ぶりを訝しむ声もあったが、対話を拒み、圧倒的な武力を背景に非道を続ける魔王軍に抗うには、戦いで勝つしかなかった。
「この頃から魔人族の、いえ、魔王の目的が人族や獣人族、そしてエルフ族など、大山脈の東に住む人々の滅亡なのではないかと噂されるようになり、危機感を覚えたエルフ族も人族の求めに応じて参戦することになったのです」
連合軍はエルフ族の戦士を加え、より一層団結して魔王軍と相対し、無理やり従わされた同族と戦うことへの憤りや遣る瀬無さを魔王軍への怒りに変えた。しかし、彼らの奮戦空しく、城は落とされ、人は死に続けた。例え軍同士の戦が拮抗していても、一度魔王が現れると血の海が生まれ、瞬く間に勝敗が決してしまうのだった。
その頃になると魔王の抜きん出た強さを疑う者はいなくなり、魔王の力を持ってすれば大都市の消滅をも可能なのだろうと噂されるようになっていた。そして、大連合国の上層部は、対魔王軍から対魔王へと思考を変化させていった。それは魔王を倒せば魔王軍などどうとでもなると安易に考えたわけではなく、魔王を倒せなければいくら魔王軍を倒しても意味がないと気付いたからだった。
そして、大連合国の上層部は、連合軍で魔王軍の相手をしている間に少数精鋭で魔王を討つという作戦を、今後の基本方針と決めたのだった。
そんな中、対魔王の切り札として白羽の矢が立ったのが後に大賢者と呼ばれることになる年若い少女だった。少女は生まれながらに優れた魔力を有し、魔人族にかけられた隷属魔法を解除する魔法を編み出したことで大連合国の上層部の目に留まったのだった。
上層部は大賢者をリーダーに据え、身分や種族を問わず精鋭を選出し、対魔王パーティを結成した。その中には大連合国結成の提唱者である小国の王子や、エルフ族の長老から推薦を受けたシルフィーナらがいた。
「作戦は幾度か繰り返されました。その何度目かの戦いの折、シルフィーナ様が竜族の助力を取り付け、当時、竜王と恐れられていた炎竜と盟約を結びました。シルフィーナ様からヴェルフィーナの名を与えられた竜王は各地の竜族をまとめ上げ、総力を持って魔王に挑み、そして――」
「そして……?」
仁がゴクリと喉を鳴らした。
「魔王の放った、たった一発の魔法によって、ヴェルフィーナ様他、戦いに出られた百を超える竜族の方々は皆、消滅しました」
仁をはじめ、玲奈、ミル、ロゼッタが息を呑んだ。火竜の強さをその身で味わった面々の驚愕はどれほどのものか。しかし、仁にとっては魔王の想像を絶する強さだけが驚きの対象ではなかった。仁はその結末を知っていた。
「その現場を近くで目にした大賢者は、とてつもなく巨大な闇が全てを呑み込んだと話していたそうです。そして、その闇に抉られた大地が、消滅したと見られる大都市の跡地と酷似していたのです」
仁の胸の鼓動の間隔が短くなり、ドクンドクンと連続する心音が体の外にまで聞こえてしまいそうになるほど高まった。心の奥底がざわつき、黒い不安が冷や汗となって体外に漏れ出す。
仁はその光景に見覚えがあった。火竜と戦った際に脳裏に浮かんだ、知らない記憶。その鮮明すぎる記憶の中心に、仁はいたのだ。
「じ、仁くん、大丈夫!?」
仁の様子がおかしいことに気付いた玲奈が慌てた声を上げた。仁が胸を押さえて蹲る。
「ジン!」
「ジン殿!」
「ジンお兄ちゃん!」
仁の元に仲間たちが駆け寄った。仁は額から汗を流しながら口も絶え絶えに大丈夫だと告げるが、それを鵜呑みにするものはいなかった。
「皆さん。話は一旦、御仕舞いにしましょう。アシュレイ。ジン殿を客間へ」
「わ、私も手伝います!」
アシュレイと玲奈が仁を両側から抱え、ゆっくりと抱き起す。その側でロゼッタがおろおろと体を揺らしていた。エルフィーナが近侍を呼び、てきぱきと何事か指示を出す。
そんな中、アシュレイと玲奈に支えられてゆっくりと遠ざかる仁の背を心配そうに見つめるミルの瞳が、不安げに揺れていた。
「グルゥ……?」
ミルはイムの声にハッとし、ふるふると小さな頭を小刻みに左右に振った。ミルは腕の中から先ほどまでのミルと同じような表情で見上げるイムに淡く微笑んで見せると、仁たちの後を追って駆け出したのだった。




