10-8.救助
人垣を抜け、仁は降りしきる雨の中、メルニールのメインストリートをひた走る。街の外周付近に見られたのは恐怖に塗れた人々の姿だけだったが、少し進んだ辺りから黒い甲殻に覆われた蟻型の魔物の姿があちこちに散見し始めた。雨に濡れて黒光りしている殺人蟻は餌を探す働き蟻のように、人の姿を求めて走り回っていた。硬く発達した顎をギチギチと打ち合わせる音が不快に響く。
仁は背から黒雷の翼を左右に広げ、両手に黒雷刀を握りしめた。足を止めることなく、目に映った殺人蟻目掛けて半ば無意識に翼から黒雷の矢を撃ち出す。石造りの家々にもところどころ崩れたり穴が開いていたりと、その中の状況を想像すると凄惨な光景が浮かんだが、仁は心を無にして先を急いだ。仁は自身が決して万能ではないことを痛いほど理解していた。
「黒雷撃!」
大通りの脇に捨て置かれた屋台の間に魔物の姿が目に入り、仁は黒い雷撃を飛ばす。殺傷力を持った雷に体内を破壊されて崩れ落ちる殺人蟻の下から、見覚えのある青年が這い出て来てきた。
「早く街の外へ! 今なら大通り沿いは比較的安全です!」
仁は顔なじみの青年が頷くのを待たずに駆け抜ける。その視線の先に、ダンジョンの入口を囲う白い塔が見えてきた。塔の下部の門のあった辺りには大穴が開いていて、周囲に残骸が散らばっている。その大穴から六本足を忙しなく動かしている黒い魔物が次から次へと溢れ出てきていた。
周辺には武器を手にした冒険者や探索者の姿が見受けられ、彼らは少しでも街への侵攻を防ごうと魔物たちと戦っていたが、門番の話通り、圧倒的な数の差は如何ともし難く、劣勢を強いられていた。
「黒雷爆!」
仁は左手の黒雷刀の先から雷球を飛ばす。漆黒の雷球は大穴から塔の内部に入り込み、ひしめき合う殺人蟻の頭上で弾けた。黒い雷撃が四方八方を穿ち、雷撃の余波で塔全体が揺れる。仁は塔を破壊してしまわないように威力を抑えていたが、それでも多くの殺人蟻の命を刈り取った。一時的に群れの勢いを止めるが、続々とダンジョンから出てくる魔物たちが同胞の死骸を乗り越えて街を目指す。
周囲の冒険者たちの目が一瞬だけ仁に向いていたが、彼らはすぐに臨戦態勢を取り直す。一度に塔から出てこられる数に限りがあるのが救いだが、それでも冒険者たちがすべてを相手取れるような状況ではなかった。仁はもう一発だけ魔法を撃ち込むと、苦渋に顔を歪めながらその場から駆け出す。
雨足が徐々に強まる中、仁はバシャバシャと水溜りを踏みしめながら、塔を迂回する。背後から仁を呼ぶ冒険者たちの声が聞こえたが、仁は振り返らない。噛みしめた下唇から血が伝った。
街の中心地区には殺人蟻の鳴らす不快な音と、人々の悲鳴に満ちていた。多くの建物の壁が砕かれていて、見えないところから助けを呼ぶ声が聞こえる。仁の口内に鉄の味が広がった。リリーの両親がいるであろうマークソン商会の商館まで、後少しの距離だった。
仁は込み上げてくる様々な感情に目を瞑り、足を速めた。冒険者ギルドを目の端に捉えながら通り過ぎる際、近くにある鳳雛亭の外観とフェリシアたちの顔が脳裏を過るが、今の仁には無事を祈ることしかできなかった。
道中、仁がこれまでと同じように視界に映った魔物を魔法で倒しながら進んでいると、数匹の殺人蟻に囲まれている女性の姿が目に入った。女性はナイフの柄を両手で掴んで魔物に向けていたが、とても敵いそうには見えなかった。
仁は女性を巻き込んでしまわないように気を付けながら、殺人蟻たちに遠隔魔法で同時に複数の黒雷撃を浴びせた。殺人蟻たちがもんどりうって倒れる様を横目で見つつ、仁は再び速度を上げる。その瞬間、仁は女性の雨でべたべたに張り付いたブラウンの前髪の隙間から、憎悪に塗れた鋭い眼光が覗いていることに気付いた。あの全てを憎むような目つきに、仁は見覚えがあった。
「まさか、ユミラ様……!?」
激しさを増す雨の中、思わず足を止めた仁は呆然と女性を眺める。清楚なメイド服で身を包んでいたときとは打って変わって、太ももや胸元を大胆に露出した衣装が雨で張り付き、女性らしい体の線をこれでもかと強調していた。「なぜここに」という思いが仁の心の中を満たすが、即座にその至極簡単な答えに辿り着く。ドラゴン急襲の混乱の中で帝都から姿を消したユミラに気を付けるようコーデリアから警告されていたのだ。そのユミラがメルニールに現れた理由が、仁への復讐のため以外であるはずがなかった。
ユミラの瞳に宿った狂気が輝きを増し、仁に向かって一歩を踏み出す。仁はユミラに恨まれるのは仕方がないと思っていたが、だからといってユミラに殺されるわけにはいかず、どう対処すべきなのかわからなかった。拘束してコーデリアの元に送り返すという案が浮かぶが、それでは問題をコーデリアに丸投げするだけで何の解決にもならなかった。
「くそっ!」
仁は悪態を吐きながらユミラに背を向けて走り出す。今は悩んでいる時間がないからと問題を棚上げしてその場から逃げ出した。リリーの頼みを言い訳にしてしまっていることに罪悪感を覚えるが、リリーの両親の置かれている状況がわからない以上、一刻も早く駆け付けることが最優先事項だということに偽りはなかった。そうでなければ、道中で救いの手を差し伸べることのできなかった住民たちや、今も街のため、守るべきもののためにに命をかけて戦っている冒険者たちに申し訳が立たなくなってしまう。
雨音に混じって聞こえてくる怨嗟の声が、仁の押し潰されそうな心を深く抉った。
仁がやっとの思いでマークソン商会の商館へ辿り着いたとき、商館の門は既に破られ、扉の前に何匹もの魔物が殺到していた。殺人蟻たちはギチギチと顎を鳴らしながら、ひしゃげかけた金属製の扉へ体当たりを敢行している。両開きの扉の隙間から槍が突き出されるが、硬い甲殻に弾かれてしまっていた。
住人が生きていることに、仁は胸を撫で下ろす。槍を使って魔物たちを追い払おうとしているのがリリーの両親かどうかはわからないが、仁の胸中に希望の火が灯った。
仁は背の漆黒の翼を広げると、黒雷の矢を一斉に撃ち出した。黒い魔法の矢が扉の前の殺人蟻に降り注ぎ、魔物たちの断末魔の不快な鳴き声が上がる。仁は黒雷刀を一閃して動かなくなった殺人蟻の死骸を斬り飛ばし、扉に向かって声を張り上げた。毒々しい体液が辺りに舞い散り、地面を溶かす。
「すみません。どなたかいらっしゃいますか。俺はリリーの友人のジンです! リリーのご両親を助けに来ました!」
数秒の間の後、扉の向こうから驚きと歓喜の声が湧き上がった。
「す、すぐ開けます! 少々お待ちください!」
すぐに何人もの人々が忙しなく動いている音が聞こえ始め、仁は家財を使ってバリケードでも作っていたのだろうと考える。仁が扉の前に陣取って新たに現れた魔物を狩りながら待っていると、大勢の掛け声と共に金属製の扉が内側から押し開けられた。その中からマークソン商会の従業員と思しき人々が辺りの様子を窺いながら次々と出てくる。その先頭の男女は、仁の見知った人たちだった。
忙しい人たちなのであまり話をする機会はなかったが、仁がマルコやリリーの元を訪れたときに挨拶を済ませていたため、向こうも仁の姿を認めて、肩を大きく上下させながら深い安堵の息を吐いた。緊張の糸が切れたのか、じわりと瞳に涙を浮かべて仁に感謝の言葉を繰り返す男女は、間違いなくリリーの両親だった。




