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1-1.握手会

「「「玲奈れなちゃーん!」」」


 日本有数の地方都市の雑居ビル内のイベントスペースに、期待や喜び、緊張をない交ぜにした男女の声が響いた。7割方は男声だろうか。


「はーい! みなさん、こんにちはー!」


 甘く蕩けるような声と共に天使が舞い降りた。縦長の部屋の正面奥に作られた舞台の左手から登場した黒髪の天使な少女は、満面の笑みで客席を見回しながら、マイク片手に手を振っている。首元と腕の部分が黒のシースルーになっているワインブルーのワンピースが大人っぽい雰囲気を醸し出し、普段のあどけなさとは違った魅力を生み出していた。


 2017年12月某日、羽月はづきじんは1歳年下の人気女子高生声優アーティスト、佐山さやま玲奈のニューシングル発売記念ミニライブ&握手会に参加していた。玲奈自身がメインヒロインを演じるアニメのオープニング主題歌であり、1stシングル以来のロックチューンとなる5枚目のシングルはアニメ人気も相まって自身のCDの売り上げの最高記録を更新していた。




「それでは聴いてください。佐山玲奈でFuture Wish」


 壇上でミュージックビデオ撮影の裏話などを話していた玲奈がトークを終えて、曲振りからミニライブに移った。照明が消されて薄暗くなった会場に前奏が流れ出すと、観客たちの多くがペンライトを掲げた。曲のイメージカラーの赤と、玲奈のイメージカラーであるピンクの2色が会場を照らす。

 玲奈が間奏に合わせてくるっと1回転すると、腰まで伸びた髪がふわりと舞った。


「ありがとうございました!」


 決めポーズを崩し、観客に頭を下げる玲奈に、万雷の拍手が送られる。


「この後は握手会です! 準備があるので、少しだけ待っててね」


 玲奈が気持ちのいい笑顔で手を振りながら一旦舞台裏に捌けて、会場スタッフが準備を始める。舞台の前の長机に手荷物を預ける籠が用意された。ファンレターやプレゼントは事前に入口で預けてあるため、手ぶらで問題はない。


 仁はイベントやライブに参加する度にファンレターを書いてきていた。プレゼントも渡したい気持ちはあるが、アルバイトを禁止された高校に通う仁にとっては少し資金的に厳しかった。玲奈が所属している声優ユニット2人でやっているラジオで、気持ちのこもった手紙が一番うれしいと語っていたのを聴いて、大学に入って自分で稼ぐまではファンレターだけにしようと決めていた。




 仁が玲奈を知ったのは3年前、玲奈がとあるアニメのヒロインの一人を演じていたときだ。当時、自分の無力さに苛まれていた仁は、作中で同じように自身の無力さを嘆きながらも前へ前へと進んでいくヒロインの姿に感銘を受けた。それからそのキャラを演じる声優に興味を持った。ラジオなどを通して、中学生という若さで厳しい世界に身を置いて頑張る玲奈の姿はとても励みになり、初めて「この人のファンだ」と言える存在になった。もちろん、見た目が好みだったり、声がとてつもなく可愛かったりしたことも大きな要因ではあるが。


「皆さん、お待たせしましたー!」


 握手会の準備を終えたスタッフの呼び込みで玲奈が再び壇上へ戻ってきた。一列目の10人が座席の右手に並び、荷物をスタッフに預けてから順番に玲奈の前に向かう。参加者やスタッフに遮られ、7列目中央に座っている仁には玲奈の姿はほとんど見えなかった。


「玲奈ちゃん、見えます?」

「いえ、全然見えないですね」

「ですよねー」


 開演前に少しだけ話をした隣の席の男性が声を掛けてきた。同年代の彼は今回が初めての接近遭遇で、とても緊張している様子だった。


「まぁ、ずっと玲奈ちゃんの姿が見えてると、頭が真っ白になって何を話すか考えられなくなるから、ある意味良かったと言えば良かったんですけどね」


 苦笑いを浮かべる彼に笑顔を返し、自分も前方の様子を眺めながら、話す内容をまとめる。玲奈と直接話すのは4度目ではあるが、慣れというものはない。緊張を鎮めるため、首から下げたチェーンのネックレスの先にある指輪を服の上から握る。小さな青い石が嵌め込まれたその指輪は、仁にとって無力さの象徴であると共に、必死に頑張った過去を証明する唯一の存在で、心の拠り所だった。




 玲奈を知る少し前、中学校の教室で、仁は呆けていた。授業中にうたた寝をして、ビクッと意識が戻ったときと同じ感じがした。理解が追い付かない。数瞬前、仁は教室にいなかった。自分でも信じがたいことではあるが、仁は異世界で勇者と呼ばれていた。1年前、今と同じ授業中の同じ教室の同じ席から、突然、異世界の白亜の城に召喚された。そして志半ばで落城間近の城から元の世界に強制的に送り返されたはずだった。


 仁は首を下に向け、体を見下ろす。当然そこにあるはずのオーダーメイドの軽鎧はなく、黒い学生服を着た自分の姿があるだけだった。周りを見回しても、1年が経過した事実はどこにも見当たらない。何が何だかわからなかった。


 授業の終了を告げるチャイムが鳴って、次の授業で提出する宿題を見せて欲しいと隣の席の友人にせがまれる頃になると、鮮烈だった記憶に靄がかかったように薄れ、長い夢を見ていたとしか思えなくなってしまった。


 そんなとき、反応が芳しくない仁を訝しむ友人の指摘で、左手の薬指に見覚えのある指輪が嵌っているのに気付いた。召喚される前には間違いなく付けていなかった指輪。その存在と、心に深く刻まれた無力感だけが、夢としか思えない1年間の出来事が現実のものであると告げていた。




「次の列の方は荷物を持って横に一列に並んでください」


 スタッフの案内に従い、仁は指輪から手を離し、隣席の彼の後ろに並んだ。仁の順番まで後10人ほどだ。人と人の隙間からチラチラと目に入る玲奈の姿に心拍数が高まる。


『夢かどうかなんて関係ないですよ。それが現実であれ夢であれ、その時に抱いた自分の想いは真実なんです。心のもやもやは拭えないかもしれませんが、自分の心に蓋をしないで、思うままに行動してみてください。後悔することはあっても、人生に無駄なことなんてないんです。だから“ジン@かつて勇者と呼ばれたかもしれない男”さんも私と一緒に頑張りましょう』


 仁は以前、玲奈がパーソナリティを務めるラジオの相談コーナーにメールを送って採用されたときのことを思い出していた。もちろん、肝心な部分はぼかした。それでも、誰にも相談できないまま夢だと無理やり言い聞かせて忘れようとしていた想いに真摯に答えてくれた玲奈の言葉を聴いて、迷いが晴れていく思いだった。


 それから仁は早朝ランニングを始め、放課後は筋トレや異世界での訓練を思い出しながら木刀の素振りなどに励み、休日は総合武術の道場に通ったり、図書館やネットで役立ちそうな知識を学んだりした。夢だったとしたら出所不明の焦燥感に駆られた意味のない行為だが、そんなことはもう考えなかった。


 次こそは後悔しないように備えたところで、再び召喚されることなんてない可能性の方が高いだろう。魔法が存在し、法則の異なる異世界では、この世界で体を鍛える意味はないかもしれない。休憩時間にはそれまで触れたことのなかった異世界転生ものや異世界転移ものを中心にライトノベルを読んだり、アニメを観たり、玲奈のラジオを聴いたりしながら、この世界では感じられない体内の魔力を練る訓練を続けた。


 変えられない過去のためではなく、訪れないであろう未来のために。




「お久しぶりです。こうして直接お話しするのは1年ぶりです」


 遂に自分の順番を迎え、緊張の中、右手を玲奈の前に差し出すと、玲奈の少し釣り目でぱっちりとした大きな目が優しく細められた。


「お久しぶりですね。また来てくださって嬉しいです」


 心からの言葉だと思える花が咲いたような笑みを浮かべる玲奈の両手が、仁の手を優しく包み込んだ。仁は温かく柔らかな玲奈の手を握る手に、そっと少しだけ力を込めた。


 そのとき――


 長机を挟んだ玲奈の足元を中心に幾何学模様と六芒星が描かれた青白い魔法陣が広がり、そのまま全身をスキャンするように浮かび上がった。突然のことに反応できないでいる仁の手が強く握られる。正面に立つ玲奈の瞳が驚きで見開かれていた。魔法陣が頭の部分を通過したとき、体を丸ごと上に引っ張られるような気がして、体重を失い、意識が遠のくのを感じた。


 仁はこの感覚を知っていた。


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