9-24.対面
隻眼のドラゴンが心なしか穏やかな表情を見せ、イムに顔を向けた。イムは相変わらず神妙そうにしていたが、ミルの腕の中から炎竜を無言で見上げるだけで、動こうとしなかった。
「ふむ。人の中で暮らしていたのであれば、話すことはできずとも人語を理解していると思ったが、よもや、我の言葉が通じぬのか?」
隻眼のドラゴンが長い首を僅かに傾げた。どの程度かはともかく、仁もイムが自分たちの話す言葉の意味を理解しているように感じていたため、どうしたのかと疑問に思う。先ほどまでの仁と炎竜のやり取りから、目の前のドラゴンがイムの片親、声の調子から、おそらく父親であることはわかっているはずだった。
「イムちゃん? おとーさんが呼んでるの」
ミルがイムの耳元で囁く。仁はミルがイムの名を呼んだことにヒヤッとするが、耳に届かなかったのか、隻眼のドラゴンは特に反応を見せることはなかった。
「イムちゃん?」
再度ミルがイムに呼びかけると、イムは幼子が嫌々と我が儘でも言うように、首を小刻みに何度も振った。明らかにミルの言葉を理解しているように見えるイムの反応に、仁は首を傾げた。
「そうか。お前は我が攻撃したことに怒っているのだな」
隻眼のドラゴンの言葉に、イムの目が僅かに細くなる。イムはそうだと言うように、小さくグルゥと鳴いた。
「我は我の留守中に棲家に入り込んだ侵入者を攻撃したに過ぎぬ。留守を任せた者の姿が見えない以上、あれはお前を守るためでもあったのだ。我が子ならばあの程度の炎でどうにかなるものではないことはわかっていた」
「グルゥ!」
隻眼のドラゴンがイムを宥めるように言うと、イムは首を左右に激しく振った。仁は炎竜の言葉を否定するようなイムの態度からイムの気持ちを察し、嬉しく思うと共に、問題を先延ばしにしても仕方がないと腹をくくる。仁はイムを抱いたミルの背中をそっと押し、自身に並ばせると、見上げる先にある隻眼の瞳を見つめ、ゴクリと喉を鳴らしてから口を開いた。
「あの。イム――あなたのお子さんは、俺たち、いや、名付け親であるこの子、ミルを攻撃されたことを怒っているのだと思います」
炎竜の鋭さを増した視線が仁とミルに向けられた。仁はミルの前に歩み出て、ミルを背に隠して身構えるが、隻眼のドラゴンはふっと視線を弱めたのを見て、再びミルの横に並んだ。
「そうか。我が子とその獣人族の子供の間に僅かながら魔力的な繋がりがあるのはわかっていたが、やはりそういうことであったか。我が子は我が母と同じ道を歩むか」
隻眼のドラゴンは目を細め、懐かしむようにイムの小さな瞳を見つめた。仁はドラゴンの声音に諦めの色が混じっているように感じると共に、“我が母と同じ道”という言葉に引っ掛かりを覚える。同じ道というのが名を受け入れて盟約を結ぶことであるならば、隻眼の炎竜の母親も名付けを受けたことになる。仁が知る名を持つドラゴンは、先頃エルフの里で聞いた竜王ヴェルフィーナだけだった。
仁がヴェルフィーナとシルフィーナについて、エルフィーナやアシュレイからもっと話を聞いておくべきだったと若干後悔していると、隻眼の炎竜が表情を改め、イムに真摯な目を向けた。
「そういうことであれば、知らぬこととはいえ、お前の大切な盟友にしてお前の認めた主を傷つけんとしたことは謝ろう。すまなかった。ただ、お前の身を案じた父の思いも汲んではくれぬか」
「グルゥ……」
若干不満の色が浮かんでいるイムの鳴き声を聞き、仁は顔を横に向けてイムを見下ろす。
「イム。ミルも無事だったわけだし、事情を知らなかったイムのお父さんにしてみれば、俺たちも棲家を荒らす猪豚人間たちと区別がつかないのは仕方がないことだよ。手荒ではあったけど、イムを守るための行為だったわけだから、機嫌を直して、ご両親に元気な姿を見せてあげないか?」
「イムちゃん。ミルのために怒ってくれてありがとう。だけど、イムちゃんが許してあげないと、イムちゃんのおとーさんとおかーさんがかわいそうなの。家族は仲良しじゃないとダメなの」
仁にも不満そうな視線を送っていたイムだったが、眉根を下げたミルに頭を撫でられながら窘めるように言われ、小さく頷いた。
「グルゥ」
イムは首だけ回してミルに一鳴きすると、ミルの腕の中から抜け出す。ニッコリと笑顔を浮かべたミルに見送られながら、イムはパタパタと翼を羽ばたかせて隻眼のドラゴンの顔の前まで上昇した。
隻眼のドラゴンの斜め後ろで仁たちとのやり取りを見守っていたもう1体の炎竜が、そわそわとした様子で前に出た。仁はおそらくその炎竜がイムの母親なのだろうと当たりを付ける。
「お前の誕生に立ち会えず、すまなかった。我らの不在のために苦労をかけたな」
「グルゥ」
仁はイムと両親の対面を微笑ましく思いながら、嬉しそうに、それでいて寂しそうにイムの様子を眺めているミルの頭に手を乗せた。
イムを棲家に帰すこととイムと別れることが同義だということにミルは気が付いていないのではないかと、仁は楽しそうにイムと接しているミルを見るたびに内心で不安に思っていたが、ミルはちゃんと理解していたようだった。その上で、幼くして両親を亡くしたミルは、家族は共にあるべきだとイムを送り出したのだった。
仁は目頭の奥がじんわりと熱を持つのを感じながら、ミルの小麦色の頭を優しく撫で続けた。いつの間にかミルの隣に来ていた玲奈が、ミルの背に手のひらを当てていた。
「我が子、イムよ。一つだけ聞かせてくれないか。かつて、我が母はこの世界を守るためにエルフ族の戦士と契りを結んだ。お前は何のために名を受け入れた」
「グ、グルッ!?」
イムの視線が中空を彷徨う。チラッと背後を振り返ったイムに、仁はジトッとした目を向けた。仁はイムが食べ物に釣られたのではと密かに疑っていたが、慌てたようなイムの態度に、その疑いを強くする。感動が台無しだった。
「ふっ。すまぬ。お前は人語も竜語も話せぬのであったな。今はまだ答えずとも良い。いつか再びこの地を訪れることがあれば、そのときに聞くとしよう」
「グ、グルゥ!」
都合よく解釈してくれた父竜に、イムが調子よく元気な声で答える。仁はそんなイムに半ば呆れたように半眼を向けながらも、ようやく肩の荷が下りた思いを噛みしめたのだった。




