9-20.恩返し
時を僅かに遡る。仁たちと別れたロゼッタは魔素酔いを起こしたセシルに肩を貸しながら、竜の棲家と思しき洞窟内の来た道を引き返していた。自身も軽度の魔素酔いを発症し、力の入らない手で火竜爪の槍の柄を強く握りしめる。
「ロゼさん、すみません……。わ、私のせいで……」
「いえ。セシル殿ほどではないですが、自分も万全ではありません。この状態では、自分も皆の足を引っ張ってしまうだけでしょうから」
ロゼッタはズキズキと痛む頭で仁たちの無事を祈りながら、自身を不甲斐なさに歯噛みする。金狼王や火竜との戦いを通じて思い知らされた自身の弱さを嘆いて我武者羅に鍛錬を続ける中、仁との魔力操作の訓練を経て得た僅かな自信も完膚なきまでにへし折れてしまっていた。力の差があるのはわかっていたはずだったが、高濃度の魔素の中でも支障なく活動できる仁、玲奈、ミル、アシュレイと、役立たずになってしまった自身との差を否応なく直視させられてしまった。
仁たちと別れる際、仁はロゼッタとセシルに後顧の憂いを断ってほしいと言っていたが、洞窟に突入するまでに猪豚人間将軍を1体も見かけなかったことから、魔の森各地で魔物の群れを指揮しているものを除き、この洞窟の奥に集まっていると思われた。その予想が正しければ、エルフの戦士たちが囮となって外の魔物の群れを引きつけ、黒装束の精兵が道中の猪豚人間を各個撃破しているため、後顧の憂いなどほとんどないに等しいのではないかとロゼッタは考えていた。あの場では気丈に振る舞ったものの、ロゼッタの心は、はち切れんばかりだった。仁や玲奈、ミルにどれだけ優しい言葉をかけられようと、ロゼッタ自身が自分を役立たずだと認識している以上、それは気休めにしかならない。
ロゼッタは仁たちに感謝していた。武人になりたいと願うだけの弱い自分に、戦う力をくれた。仁と玲奈の勇者の称号の効果もあり、自分だけでは到底到達できないような力を短期間で手に入れることができた。その上、身に付けている武具も、一角の武人ですら生涯をかけて手に入れることができるかどうかというドラゴンの素材を用いたものだ。それは決して奴隷が持つようなものではない。そして何より、戦乙女の翼という家族のように大切に思い合うパーティの中に自身がいられることを心から嬉しく思っていた。
しかし、ロゼッタは幼くもなければ馬鹿でもない。今の生活がずっと続くとは思っていなかった。仁と玲奈はこの世界と関係のない異世界から無理やり召喚されたため、当然のことながら元の世界に戻ることを目的としている。幼いミルは理解していないようだが、この世界の住人であるロゼッタとミルは一緒に行くことはできないだろうことは火を見るより明らかだった。
仮に共に行く方法があったとしても、聞いた話では仁や玲奈の世界には獣人のような種族は存在しないようだった。そんな世界でロゼッタやミルのような獣人が受け入れられるはずもなく、大恩のある仁や玲奈に迷惑をかけてしまうことをロゼッタは望んでいなかった。
そして、ロゼッタは仁と玲奈が自身に望んでいる役目を十分に理解しているつもりだった。仁と玲奈が自分たちの去った後のこの世界で、ロゼッタにミルの助けになってほしいと思っていることは想像に難くない。ロゼッタ自身もミルを大切に思っているため、そのこと自体に不満はなかったが、それでも仁と玲奈が帰ってしまう前に少しでも恩返しをしたいと願っていた。
仁が帝国から召喚魔法陣を手に入れ、ルーナリアが精力的に研究を進めている現状、いつ仁と玲奈が元の世界に帰ることになるかわからない。仁がイムの件を途中で投げ出すとは思えないし、帰れるようになったからといって即座に帰るということにはならないとロゼッタは希望的観測を持ってはいるが、いつまでも一緒にいられるわけでないのは変わらず、今すぐにでも役に立ちたいと思っていた。仁はいつも、ロゼッタにきっといつか強くなると話していたが、ロゼッタにとって、いつかでは遅いのだ。
「だというのに、この体たらくとは……」
眉間にきつく皺を寄せたロゼッタの口から、思わず自分自身への恨み言が零れ落ちた。直後、ロゼッタはハッとして横目でセシルの表情を窺う。程度の差はあれど、同じように感じているであろうセシルが必要以上に責任を感じてしまうのはロゼッタの望むところではなかった。ロゼッタが申し訳なさそうに表情を崩しながらすぐ横にあるセシルの顔に目を向けると、セシルは相当に辛いのか、ロゼッタに体重を預けたまま特に反応を見せることなく、短い呼吸を繰り返していた。
「セシル殿。出口は近いはずです。もう少しだけ頑張ってください」
ロゼッタが心配して声をかけると、セシルは弱々しい笑みを浮かべた。ロゼッタは、今は愚痴愚痴と悩んでいる時ではないと自身の心に言い聞かせ、セシルを支える腕に力を込めた。
「セシル殿。出口が見えましたよ」
ロゼッタは火竜爪の槍を杖代わりに、目の前に続いている地上への坂道を両の足でしっかりと踏みしめる。自身も本調子とは程遠い中、衰弱したセシルを支えての道中は楽なものではなかったが、それでも自身に与えられた役目の一つを全うできそうだと、ロゼッタは少しだけ心が晴れる思いだった。
洞窟の外がどうなっているかわからないため、ロゼッタは一旦セシルを壁沿いに座らせ、一声かけてから槍を携えて一人で出口に向かった。ロゼッタは壁を背にして忍び足で進み、洞窟の端まで辿り着くと、そっと顔だけを出して様子を窺う。外はエルフの精兵二人が守っているため、ロゼッタは危険な状況である可能性は低いと思っていたが、念のための行動だった。
「な……!」
ロゼッタは目の前に広がる予想外の光景に絶句した。洞窟前のごつごつとした岩がところどころに見える草原で、黒装束のエルフの男が2人、地に倒れ伏していた。その微動だにしない体からは赤々とした血液が溢れ、血の池を作り出していた。
その周囲には金属製の鎧を身に纏い、槍や剣を手にした亜人が何人も集っている。その亜人たちは竜の棲家とされる草原に足を踏み入れてから洞窟までの道中に見かけた猪豚人間と同じような顔をしていたが、よりガッチリとした体格を持ち、より立派な出で立ちをしていた。ロゼッタには仁のような相手の種族を知る術はなかったが、直感的にこの亜人たちが話に聞いていた猪豚人間将軍だと悟った。
「10対1か……」
ロゼッタは小さく呟き、背後をチラッと振り返って、ぐったりとしているセシルに目を向ける。仁の見立てでは洞窟を出て魔素の正常な場所にいれば症状は治まるとのことだったが、この状況でセシルを洞窟の外に出すわけにはいかなかった。ロゼッタが向き直ると、物言わぬエルフたちを囲んで嘲るような笑い声を上げていた猪豚人間将軍たちが洞窟に向けて歩き始めていた。ロゼッタは数秒だけ目を閉じる。その僅かな間に様々な感情が胸に去来した。
「ジン殿、レナ様、ミル様……」
ロゼッタは再度振り返り、今度は洞窟の奥に目を向けた。見えるはずのない仲間たちの後ろ姿を幻視する。次の瞬間、ロゼッタは全身の震えを意志の力で止め、洞窟の外へ向かって力強い一歩を踏み出した。




