9-10.符号
「アシュレイ様、そろそろ……」
アシュレイの慟哭が静かなものに変わったのを見計らい、黒装束の男が近付く。アシュレイがゆっくりと顔を上げた。
「すまない、ジン。もう大丈夫だ」
必然的に上目遣いになったアシュレイは赤面した顔で両手に力を込めて仁の胸を押しやり、体を離して立ち上がる。アシュレイは黒装束の男から先ほど投げ捨てた短剣を受け取ると、片膝をついている仁の眼前に突きつけた。
「再度問う。ジン。なぜ我々の、姫の仇である帝国を助けて火竜を討った。お前が元の世界に戻ってから姫がどうなったか、知らないとは言わせんぞ」
アシュレイは泣きはらして真っ赤になった瞳で仁を睨みつける。再会直後ほどの鬼気迫った迫力はなかったが、それでも返答次第ではただでは済まさないという気迫のようなものが滲み出ていた。
仁は涙で濡れた目を手の甲で拭いながら立ち上がると、左手の薬指に嵌めたアイテムリングに視線を落とし、右手で優しく撫でる。
「答えろ。ジン」
仁はゆっくりと顔を上げ、真摯な瞳をアシュレイに向けた。
「クリスのことは今の帝国の第一皇女から聞いたよ。もちろん彼女はその時代を生きた人ではないから又聞きにはなるけど、帝国の中枢に伝わる話だ。おそらく大筋では間違ってはいないと思う。その話を聞いたとき、俺は自分の力不足を嘆いたよ。心が引き裂かれるくらい悲しかったし、帝国を憎く思った」
アシュレイは仁の真意を見極めようと、仁の視線を真っ向から受け止める。
「自分の心の弱さから、クリスや他のみんなの死をどこか遠くに感じていたことは本当に申し訳ないと思う。現実的に優先させるべきことが別にあったにせよ、俺が元の世界に戻ってからみんながどうなったのか知るために、もっと自分から能動的に動くべきだったと反省もしている。アシュレイのことも、こんな偶発的な再会じゃなく、自分から探すべきだった」
今思えば、観測者からアシュレイの生存を知らされたときに理由を付けて後回しにしたのは、クリスティーナや仲間たちの死に向き合う覚悟がなかったからなのではないかと、仁は自身の心に疑いを抱いた。仁は自身を精神的に強い人間だとは思っていないが、自分で思っているよりも、もっと弱いのではないかと情けなさを感じた。しかし。
「でも、火竜を倒したことに後悔はないよ」
「なぜだ」
アシュレイの眉間に皺が寄る。実際に故国の滅亡と敬愛する主であるクリスの死を目の当たりにし、長年に渡って仁以上に無力感に苛まれてきたであろうアシュレイに伝わるかわからないが、仁は誤魔化すつもりはなかった。
「もしあの火竜がドラゴンの卵を奪ったものたちだけに復讐をしようとしていたのなら、俺は干渉しなかったかもしれない。因果応報だからね。だけど、あの火竜はそうじゃなかった。帝国兵だろうと帝国の国民だろうと奴隷だろうと、たまたま帝都に滞在していただけの他国の人間も、一切の区別なく、街を破壊し、罪のない人々までも殺戮しようとしていた」
仁の瞳の輝きが増し、強い意志が宿る。自らの弱さと非を認めても、譲れない思いもある。
「そして何より、あの場には俺にとって大切な人たちがいた!」
一歩間違えば玲奈を失っていたかもしれないという事実が仁の言葉に重みを与える。実際に火竜との戦いで命を落としかけた玲奈は元より、もし仁が戦っていなかったら仁にとって大切な人たちの命がいくつも失われていたかもしれない。そのような事態だけは許容することはできなかった。
「これだけはアシュレイに何を言われようと、譲るつもりはない。同じ状況になれば、俺は何度だって同じことをするよ。それが結果としてクリスやみんなの仇である帝国を助けることになったとしても」
かつての仲間たちと今の仲間たち。仁の中で優劣はなかったが、既に失われてしまった命のために今ある命を失うわけにはいかない。自分勝手な思い込みかもしれないが、クリスティーナたちはそんなことは望んでいないと仁は思った。
「お前の守りたい大切な人というのは、そいつらのことか?」
アシュレイが仁の後ろに視線を飛ばす。仁がアシュレイの視線を追って振り向くと、玲奈やミル、ロゼッタ、セシルのはらはらと心配そうな面持ちが出迎えた。イムだけは檻の中で興味なさそうに長い首をくねらせていたが、まったくの無関心というわけではなく、チラチラと様子を窺っているようだった。仁は思わず微笑みを浮かべながらアシュレイに向き直る。
「守りたいのは彼女たちだけじゃないけど、そうだね。彼女たちが今の俺の仲間たちだよ。クリスやアシュレイたちと同じくらい大切な、ね」
アシュレイは眉間に皺を刻んだまま険しい表情で仁を見据えていたが、仁の柔らかな視線の中に確固たる意志を認め、ふっと表情を緩めた。アシュレイの視線が仁を通り過ぎ、再び玲奈たちに向く。
「女騎士に白虎族の戦士、幼い子供か」
泣きはらして未だ赤くなったままのアシュレイの目が玲奈、ロゼッタ、ミルを通して何を見ているのか、仁は察して片方の手のひらで両の瞼を覆った。仁の瞼の裏に、かつての仲間たちの姿が映し出された。
クリスティーナの親衛騎士隊の隊長にして仁に戦い方を教えた師でもあるアシュレイ。非力さを嘆きながらも厳しい鍛錬の末に仲間を守る力を手に入れた白虎族のリーゼ。幼く小さな体に非凡な才能を秘めながら驕ることなく純真で真っ直ぐに人助けに邁進したフラン。何の因果か、今の仁の周りにはかつての仲間たちに似た符号を持つ仲間たちが集っていた。
「ジン。お前が火竜を倒した理由はわかった。姫を忘れたわけではないことも」
「アシュレイ……」
仁が感慨深げに呟く。アシュレイはかつて仁に向けていたのと同じ微笑を浮かべていた。仁はようやくアシュレイと再会できたようで嬉しく思ったが、柔らかかったアシュレイの表情はすぐに真剣なものに変わる。
「私個人としてはジンやジンの今の仲間たちを信じたい。だが、今の私はエルフの里の戦士としてお前たちを拘束しなければならない」
アシュレイの言葉に仁とアシュレイのやり取りを見守っていた玲奈たちがハッと息を呑む。いつの間にか黒装束のエルフの一団が玲奈たちの背後に回っていた。ロゼッタが即座に腰を落とし、槍を構える。
「そこの白虎族。逸るな。悪いようにはしない。今は大人しく従え」
「何を勝手なことを」
「ロゼ。アシュレイを、俺を信じて槍を収めてくれないかな」
「……わかりました。ジン殿がそうおっしゃるのであれば」
「ありがとう」
ロゼッタが槍を下ろすのと同時に、黒装束たちが玲奈たちから武器を回収し、後ろ手に手首を縛っていく。
「あまりきつくするなよ」
アシュレイの言葉に、黒装束たちは目礼を返す。
「ジン。お前もだ」
「魔剣だから気を付けて」
仁は腰から不死殺しの魔剣を鞘ごと取り外してアシュレイに手渡す。初めて魔眼で鑑定したとき、不死者を倒した者のみに扱えるとなっていた。その資格を満たさない者が持ったときに何が起こるか、仁にもわからないことだった。
「忠告感謝する。では今からお前たちをエルフの里に案内しよう」
アシュレイはそう宣言すると、小さな広場の中央に鎮座している黒い石灯籠の上部の隙間に片手を刺し入れたのだった。




