9-6.包囲
全方位からおびただしい数の魔物の咆哮が響き渡り、大地を震わす振動が近付く。仁の指示で即座に戦闘態勢へと移行した戦乙女の翼の面々は困惑の表情を浮かべながらも、それぞれが武器を構え、月明かりが厚い雲に遮られた夜の森の暗闇と対峙する。既にテントや照明の魔道具もアイテムリングに収納され、キャンプの張られていた小さな広場から光が消えていた。
「もう少し」
仁は瞼を閉じ、集中力を高めて周囲の魔力を探る。セシルと檻に入ったイムを中心とした円周上に並んだ仁たちを更に取り囲むように魔物の大軍が迫っていた。仁の耳に届く獣の息遣いが大きくなり、木々の切れ間から先頭を走る犬型の魔物の鼻先が覗いた。
「セシル!」
「はい! 閃光!」
セシルが杖剣を高々と掲げ、無詠唱で魔法を発動させる。杖の先に生まれた光は一気に広がり、仁たちを呑み込んだ。閃光が瞬く間に魔物たちを襲い、眩さが一瞬の怯みを生み出す。閃光の光が消えるのと同時に、セシルは最大限の魔力を込めて光源を発動させ、広場とそれに面した森を明るく照らす。瞼をきつく閉じて閃光をやり過ごした仁たちは目を開け、戦うべき相手を見据えた。
「土槍!」
遠隔魔法で大地から勢いよく撃ち出された無数の極太の土槍が魔物の先陣を穿ち、木々を打ち倒して広場を取り囲む剣山の如く屹立した。地面から斜めに生えた土槍が後続の魔物たちを遮る。
「落雷!」
土魔法で生み出されたバリケードに阻まれて動きを止めた魔物たちに、天より雷が降り注いだ。仁は魔物たちを目視できなかったが、仁たち目掛けて殺到していた魔物たちは所狭しとひしめき合っており、細かな照準を定める必要はなかった。稲光が走ると共に、多くの命が消えていく。
仁は雷魔法の余波で燃え上がる木々に目を顰める。あまり森を破壊してしまうと棲家を失った魔物たちが人里に溢れる恐れがあるため、黒炎地獄をはじめとした広範囲魔法の使用を避けていたが、それでも多少なりとも森を傷つけてしまうのは仕方がないことだった。
仁が絶えることなく雷魔法を発動させていると、身軽な四足歩行の魔物たちが飛ぶように跳ねながら土槍を突破してくる。その場に止まることも後続に阻まれて後退することもできなくなった魔物のその行動は仁の予想通りだった。
「ジン殿。お任せを!」
「ミルも頑張るの!」
続々とバリケードを乗り越えてくる豹型やトカゲ型などの多様な魔物たちを、円から飛び出したロゼッタとミルが次々と屠っていく。ロゼッタが身体強化の技能を習得して鋭さを増した突きを繰り出すたびに魔物が断末魔の叫びを上げた。白い髪を棚引かせたロゼッタの流れるような槍撃は途切れることなく、まるで舞踏のようだった。
反対側ではミルが広範囲を縦横無尽に跳びまわり、逆手に持った血喰らいの魔剣で的確に急所を切り裂いていく。魔物の数が増えてくると、ミルは左手で腰の裏に帯びた赤い革の鞘から火竜鱗の短剣を抜き放ち、素早い動きで2本の短剣を巧みに繰り出した。仁は雷魔法を放ち続けながら二人の戦いぶりを目にし、一悶着あったにせよ、特訓の成果が現れていることに顔を僅かに綻ばせた。特にミルに関しては回復魔法の効率アップを狙ったものだったはずだが、どうやら不完全ながら身体強化を使用しているようだった。
それでも仁の雷魔法から逃れようと土槍を乗り越えてくる魔物は数を増し、ロゼッタとミルの手の届かない場所から仁たちの中央を狙うが、そうした魔物たちは玲奈の氷魔法の餌食となっていった。
どのくらい戦っていただろうか。徐々に仁たちのテリトリーに足を踏み入れる魔物の数が減り、やがてロゼッタとミルがそれぞれの武器を下ろした。
「頃合いかな。ロゼ、ミル、戻って!」
雷魔法の使用を止めた仁の指示に従い、ロゼッタとミルが駆け寄る。仁は二人が戻って来るのと同時に遠隔魔法で土壁を発動させ、土槍のバリケードのすぐ内側に5メートル超の高い壁を築いた。幾重にも重なって屹立した土壁が城壁のように仁たちを取り囲んだ。
「二人とも、お疲れ。これで少しは時間が稼げると思うから、その間に休息を取ってね」
仁はアイテムリングから取り出した各種回復薬を肩で息をしているロゼッタとミルに手渡す。
「二人とも、本当に強くなったね。訓練の成果も出ているみたいで嬉しいよ」
「あ、ありがとうございます……!」
「ジンお兄ちゃんも、ズドーン、バリバリーって、すごかったの!」
仁の労いに、ロゼッタとミルが疲労困憊の顔に笑みを浮かべた。仁は二人に笑顔を返し、ぐったりとしているセシルに近付く。既にセシルは光魔法の使用をやめ、照明の魔道具が辺りを照らしていた。
「セシルもありがとう。助かったよ」
「い、いえ。み、皆さんに比べれば、私は全然ですが、少しでもお役に立てたのであれば、よかったです……」
「本当に助かったよ。ありがとう。少し休んでね」
夜目に優れるであろう魔物たちと暗闇で戦わなくて済んだセシルの功績は決して低くないと仁は考えていたが、魔力を消耗して肩を大きく上下させているセシルと問答するのは最善ではないと考え、再度の労いと感謝を伝えるに止める。
「玲奈ちゃん。ロゼとミルのフォローありがとう」
「ううん。仁くんこそ、お疲れ様。それで、これからどうするの?」
仁はまだまだ元気そうな玲奈の様子に安堵の息を吐きながら、これからのことを考える。突如襲い掛かってきた魔物たちの出鼻を挫くことはできたが、魔力感知によるとかなりの数の魔物は健在だった。今は突然現れた土壁を警戒して様子を見ているようで、これといって大きな動きは見られなかった。
「完全に包囲されているみたいだから、なんとか殲滅するか、追い返すかしないと身動きが取れないな」
仮に一点集中で囲みを突破したところで、安全な場所など存在しない魔の森の中を大勢の魔物に付け狙われる未来はとても歓迎できるものではなかった。
「今回の件だけど、この魔物たちは何者かに統率されているような気がするんだ。もし本当にそんな存在がいるんだとしたら、そいつを倒せばもしかして……」
「でも、仁くん。こんな魔物がいっぱいの森の中に誰かいるの? それに、こんなに多くの魔物が簡単に従うのかな? 魔物使いっていう職業があるのは聞いたことあるけど……」
「うーん。こんなに大きくて多種の魔物の群れなんて聞いたことがないし、ただの魔物の群れとは思えないんだよね。明らかに包囲して俺たちを狙っているみたいだし」
ミルやロゼッタをすり抜けて仁たちの中央を目指していた魔物たちの動きから、仁は魔物たちの狙いは自分たちではなくイムなのではと考えていたが、確証があるわけではないので口には出さない。
「あ、あの、ジンさん」
仁が頭を悩ませていると、セシルがおずおずと口を開いた。皆の注目がセシルに集まる。
「も、もしかして、この森には亜人がいるのではないでしょうか」
亜人というのは仁たちが以前ダンジョンで遭遇した蜥蜴人間のような、魔物と人の中間とみられているものたちのことだった。総じて凶暴で体内に魔石を持つために魔物として一括りにされているが、中には人と意思の疎通ができるものもいたという言い伝えが残されており、人と同等の知能を有する可能性も考えられていた。
「亜人ならミルも知ってるの。亜人の王様はとっても強いって、おとーさんが言ってたの」
ミルが真剣な声音で告げたとき、壁の外から犬の遠吠えにも似た咆哮が轟いた。仁たちは一斉に声のした方を向く。仁は獣じみた声の中に、何かしらの意思が込められているように感じたのだった。




