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奴隷勇者の異世界譚~勇者の奴隷は勇者で魔王~  作者: Takachiho
第九章

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9-3.喧嘩

「玲奈ちゃん。違うんだ。これはそういうんじゃないんだ!」


 仁は憧れの女の子から侮蔑とも取れる怒りと悲しみのない交ぜになったような視線を受け、咄嗟に否定の言葉を繰り返した。玲奈のこのような表情は元の世界でもこちらの世界でも見たことがなかった。仁がすがるように玲奈を見つめていると、玲奈は仁を睨みつけながら低い声を絞り出した。


「……どう違うの?」

「これは俺がミルにどうこうしようとしていたわけじゃなくて――」

「ジンお兄ちゃん、してくれないの……?」


 闖入者である玲奈の怒っている理由がわからずに上半身だけ起こして戸惑いの表情を浮かべていたミルが、仁の言葉に反応して口を開いた。仁を見上げるミルの瞳には悲しみが乗っていた。


「ミ、ミル!」

「……仁くん?」


 言い訳を最後まで言い切ることができなかった仁に、玲奈の冷たい視線が突き刺さる。底冷えするような玲奈の声が仁の背筋を駆け抜けた。仁は身を縮こまらせながらも必死の形相で玲奈に訴えかけた。


「ち、違うんだ。ミルが魔力操作の訓練がしたいって言い出して、勇み足で脱いじゃっただけで、決して玲奈ちゃんが思っているようなことじゃないんだよ! ねっ、ミル」


 仁が同意を求めると、ミルは首を傾げながら小さく頷いた。


「ほ、ほら!」


 仁は胸を撫で下ろして強張った顔を緩めるが、結局してもらえるのかしてもらえないのかわからないミルが不満そうな表情を浮かべていたため、玲奈は簡単に信じない。玲奈は仁を無視してミルの前にしゃがみ込み、視線を合わせる。


「……ミルちゃん、本当?」

「れ、玲奈ちゃん!」


 仁は玲奈に信じてもらえないことにショックを受けるが、悲しさと同時に、どうして信じてくれないのかと心の奥底から怒りの感情が沸々と湧き上がってくるのを感じた。怒りは一度認識してしまったが最後、仁の無意識のストッパーを振り切り、仁の口から溢れ出す。


「なんで信じてくれないんだよ!!」


 仁の怒気を孕んだ大声に、玲奈とミルがビクッと体を硬直させた。


「俺ってそんなに信用できない!?」


 一拍後、玲奈が油の切れた古いオルゴールのように体ごとぎこちなく振り返った。玲奈の瞳に浮かぶ大粒の涙が仁の心を揺り動かし、仁は怯んだように一歩後退するが、せきを切ったようにどんどんと込み上げてくる感情は仁の自制心を跳ね除ける。それでも仁の心の内に生じた罪悪感が言葉の勢いを落とすが、嫌味成分を増した仁の言葉は顔を伏せた玲奈へと降り注ぐ。


「それって、結局玲奈ちゃんは俺がミルに手を出すような人間だと思ってたってことだよね。そんな風に思われてたなんてショックだなー。悲しいなー」

「――ない」


俯いている玲奈の唇が小さく動いた。


「え? 何か言っ――」

「そんな言い方しなくってもいいじゃない!」


 バッと顔を上げた玲奈が涙目を吊り上げて仁を睨みつける。


「確かに勘違いした私が悪かったかもしれないけど、そもそも勘違いさせるようなことをしてた仁くんが悪いんじゃない! 毎日毎日訓練を言い訳にロゼとえっちなことして!」

「なっ! そんなことしてないよ!」

「してるよ! さっきだって、ロゼがえっちな声出してたじゃない。セシルさんと一緒に聞いてたんだから!」

「された人がどう感じるかなんて俺は知らないよ! それに、それを言うなら前に玲奈ちゃんだって同じような声出してたじゃん! 俺はそんなこと思いもしてなかったけど、玲奈ちゃんはエッチなことされてるって思ってたんだ。ふーん」

「仁くんの嘘つき! 仁くんの心臓がばくばく言ってるの丸わかりだったんだから。仁くんも絶対えっちなこと考えてたもん!」

「か、考えてないし!」


 仁は玲奈に当時の自身の心境を言い当てられて怯むが、認めるわけにはいかなかった。玲奈は玲奈で言外に卑猥なことをされていると思っていたことを認めてしまっているのだが、仁も玲奈も気付かない。互いに引くに引けなくなっているのを多少は自覚しながらも、言葉の応酬は終わらない。


「って、ていうか、魔の森は安全地帯がなくて危険だって言ってるのに、そんな盗み聞きみたいなことしてたの? 俺は訓練してる間もちゃんと周囲を警戒してたのにな」

「ちゃ、ちゃんと周りに気を配ってたもん! そう言う仁くんこそ、テントのすぐ外で聞き耳を立てられてるのに全然気付かないなんて、どれだけロゼのえっちな姿に夢中になってたの? い、嫌らしい」

「エッチなことしてると思い込んで盗み聞きするような変態に言われたくないよ!」

「へ、変態じゃないもん!」


 仁と玲奈はフーフーと息を吐きながら見苦しく言い合いを続ける。テントの中とはいえ、こうまで大声を出せば外まで丸聞こえなのがわからない二人ではなかったが、魔の森の中腹で大声を出すことの危険性を十分理解していても尚、互いに止まることができないでいた。テントのすぐ側でセシルがオロオロとしていたが、仁と玲奈は気付かない。


「――なの」


 そのとき、仁と玲奈の耳がか細い声を捉えた。悲しみを湛えた小さな声は言い争っている仁と玲奈にも不思議とはっきり聞こえた。仁と玲奈は口を閉じて声の主に顔を向け、ハッと息を呑んだ。


「ミルが悪かったのなら謝るの。だから、ジンお兄ちゃんもレナお姉ちゃんもケンカしちゃダメなの……」


 涙を流して顔をくしゃくしゃにしたミルの、嗚咽混じりの言葉だった。




「じ、仁くん。その、早とちりしちゃって、ごめんね……」

「俺も勘違いさせるようなことして、ごめん」


 仁と玲奈は視線を僅かに逸らしたまま、互いに謝罪を受け入れあう。二人の頬は羞恥で赤く染まっていた。


「ううん。仁くんがそんなことするはずないのに、変な言いがかりつけて……。ミルちゃんにも悪いことしちゃった」


 玲奈は自分が恥ずかしいと零しながら俯く。言い争いを止めてミルに謝った後も小さく泣き続けるミルをセシルに任せてテントを出た仁と玲奈は、森の中の冷たい風で頭を冷やしていた。


「俺の方こそ、玲奈ちゃんが必死に頑張っていたのを知っているのに、それを馬鹿にするようなことを言ってごめん。それと、あのときエッチな気持ちが全くなかったって言ったら嘘になるけど、それは不可抗力だと思ってほしいです。憧れの人の際どい所に触れるのにドキドキしない男はいないです……」


 仁が申し訳なさそうに白状すると、玲奈の耳が一層赤みを増した。


「だ、だけど、ロゼにしてもミルにしても、玲奈ちゃんのときとは違うから! ロゼにドキドキしなかったわけじゃないけど、本当にやましい気持ちはないから!」

「う、うん……」


 恥ずかしそうに俯いたまま答える玲奈の姿に、仁は自身の発言が玲奈は特別だと言っているのに等しいことに気付く。仁が玲奈のファンである以上、それは玲奈にも周知の事実であるはずだったが、ファンとしての憧れと恋愛としての好きの感情の狭間で揺れ動いている今の仁にとって、それは告白したとも取れる言葉であり、仁の顔はかつてないほどの熱を持った。


「ジン殿、レナ様。何かあったのですか?」


 仁との訓練の後、ずっとテントで休んでいたロゼッタが起き出し、仁と玲奈の様子を不思議そうに眺める。仁は元を辿ればロゼッタが原因なのではと思ったが、それはそれで責任転嫁するみたいで気持ちのいいものではなく、仁は首を小さく振ってから大きく息を吐く。玲奈も同じ気持ちだったのか、二人の溜め息が重なった。二人の様子に首を傾げるロゼッタを前に、仁と玲奈は顔を見合わせて小さく吹き出したのだった。


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