8-22.焦燥
時は数日遡る。仁とミルが捜索隊の一員としてダンジョンに突入してから何日か過ぎた頃、この日も玲奈はダンジョンの入口前の広場を訪れ、日がな一日、何をするでもなく、ただ仁とミル、ヴィクターたちの帰りを待ち続けていた。初期の頃はロゼッタも一緒だったが、玲奈はロゼッタを自身の自己満足に付き合せるのを良しとせず、鍛錬などのいつも通りの生活に戻るよう強く説得したため、今は一人だった。
「はぁ……」
玲奈は大きく溜息を吐く。仁たちがすぐ帰って来られないのはわかっていたし、自分がここで待ち続けていても何ら仁たちの助けにならないことは重々承知の上だった。それでも毎日のように足を運んでしまうのは、僅かな罪悪感から逃れるためだろうか。
玲奈は自身の気持ちを体現するかのような曇天を見上げ、自分もヴィクターたちの捜索に加わりたいと我が儘を言って仁を困らせたときのことを思い出す。ヴィクターたちを心配する気持ちに嘘はないが、それよりも仁とミルと離れたくない気持ちが遥かに上回ってはいなかっただろうか。
「ううん。それも少し違うな」
玲奈は静かに首を横に振ると、自嘲気味に小さく笑った。もちろんその気持ちにも偽りはなかったが、正確ではなかった。
「仁くん……」
玲奈の口から切なさが溢れ出す。今の玲奈の心の大半を、仁に会いたい、仁と一緒にいたいという想いが占めていた。仁がコーデリアに召喚されたときとは違い、離れ離れになった理由も居場所も明確であるにも関わらず、その気持ちは今の方がより強いように感じられた。ようやく再会できたばかりだからという理由もないとは言い切れないが、それだけではないと玲奈は頭ではなく心で理解していた。しかし、なぜ仁のことしか考えられないのか、玲奈はわからず頭を悩ませる。
「私って、そんなに仁くんに頼ってばっかりだったかな……」
仁と二人で帝都を発ったあの日から、玲奈は仁と対等に助け合いたいと願っていたが、やはり一方的に依存しているのではないかという考えが頭を過る。仁と一緒にこちらの世界に召喚されてから今までのことを思い返すと、仁に助けられる場面ばかりが脳裏に浮かんだ。
リリーに発破をかけられ、帝国に再召喚された仁を必ず助けると意気込んでいたが、結局のところ、玲奈にできたのは帝国に赴いたことだけ。それも、リリーが動かしたマルコ率いるマークソン商会の商隊に連れて行ってもらっただけで、玲奈自身が何かしたわけではなかった。
ドラゴンとの戦いでは少しは仁の助けになったかもしれないが、仁がドラゴンを倒すまでに多少の時間稼ぎをしたに過ぎない。仁に問えば、きっと「玲奈ちゃんのおかげでドラゴンを倒せたんだよ」と優しく言ってくれるだろうし、実際何度も感謝の言葉を仁からかけられたが、仁の隣に並び立つという目標にはほど遠かった。
仁と再び離れ離れになった今、胸に感じる寂しさや心細さ、そして言語化できない多くの感情の原因は、玲奈自身の弱さにあるのではないか。そう思った瞬間、玲奈は背筋を駆け抜ける悪寒を感じ、肩を掻き抱いてその場にしゃがみこんだ。
大して役に立っていないのに、我が儘を言って仁を困らせてしまった。その事実が、いつか仁に捨てられてしまうのではないかという最悪の妄想を生み出す。仁が記憶を失くしていたという話をコーデリアから聞いたときに感じたのと同じかそれ以上の、果てしない喪失感が玲奈を襲った。
仮に再び仁が記憶を失っても、今回のように思い出してくれるかもしれない。しかし、仁が自分の意思で玲奈を捨てた場合、玲奈にできることは何もなかった。仁が玲奈のファンである以上、そんなことにはならないかもしれないが、ファンがずっとファンでいてくれる保証がないことを、玲奈は痛いほど知っていた。それに、この世界では玲奈が声優であることは何の助けにもならない。玲奈は仁が自分のファンになったきっかけは声だったと記憶しているが、それは普段の地声ではなくアニメのキャラクターを演じた声だった。
初めの頃は、玲奈は仁が何かしらのキャラを演じて欲しいと言ってくるかと思っていたが、内心はともかく、結局今に至るまで仁がその要望を口にしたことは一度もなかった。玲奈としては節度のあるファンだと感心する反面、少しくらい強請ってくれていいのにと寂しく思っていたものだったが、今となっては自分からいろいろサービスしてこなかったことが悔やまれた。仁が玲奈を尊重し、大切にしてくれていたのに比べて、玲奈は仁に何かしてきただろうか。見られたくない恥ずかしい場面は何度も見られてしまったが、それを仁に見捨てられない理由にするのは、仁にとっても失礼な話に思えた。
悪い想像が悪い想像を呼び、玲奈の胸中を満たしていた切なさは、いつしか焦燥に変わっていた。
「あ、玲奈さん。やっぱり今日もここにいたんですね」
玲奈が俯いていた顔を上げると、赤髪をひょこひょこと揺らしたリリーが呆れ顔を浮かべていた。
「皆さんの装備のことで職人さんたちが少し話を聞きたいって――」
リリーは玲奈の青い顔に気付いて言葉を切る。リリーは唇をきつく結ぶと、大股で玲奈に近付き、玲奈の腕を取って強引に立ち上がらせた。
「リ、リリー?」
「いいからこっちに来てくださいっ」
リリーは戸惑う玲奈に意を介さず、引きずるように歩き出した。玲奈が何事かと頭を混乱させている間に目的地に到着したリリーは木製の扉を勢いよく開け放った。
「フェル姉、一部屋お借りしますっ!」
リリーはカウンターで目を丸くしているココの叔母の前に一泊分の料金を叩きつけるように置いた。食堂の方からフェリシアの「おっけ~」という気の抜けた声が聞こえるのを待たず、リリーは玲奈の手を引いて二階へ続く階段に足を向けていた。リリーは廊下の奥のドアを開けて玲奈を押し込むと、自身も部屋に入ってからドアを強く閉めた。
「レナさん。そこに座ってください」
玲奈はリリーに言われるまま、ベッドの端に腰を下ろす。玲奈が不安げに様子を窺っていると、リリーは木の椅子を玲奈の前に勢いよく置いた。玲奈がビクッと身を震わせた。
「それで、レナさん。何があったんですか?」
「……え?」
椅子に腰を下ろしたリリーが尋ねると、何を言われるのかとドキドキしていた玲奈は目を丸くした。何があったのかと問いたいのは玲奈の方だった。
「そ、それはこっちのセリフだよ。いきなり鳳雛亭に連れ込んで……」
抗議するように唇を尖らせる玲奈に、リリーは大きく溜息を吐くと、硬かった表情を和らげた。
「違うとは思っていましたが、ジンさんたちに何かあったわけじゃないんですね」
「え? 仁くんたちからは何もないけど……」
頭に疑問符を浮かべる玲奈に、リリーは再度溜息を吐いた。
「じゃあ、レナさんは何で青い顔をして震えていたんですか?」
「何でって、ただ仁くんたちの帰りを待ってただけだけど……」
「それだけで、あんな世界が終ったかのような顔になるわけないじゃないですか。さぁ、話してくださいっ!」
リリーはグイッと玲奈に顔を近づける。玲奈はリリーの真摯な視線から逃れるようにきょろきょろと辺りに目を向けていたが、誤魔化しきれないと観念し、胸の内をリリーに打ち明けたのだった。




