8-18.信頼
その後、皆でキャンプの準備を整え、夕食を囲んだ。この数日間、ヴィクターとサポーターの少女たちは干し肉などの僅かな保存食で食いつないでいたため、仁がアイテムリングから取り出した湯気の上がる温かな調理済みの料理にキラキラとした視線を送っていた。少女の一人は仁自身に熱い視線を向けていたが、仁と目が合うとサッと目を逸らしたのだった。
ヴィクターの話によると、普段通りダンジョン上層の魔物を狩って魔石などの素材を集めていたところ、何の前触れもなく床が抜けて4人は縦穴を落下したとのことだった。サポーターの少女3人を宙で抱えたヴィクターは背中から斜面に激突し、そのまま坂を転げ落ちた。その際に負傷したヴィクターは満足に動くことができず、岩陰に隠れて僅かな灯りを頼りに助けを待った。周囲に魔物の気配はなかったものの、未知の状況では何が起こるか分からず、ヴィクターは少女たちにあまり動き回らないように言い聞かせていたのだった。
「ジンくん。ジンくんたちが大変なときに迷惑をかけたね。ジンくんやミルたちがメルニールに戻って来ていたことが本当に希望になったよ」
「ミルミルとミルミルのお兄さんがきっと助けに来てくれるって、みんなで励まし合っていたんです。何と言ってもメルニールを救った英雄と小さな聖女様ですからね!」
ファムはそう言って隣で大好物の串焼きに齧り付いているミルに抱き付く。ミルは至福の時を邪魔されて僅かに迷惑そうにしながらも、晴れやかな笑みを湛えていた。仁はじゃれ合う2人を微笑ましく見守る。父と母が戻って来るのを待ち続けることしかできなかったミルが自らの手で友人を救い出せたことを、仁は本当に嬉しく思った。
夕食後もしばらく続いた歓談は子供たちが眠気眼を手で擦り始めた辺りで一旦切り上げられ、子供たちがそれぞれのテントに引っ込む。残った大人たちだけが光量を抑えた照明の魔道具を取り囲むように集った。
「それでジンくん。今回の件をどう見る?」
先ほどまでの柔和な表情を一転して真剣なものに変えたヴィクターが一段低い声で問いかけた。ガロンたちの視線が仁に集まる。仁の中では未だに何者かの意図した事態ではないのかと言う疑念が渦巻いていたが、何の確証もない上に、観測者などという得体の知れない存在を信じてもらえる自信がなく、仁は言いよどんだ。
「兄ちゃん。今は少しでも情報が欲しい。何か思うところがあるなら話してほしい。ダンジョンを中心に回っているメルニールにとって、今回の件は死活問題になりかねねえ」
メルニールに住む人々の生活の基盤はダンジョンから得られる魔石や魔物の素材であることは間違いなく、そのダンジョンで今後も不測の事態が起こり続けた場合、多くの人々の生活が揺らぐ事態になりかねない。仁はゆっくり瞬きすると、乾いた唇を動かす。
「その、皆さんは突拍子もないことに思うかもしれませんが、聞いてください」
仁はかつて召喚された際のことやラストルと知り合いだということをぼかしながら、ダンジョンがアーティファクトの力で造られた人工物である可能性や、それを知るきっかけとなった観測者との出会いを話して聞かせた。ガロンやヴィクターたちは茶々を入れることなく、仁の話に耳を傾けた。
「初代様がダンジョンを発見したのではなく、ダンジョンを造った、か。いや、確かに突拍子もねえ話だが、そう考えるといろいろと納得できることはあるな」
「ええ。逆に生じる疑問もありますが、腑に落ちることも多々あります」
「た、確かにまったく考えもしなかったですけど、確かに合点のいく点は多いですね」
ガロン、ヴィクター、ノクタが感想を口々に言い合う。
「あの、皆さん、俺の話を信じてくれるんですか?」
仁が恐る恐る声を上げると、3人が丸くした目を向けた。それまで黙っていたクランフスが泰然とした態度で口を開く。
「英雄殿。盲信しているわけではござらんが、付き合いの浅い某でも英雄殿を頭から疑おうとは思いませぬ。某よりも死地を同じくしたお三方なら尚のことではござりませぬか?」
「そうだぜ兄ちゃん。今更疑ってかかるようなら兄ちゃんが帝国の召喚魔法で召喚されたかもって話を信じてわざわざ帝国まで行きゃしねえよ」
「その魔法陣みたいに、アーティファクトの力は私たちには推し量れないものがほとんどですし。ダンジョンを造るくらいやってのけても不思議ではないですよ」
「こうなってくるとダンジョンのようなものが自然に生まれたなんてほうがよっぽど不自然に思えてくるね。それに、僕は自分の友人を端から疑うような人間にはなりたくはないな」
「皆さん……」
仁は鼻の奥がつんとするのを感じながら、もう何度目かになる良い出会いに感謝の念を抱いた。感極まったような声を出す仁に、温かな視線が注がれた。
「とりあえず、地上に戻ったらギルド長に相談しねえとなあ。探索者ギルドとも協力して大規模な調査が必要になるかもしれねえ」
「100階層とも言われる最下層を目指すとなると、かなり長期的なものになりそうですね」
今後の算段を話し合っているガロンとノクタを眺めながら、仁はダンジョンを出たらイムをドラゴンの棲家に帰すための旅に出なければならないことを心苦しく感じた。メルニールの安全のためにもイムを連れて早くメルニールを離れることは必要なことではあるが、恩のあるメルニールの人々にとっての一大事に手を貸せないことを思い悩む。眉間に皺を寄せている仁に、ヴィクターが爽やかな笑顔を向けた。
「ジンくんたちはジンくんたちのやるべきことをやってくれよ」
「そうですな。英雄殿らの帰る場所は某らにお任せ下され」
クランフスが頼りがいのありそうな自身の厚い胸を拳で叩く。仁は思わず頬が緩むのを感じながら、クランフスの言った“帰る場所”という言葉を頭の中で反芻したのだった。
しばらくして大人たちの集いも解散となり、夜番の順がガロンとノクタ、仁とヴィクター、最後にクランフスと決まった。ガロンたちは仁とヴィクターは大事を取って休んでいるべきだと主張したが、仁とヴィクターは大丈夫だと譲らなかった。
いつでも何でもできるわけではないが、その時々でできることをしようと考えながら仁がテントの入口を潜ると、2人分の影が目に入り、テントを間違えたのかと後退して辺りを見回す。自分のテントに間違いがないことを確認して再度テントに顔を挿し入れて目を凝らすと、ミルに寄り添うようにしてファムが眠っていた。
仁がそういうことかと納得して自身の寝袋に足を突っ込んでいると、ファムが体を半分だけ起こす。
「あ、ごめん。起こしちゃったかな」
「いえ、何だか寝付けなくて……」
ファムは安心しきった様子で寝息を立てているミルと対照的に不安を滲ませていた。ファムはヴィクターと一緒によくダンジョンに潜っているが、それは比較的安全な上層での話だった。仁はファムが不安で眠れなくても無理はないかと思い、なんとかしてあげたいと考える。ミルだったらこんなときどうしたら喜ぶか、仁は今までの経験を紐解き、一つの結論に思い至る。仁がその考えを実行に移すか頭を悩ませていると、顔を赤く染めたファムが上目遣いで仁を見つめていた。
「あの、ミルミルのお兄さん。ミルミルがよくしてもらっているみたいに、一緒に寝てもらっていいですか……?」
仁はファムが同じことを考えていたことを知り、小さく吹き出す。
「あ、あの、お兄さん……?」
「あ、ごめんごめん。やっぱりミルの友達なんだなって」
ファムの頬の赤みが増し、仁はまずいことを言ってしまったかと焦るが、ファムはミルを起こさないようにそっと移動すると、仁と同じ寝袋に潜り込んだ。
「ミルミルのお兄さん、とっても温かくて安心します。実は、ミルミルからよく話を聞いて、ちょっとだけ羨ましく思っていたんです」
仁はファムの生い立ちや普段どのような生活を送っているのかあまり知らなかったが、幼くしてサポーターの仕事をしていることからある程度察することはできる。仁はこの瞬間だけはファムの不安がなくなるようにと願って、窮屈な中で腕を回し、いつもミルにしているように背中をポンポンと軽く叩く。すぐに寝息を立て始めたファムに、仁はホッと胸を撫で下ろす。ファムの温かな体温を感じながら、仁も意識を手放して夢の世界へと旅立ったのだった。




