8-16.殺人蟻
「ぐっ」
仁は右の足首から伝わる激痛に耐えながら黒炎刀を振り抜き、足元の地面から顔を出していた黒い蟻の魔物の頭部を切断した。その切断面からは毒々しい緑の体液が溢れ、地面を溶かす。大型犬ほどの大きさの殺人蟻は断末魔の声を上げる間もなく絶命していたが、強靭な2つの顎は未だ仁の足首に喰い込んだままだった。殺人蟻の頭部を払いのけようとする仁の頭上から、女王殺人蟻の放った大量の毒液が襲い掛かる。動けないでいた仁の全身が緑で染まり、直後、体中の至る所から煙が立ち昇って仁の姿を隠す。
「ジンお兄ちゃん!」
悲壮感の籠ったミルの叫びが辺りに木霊した。女王殺人蟻が勝ち誇ったように2対の顎を軽快に打ち合わせた。それに合わせるように、女王殺人蟻の周囲の地面から次々と黒い頭が生え、一斉にガチガチと顎を鳴らした。顔面を蒼白にしたミルが仁の元へ駆け寄ろうとするが、女王蟻から生まれた10匹の蟻が群がり、道を塞ぐ。サポーターの少女たちが悲鳴を上げ、ガロンたちが武器を構えた。
「黒炎斬!」
不快なハーモニーを仁の鋭い声が切り裂き、ミルたちに殺到しようとしていた殺人蟻の群れを黒炎の刃が切り抜けた。黒炎斬が地面に三日月の傷跡を作り、土埃が立ち込める中、生き延びた数匹が立ち止って背後を振り向く。煙の中から姿を現した仁は、黒炎の鎧を身に纏っていた。仁は毒液を被る瞬間、咄嗟に黒炎のヴェールで全身を覆って毒液から身を護ったのだった。
歓喜の声を上げるミルに笑顔で応じようとした仁の表情が苦痛に歪み、片膝をつく。殺人蟻に噛まれた際に足首の傷から入った毒が仁を蝕んでいた。仁を睨みつけていた女王殺人蟻が顔を天井に向け、カタカタと顎を鳴らす。再び地面を突き破って顔を覗かせる大量の殺人蟻の姿に、仁は歯噛みした。
殺人蟻の群れは二手に分かれ、一方は仁を取り囲み、もう一方はミルたちの元に向かっていく。仁は片膝をついたまま、両手の黒炎刀を横薙ぎに振るって牽制すると、ミルたちに迫る殺人蟻の進む先に目を向けた。
「火壁!」
仁が遠隔魔法を発動させるべく高らかに魔法名を詠唱するが、何も起こらない。仁は焦りの表情を浮かべながら周囲の魔素に意識を集中させる。
「くそっ!」
仁たちが横穴に足を踏み入れたときに洞窟内に満ちていた濃い魔素のほとんどが女王殺人蟻を生み出す際に使われてしまったのか、洞窟内の魔素量は一転して極めて少ない状態になっていた。空気中に魔素が十分になければ遠隔魔法は使えない。
洞窟内を埋め尽くさんばかりの黒い集団がミルたちの目前に迫る。ヴィクターがサポーターの少女たちを隠すように立ち、その前でクランフスとノクタが武器を構える。盾を失っているノクタは悔しそうに表情を歪めていたが、それでも諦めてはいないようだった。ミルはファムをヴィクターの背後に押し込むと、最前線に立つガロンの横に並んだ。決死の覚悟を決めたようなミルやガロンたちの表情が、仁の焦りを駆り立てた。
仁は黒炎刀を握ったまま両手を地面に突き、足元から土壁を発動させる。仁は自身を中心とした円をじりじりと狭めていた殺人蟻から数メートルの高さ分逃れると、震える足に鞭打って立ち上がった。
「黒炎斬!」
仁の両腕が乱舞し、2本の黒炎刀から無数の黒炎の刃が放たれる。ミルたちに迫っていた黒い群れがズタズタに切り裂かれ、黒で覆われた地面が毒々しい緑に染まっていく。ミルたちを狙っていた殺人蟻の全てを倒せたわけではないが、数さえ減らせば残りはきっとミルたちが倒してくれる。そう考えた仁は両手をだらりと下ろし、女王殺人蟻に目を向けた。女王殺人蟻の青かった複眼が、怒りで燃えるように赤く輝いていた。
女王殺人蟻は地面に突き刺したままだった長大な針を勢いよく抜き取ると、仁目掛けて全力で駆け出した。先ほどまでより幾分かスマートになった腹部を引きずりながら、6本の足で強く地面を踏みしめて洞窟内を揺らす。黒炎刀の剣先がゆらゆらと揺らめく。仁の足元からはガチガチと威嚇するかのような音が近付いてきていた。
仁は両腕の先に自身の魔力を集中させながら腰をかがめた。女王殺人蟻が目前に迫り、足元から黒い顎の先端が覗いた瞬間、仁は力を振り絞り、痛む足で土の壁の床を蹴るようにして背後に跳んだ。宙に体を投げ出した状態で、仁は頭の上で2本の黒炎刀を束ねる。赤黒い2本の剣が溶け合い、1本の長大な剣となった。仁の身長の数倍に伸びた剣に魔力が注がれ、剣の周りを黒い炎が荒れ狂う。
怒りで我を忘れた女王殺人蟻が殺人蟻ごと土壁を硬い頭部でぶち破った。土壁の残骸が辺りに舞う中、女王殺人蟻の視線と仁の視線が交差した。
「ハァアアア!」
裂帛の気合と共に振り下ろされた長大な黒炎刀の刀身が、銀の甲殻を切り裂いた。真っ二つになった女王殺人蟻の体が仁を掠めて背後へ飛んで行く。女王殺人蟻の体液が黒炎で蒸発して煙を上げる中、仁は背中から地面に激突し、くぐもった呻き声を上げた。
魔力の大半を使い果たしてしまった仁の黒炎の鎧が仁の中に溶けるように消え、完全には防ぎきれなかった毒液に触れた金属製の軽鎧が腐敗するようにボロボロになっていく。仁の体内と体外を毒が蝕む。意識を朦朧とさせた仁は地面に体を預けたまま、自身に近付く足音を聞いていた。カチカチと不快な音が耳朶を震わせる中、仁は意識を手放した。




