8-8.訪問
「イムちゃんは今日からイムちゃんなの!」
元気に告げるミルを前に、檻の中の子竜が少し長い首を傾けていた。檻の前にしゃがみ込んだミルが串焼きを格子の間を通して子竜の前に差し出すと、2本足で立ちあがった子竜が小さな手で掴み、そのまま噛り付いた。
子竜が食事をしている間、ミルは余程嬉しいのか「イムちゃん、イムちゃん」と連呼していた。串焼きの肉を全て食べ終えた子竜は丸裸になった串を名残惜しそうに見つめていたが、ミルが串を引っこ抜く代わりに刺し入れた手で頭を撫でると、気持ちよさそうに目を細めた。
「ミルはミルで、イムちゃんはイムちゃんなの」
子竜は何度も同じ言葉を繰り返すミルを不思議そうに眺めていたが、ミルが空いた手で自分と子竜を交互に指さしながら続けると、やがて返事をするかのようにグルッと鳴き始めた。
「イムちゃん」
「グルッ」
「イムちゃん!」
「グルッ!」
ミルとイムは飽きることなく何度も繰り返す。仁は玲奈たちと一緒に地下室の入口を入ってすぐの辺りから様子を見守っていたが、幸せそうなミルの小さな背中を眺めて顔を綻ばせた。
「こうしてミルちゃんたちを見ていると、ドラゴンだからっていうだけで警戒し過ぎていたかもって思えてくるなあ」
「ミル様にとても懐いているように見えますね」
感慨深げに呟く玲奈に、ロゼッタが同意を示す。二人は子竜を檻から出すことに難色を示していたが、仁はドラゴンとの関係改善のためには必要なことではないかと考えていた。仁が多少なりとも考えを改めてくれればと思っていると、玲奈がセシルに顔を向けた。
「ねえ、セシルさん。子竜、イムちゃんは普段、一度にどのくらい食べるの?」
「私が餌やりをしていた際はあまり口にしませんでしたけど、ミルさんの串焼きは何本も食べていました」
「そうなんだ」
仁はソワソワし始めた玲奈の様子に苦笑いを浮かべながら、アイテムリングから串焼きを数本取り出す。
「はい、玲奈ちゃん」
仁が玲奈に串を差し出すと、玲奈は笑顔の花を咲かせた。玲奈は感謝の言葉と共に串焼きを受け取り、足早にミルたちの元へ向かう。ウキウキとした玲奈の後ろ姿を眺めながら、仁は初めてミルと出会ったときのことを思い出していた。あのときから今も変わらず、ミルは屋台の串焼きを大好物にしていたが、それが子竜との懸け橋になるかもしれないとは思ってみないことだった。
「あ、ロゼはどうする?」
「え、じ、自分ですか?」
「うん。たぶんだけど、俺以外は嫌われてないと思うんだけど」
少しだけ寂しそうな気持ちを言葉に乗せる仁に、壁際に立って様子を見守っていたロゼッタは首を素早く横に振った。別の個体とはいえドラゴンと対峙したときの恐怖が残っているのだろうと仁は考え、申し訳なさそうにしているロゼッタに気にしなくていいと笑みを送った。
「それにしても」
視線を玲奈の差し出す肉に嬉しそうに齧り付く子竜に戻した仁が誰にでもなく呟いた独り言に、セシルとロゼッタが反応して視線を寄せる。
「生肉はあまり食べなかったのに焼いた肉を好んで食べるなんて、もしかして火竜や炎竜って自分の炎で焼いて食べる習性があったりするんだろうか……?」
仁の疑問に答えられる者はその場におらず、玲奈やミルの楽しそうな話し声とイムと名付けられた子竜の機嫌の良さそうな鳴き声だけが地下室に反響したのだった。
その後、自分たちの昼食も終えた仁はリビングのソファーの背に脱力してもたれかかり、何をするでもなく天井を眺めていた。ルーナリアの頑張りのおかげで早々に再び玲奈の奴隷に戻って特殊従者召喚を使えるようにするという最優先事項を完遂した今、仁は新しい武器と防具が完成するまでに他に何をすべきか考える。
旅立ちの日に備えて既にアイテムリングには大量の保存食や飲み水が備蓄されていた。困難に思えたドラゴンとの和解の道も、ミルとイムの関係如何ではどうにかなるのではないかと淡い期待が生まれていた。もちろん楽観視するわけにはいかないが、泥沼の報復の応酬だけでも避けられればという思いがあった。それでも再びドラゴンと相見える可能性がある以上、今より強くならないといけないという焦りも仁の中で燻っていた。
やはり一人でもダンジョンに籠って鍛錬すべきか。いろいろな考えが仁の頭を巡る中、チラチラと脳裏にリリーの笑顔が過り、仁は頬が熱を持つのを感じていた。ドラゴンという大問題を抱えてはいるものの、リリーとの一件は恋愛経験値の低い仁にとってそれはそれで大事件だった。
「柔らかかったなぁ……」
「何が柔らかかったんですかっ?」
思わず呟いた仁の視界を、黒い影が遮った。天を向いた仁の顔に覆い被さるように降りた影の両端から、2本の長い髪が垂れていた。
「リ、リリー!?」
仁は目を見開きながらソファーから滑り落ち、床に腰を下ろしたまま慌てて振り返る。
「はい。リリーですっ!」
「ど、どうしてここに? というか、いつの間に?」
仁のあまりの慌て振りに、元気よく返事をしたリリーの口からクスクスと笑い声が零れる。仁の視線は自然とリリーの艶やかな唇に吸い寄せられていた。
「ちゃんとシルフィさんに案内されて普通に玄関から入ってきたので安心してください。ジンさん、さっきから呼んでるのに全然気付いてくれないんですもん。てっきり寝ちゃってるのかと思っちゃいました――って、や、柔からかったって、もしかして……!?」
リリーは笑顔で答えながら、仁の視線に気付いて頬を赤く染める。仁はしまったと後悔するが、もはや後の祭りだった。二人の間にピンク色の空気が流れる。
「仁くんもリリーも、どうかしたの?」
言葉を失くしてもじもじとしている二人に玲奈が首を傾げながら尋ねると、仁が飛び起きる。
「な、何でもないよ!」
とても何でもなさそうな仁の様子に、玲奈はますます首の傾きを大きくしながら少しだけ唇を尖らせているリリーに目を向けた。
「リリー?」
「あ、ごめんなさい。何でもなかったみたいです」
一転して笑顔を浮かべるリリーに、玲奈はさっきまでとは逆の方向に首を傾げた。疑問が解消できないでいる玲奈は再び口を開こうとするが、仁のあからさまな咳払いが遮った。
「そ、それで、リリー。今日は何をしに?」
「実はジンさんたちがまたメルニールを発つまで、お爺ちゃんに無理を言ってお休みをもらったんです。だから、遊びに来ちゃいましたっ」
「そ、そうなんだ」
「もしかして、ご迷惑でしたか……?」
「そ、そんなことないよ! ね、玲奈ちゃん」
「う、うん。リリーなら大歓迎だよ」
玲奈は尚も二人の様子を訝しんで目を細めていたが、悲しげに目尻を下げるリリーに慌てて歓迎の意を示し、リリーにソファーを勧める。
「ありがとうございますっ」
玲奈の勧めに従ってリリーがソファーに腰を下ろし、仁と玲奈も続く。シルフィはリリーをリビングに案内してからすぐに仕事に戻っていて、ミルはセシルと一緒にココの仕事を手伝いに、ロゼッタも庭先で穂先の潰れた槍を振るって鍛錬をしているため、屋敷のリビングにいるのは仁たち3人だけだった。
ニコニコとした笑顔のリリーと、未だに不思議そうに僅かに小首を傾げている玲奈を前に、仁は何か悪いことをしたわけでもないにも関わらず、居たたまれない気持ちになったのだった。




