8-6.子竜
その後、玲奈の特殊従者召喚が無事発動するのを確認し、その日は解散となった。各々が地下室を出てそれぞれに散っていく中、ミルを腰にくっつけたままの仁がセシルの背中に声をかけた。仁の呼びかけに、セシルが足を止めて振り向く。
「こっちの暮らしにはそろそろ慣れた?」
「あ、はい。戸惑うことも多いですが、皆さんが良くしてくださるので……」
セシルは仄かに笑みを浮かべるが、仁の目にはそれが無理をしているように映った。
「やっぱり子竜との関係が上手くいってない?」
仁が尋ねると、セシルはハッと息を呑んだ。
「は、はい。なかなか心を開いてくれないみたいで……。このままではご主人さ――コーデリア様に顔向けできません」
セシルは眉間に皺を寄せて俯く。セシルはコーデリアから子竜の世話を命じられると共に、知恵のあるドラゴンの子である子竜が人間に対して敵意を持たないように可能な限り良い関係を築くよう言われていたのだった。この任に当たって、奴隷が主人の元を長期間離れることは好ましくないため、セシルは奴隷の身分から解放されて正式に帝国の騎士となっていた。その上で、メルニールでの滞在中に余計な騒動を避けるためにその身分を隠し、冒険者としてギルドに登録していた。今は一時的にではあるが戦乙女の翼の新人として扱われている。
「これまでセシルに任せっきりだったけど、俺たちにも手伝わせてくれないかな?」
「で、でも……。皆さんにはご迷惑をおかけしているわけですし、お手を煩わせるのは……」
「遠慮は無用だよ。それに、せっかく巣に返せたとしても子竜が人間を恨んでいたら意味ないしね。俺たちにできることがあるなら、協力させてほしい」
仁のセリフに合わせるように、ミルが片手を仁の腰から離して挙手をする。
「セシルお姉ちゃん。ミルもドラゴンの赤ちゃんにご飯あげたいの!」
「ミルもこう言っているし、いいよね?」
セシルは困り顔を作っていたが、キラキラと見上げるミルの視線に負けて小さく頷いた。
仁とミルはセシルの後に続き、屋敷内の別の地下室に足を踏み入れた。6畳ほどの小ぢんまりとした薄暗い一室の隅に、コーデリアから譲り受けた小型の魔封じの檻が置かれている。セシルが照明の魔道具で明かりを点けると、檻の端で蹲っていた子竜が僅かに顔を持ち上げた。赤い鱗が燃えるかのように輝いている。子竜はぐったりと横たわっているが、鋭い眼光と小さな呻り声には敵意が込められていた。
「ずっとこんな感じなの?」
「い、いえ。普段は私を無視していますけど、こんな風に敵意を剥き出しにするなんて……」
セシルは困惑したように小さく首を左右に振った。仁が首を傾げながら檻に近付くと、体を起こした子竜が威嚇するように低く唸る。仁と手を繋いでいるミルが仁を見上げた。
「ジンお兄ちゃんを睨んでいるみたいなの」
仁は目を丸くしてミルを見遣ると、子竜に視線を戻してから左右にスライドするように動いた。子竜の視線がそれに合わせて追尾する。
「ジンお兄ちゃん。この子に嫌われるようなことをしたの?」
「いや、特に何も――」
首を大きく傾けた仁が動きを止める。仁は帝都の城の地下室で子竜を発見した後、あまり時を置かずに玲奈たちの元へ向かったため、子竜と大して接点を持っていなかった。帝都からメルニールへの道中も屋敷に到着してからの数日も、基本的に全ての世話をセシルに任せていたため、仁が取り立てて嫌われるようなことはないように思えた。しかし、仁には心当たりがあった。仁は目を閉じて自身のステータスを表示させる。
「やっぱり、この称号のせいかな……」
火竜を倒したことで、仁は新たに“竜殺し”の称号を得ていた。仁としては玲奈たちの助けあってのドラゴン討伐だと思っていたが、この称号は仁のみに現れたのだった。
ゆっくりと瞼を開けた仁はグルグルと呻り声を上げている子竜に目を向け、切なげに目尻を下げる。“竜殺し”の称号は竜種との戦闘時にステータスにプラス補正が入るというものだが、仁はドラゴンから敵だと認識されてしまうというデメリットもあるのではないかと考えた。それ以外にここまで子竜に嫌われる謂れはなかった。それを証明するかのように、仁が檻から離れてドアの辺りまで後退すると、子竜は少しだけホッとしたように目の鋭さを緩め、再び体を横たえたのだった。
仁が子竜をこれ以上刺激しないように地下室を出てドアの横で待っていると、しばらくしてミルがドアから顔を出した。
「ジンお兄ちゃん。串焼き、ある?」
「串焼きって、ミルの大好きな屋台の? それなら今日補充したところだけど……」
仁が戸惑いながら答えると、ミルは顔をパーッと綻ばせる。
「あの子にあげたいの。ダメ……?」
上目遣いで見上げるミルに、仁はノーという答えを持ってはいなかった。仁はアイテムリングから串焼きを数本取り出し、ミルに手渡す。
「ありがとう」
ミルはニッコリと笑顔を浮かべて地下室の中に戻っていく。セシルはこれまでザスティンのやり方を踏襲して何種類かの魔物の生肉を与えていたが、子竜はあまり口にしていないようだった。子竜が衰弱しているのは単純に空腹と栄養不足によるものだと推測されるため、もし串焼きを食べてくれるのであれば願ったり叶ったりだと仁は思ったが、人好みに味付けされた肉をドラゴンが好むとは考えにくかった。仁は壁に背を預け、子竜相手に悪戦苦闘しているであろうミルの姿を想像して思わず笑みを浮かべた。
「ジンさん」
ドアが静かに開き、僅かな隙間からセシルが顔を覗かせた。セシルに手招きされて部屋の中をそっと覗き込んだ仁の瞳に、檻の前にしゃがみこんだミルの後ろ姿が映る。
「よく噛んで食べるの。肉汁がジュワって口の中で弾けておいしいの」
仁は目の前に広がる予想外の光景に、目を大きく見開く。とても喜ばしいことではあるが、信じられないという思いが先に立った。ミルが幸せそうに話している向こう側で、子竜が串から抜き出された肉にガツガツと勢いよく齧り付いていたのだ。
「食べ終わったら、ちゃんとジンお兄ちゃんにごめんなさいってするの。この串焼きはジンお兄ちゃんがくれたの。ジンお兄ちゃんはとっても優しいから、怖がらなくていいの」
ミルが窘めるように言うと、子竜は不満そうに唸る。まるで飼い犬に言い聞かせているようなミルの様子に、仁は元の世界での飼い犬と小さい頃の妹の姿を重ね合わせて懐かしい思いを抱く。思わずクスッと笑い声を零した仁の視線が真紅の視線とぶつかった。ミルが露骨に嫌悪を露わにした子竜の目線を追って振り向く。
「ジンお兄ちゃん」
仁はミルに呼ばれ、少しの躊躇の後に再び地下室へ足を踏み入れる。仁が檻の前まで歩を進めると、子竜は先ほどと同様に仁を睨みつけた。仁がどうしたものかと頭を掻いていると、子竜は仁の横から注がれるミルの促すような視線に気付き、キョロキョロと視線を彷徨わせる。
「ジンお兄ちゃんは敵じゃないの」
子竜は尚も迷う素振りを見せていたが、ジッと見つめるミルに観念したのか、チラッと仁に目を向けると、弱々しくグルッと鳴いた。
「よくできたの。いい子なの」
サッとすぐに仁から目を逸らした子竜の頭を、檻の格子から細い手を挿し入れたミルが撫でる。仁はハッと息を呑むが、子竜が何の抵抗も見せないのを確認し、胸を撫で下ろした。ミルはしばらくそのまま子竜を撫でていたが、突然何かを思いついたかのように立ち上がり、期待に満ちた瞳を仁に向けた。
「ジンお兄ちゃん。この子に名前を付けてほしいの!」
キラキラと目を輝かせるミルに相対し、仁の取れる選択肢は1つしか存在しなかった。




