7-22.世話
再びドラゴンが襲ってくるかもしれない。そんな考えが皆の頭を過り、応接室を沈黙が支配した。火竜ですら相当に苦労をしたのに、それ以上の存在である炎竜をはじめとした複数のドラゴンがやってくるなど想像もしたくない事態だった。
「で、でも、他のドラゴンはまだ戻って来てないんですよねっ。それなら、戻って来る前に子供を返してしまえばいいんじゃないですか?」
リリーが空気を変えようと無理やりさを感じさせる明るい口調で切り出した。火竜を殺してしまった以上、それは最善ではないにしても、決して悪い案ではないように仁には思えた。しかし、コーデリアはゆっくりと首を横に振る。
「コーディー。何か問題があるんですか?」
残念そうに両肩を脱力させるリリーに代わって仁が問うと、コーデリアの表情が曇る。
「ザスティン兄様に事情聴取した後、すぐにドラゴンの棲家の調査のために少数部隊を派遣したのだけれど、隠し通路を出た直後に魔物に襲われたわ」
「ということは……」
「ええ。おそらく研究所がドラゴンに襲われた際に、魔物避けの結界を発生させるアーティファクトが破壊されたか損傷したか、どちらにせよ正常な機能を発揮できなくなったと見るのが妥当でしょうね」
仁は眉間に深い皺を刻み込む。ドラゴンの棲家へ続く安全地帯の道が途絶えた以上、常にドラゴンの帰還を見張ることは不可能に近い。それに、ドラゴンの棲家へ辿り着くためには強力な魔物たちの跋扈する魔の森を踏破せねばならず、子竜を巣へ返すことも容易なことではなくなっていた。仁の横で玲奈が右手を顔の横まで挙げた。
「あの。以前、私たちが逃げるときに使った隠し通路の先の安全地帯からはドラゴンの棲家に続いてないのかな?」
「陛下の許可が出次第、調査する予定ではあるわ。ただ、ルーナリア姉様からはそのような話は聞いていないし、望みは薄いでしょうね」
落胆して肩を落とす玲奈に、コーデリアはこれではもう隠し通路とは言えないと冗談めかして両肩を竦めてみせるが、どんよりとした場の空気は変わらない。コーデリアが胸の前で両の手のひらをパンパンと二度打ち合わせた。
「この問題は私たちが今この場で話し合ってどうにかなる問題ではないわ。陛下や上層部が何かしらの結論を出すのを待つことにして、他の話をしましょう」
「そうですね。俺が気絶してからのことを教えてくれませんか?」
「いいわよ。事細かに教えてあげるわ」
仁が提案に乗っかると、コーデリアは妖しげに瞳を細める。ニヤニヤとした笑みを貼り付けるコーデリアに、仁は嫌な予感しかしなかった。仁が頬を引きつらせていると、コーデリアが表情を真面目なものに戻して口を開いた。
コーデリアの話によると、コーデリアも含めた帝国の上層部がドラゴンに子竜を返す方法を検討している際に偵察に出ていた兵からガウェインの部隊が壊滅したという知らせと共に、仁がドラゴンに有効なダメージを与えたという情報がもたらされ、しばらく様子を見ることになったのだそうだ。帝国は仁がドラゴンを撃退、もしくは討伐できるのであればそれに越したことはないと考えたのだった。
その後、玲奈たちの参戦の後、仁がドラゴンに止めを刺したという知らせを受け、仁の部下であり、玲奈たちとも接点のあるセシルを含む数人の兵士が現場に向かった。現地に到着したセシルたちを出迎えたのは、泣きじゃくりながらロゼッタに回復魔法をかけ続けているミルだった。
セシルたちは仁と玲奈の容態を確認し、城に運ぶことにした。自分だけではどうにもならないと幼いながらに悟ったミルは、一応面識があり、仁の部下だと聞いていたセシルの説得を受け入れ、歩けるくらいには回復したロゼッタを伴って一緒に城に向かったのだった。
城の客室に運び込まれた仁たちはそれぞれベッドに寝かされ、ロゼッタはそのままミルの治療を受けて、魔力の枯渇が気絶の原因だと診察された仁と玲奈は経過を見守ることになった。その後、しばらくして目を覚ました玲奈は未だ眠ったままの仁の看病を始め、コーデリアに事情説明を終えたミルとロゼッタはコーデリアの頼みを受け、負傷者の手当てを手伝いながら城の客室に寝泊まりすることになった。
「それで、ジンは三日間眠ったままだったわけだけれど、レナさんが付きっきりで世話をしていたわけよ。ね。レナさん」
再びニヤニヤと意地の悪そうな笑みを浮かべたコーデリアが玲奈に視線を向ける。仁が僅かに眉を顰めながら首を回すと、頬を仄かに朱に染めた玲奈が顔を俯かせていた。
「玲奈ちゃん?」
仁に呼びかけられた玲奈の耳が真っ赤になり、仁は首を傾げる。そんな二人の姿を眺めていたコーデリアがくつくつと笑い声を上げた。
「ご、ご主人様。大恩あるお二人ですし、もうその辺りで……」
「そうね。恥ずかしがるレナさんが可愛くて、ついからかい過ぎてしまったわ。レナさん、ごめんなさいね」
セシルに窘められたコーデリアは素直に謝罪の言葉を口にし、玲奈に頭を下げた。玲奈は真っ赤な顔で、気にしていないと微笑み返す。仁は玲奈とコーデリアに交互に視線を向け、首の傾きを大きくした。
「あ、あの、隊長。あ、いえ、ジンさん。ご主人様の言うお世話には食事の世話などの他に、お体を拭いたり、その、下の世話も含まれているので……」
「……あ」
見えない疑問符を頭の上にいくつも浮かべる仁の様子に居たたまれなくなったセシルが小声で告げると、仁は玲奈の方を向いたまま、大口を開いて固まる。仁の視線の先で、玲奈が瞬間沸騰したように頬や耳を赤くし、身を縮こまらせた。
「セシル……。私を窘めたあなたがそれを言ってはダメでしょう……」
コーデリアが額に手を当てて呟くと、セシルはハッとして玲奈に謝罪を繰り返した。深く下げられた頭は床につかんばかりの勢いだった。
「レナさん! ずるいですっ!」
突然声を上げたリリーが玲奈に羨ましげな視線を送っていたが、仁は気付かなかったことにしたのだった。
「そ、それで、コーディーとリリーはどうやって知り合ったんですか?」
気まずい空気に耐えかねた仁は無理やり話を変えようと試みた。これまでの話でコーデリアと玲奈やミル、ロゼッタが知り合った経緯は判明したが、リリーだけは未だに不明だった。
「リリーさんは私とマークソン商会の窓口を務めてもらっているのよ」
「そうなんです。コーデリア皇女殿下にはとてもよくしてもらってますっ!」
コーデリアが優しげな視線をリリーに向けると、リリーは立ち上がって大きな胸を張った。リリーは帝都復興への協力を申し出たマークソン商会の代表代理として、玲奈やセシルを通じて繋がりがあったことで帝国側の窓口となったコーデリアとやり取りをすることになったとのことだった。
「リリーさん。非公式の場では私のことはコーディーと呼んでくださいとお願いしましたのに」
「あ、そうでしたっ! コーディー様!」
「本当は“様”もいらないのだけれど……」
笑顔を向けあう二人を呆然と眺めていた仁が堪らず声をかける。
「あの、随分仲が良さそうに見えるのですが……」
先ほどの話からコーデリアとリリーが出会って数日しか経っていないはずだったが、それにしては随分と打ち解けているように仁には感じられた。
「見えるのではなく、仲が良いのよ」
「はいっ! 仕事の後にお話ししてみたら、とっても意気投合しちゃいましたっ」
「あることないこと、あなたの武勇伝をいろいろ聞かせてもらったわよ」
「わたしも帝都でのジンさんの活躍を、あることもないこともいっぱい教えてもらっちゃいましたっ」
誰とでも仲良くなれそうなリリーはともかく、歳相応にはしゃいで見える珍しいコーデリアの姿に驚きながらも、仁は微笑ましい思いを抱いた。
「あの。せめて、あることだけにしてくださいね?」
仁はそれだけ言うと、満面の笑みを浮かべる同年代の二人を前に、嬉しいような恥ずかしいような、複雑な苦笑いを浮かべたのだった。




