7-13.ドラゴン
「黒雷槍!」
仁は半壊した屋根の上からドラゴンを見上げながら己の存在を主張するかのように高らかに声を上げ、ドラゴンを取り囲むように10本の黒い雷の槍を生み出した。上空に滞空しているドラゴンのワインレッドの瞳が仁を捉えるのと同時に、黒雷槍がドラゴンを貫かんと四方八方から牙を剥く。大気を劈くような爆音が鳴り響き、ドラゴンの体表に黒い電光が走った。
ドラゴンは煩わしそうに首を小さく振ると、仁を睨めつけて頑丈そうな顎を開く。間髪入れず口内に生じた火炎の球が息を吐くように軽く放たれ、直後、仁の立っていた煉瓦造りの平たい屋根が崩れ去った。
「仁くん!」
玲奈は悲鳴にも似た声を辺りに響かせるが、全身鎧をガチャンと鳴らして側に着地した仁を見上げて安堵の息を吐いた。仁は黒色甲冑を纏ったままの姿で名前を呼ばれたことに驚きながらも、久々に耳にした玲奈の声に癒されながら兜のバイザー部分を持ち上げた。
「玲奈ちゃん、久しぶり。間に合ってよかった」
滞空したままこちらの様子を窺うドラゴンを前にしてではあるが、仁は玲奈の相変わらずの可愛さに、懐かしさも相まって心の奥が熱く湧き立つ思いだった。
「仁くん……」
潤んだ瞳で上目遣いに見上げる玲奈に、仁は照れ笑いを浮かべた。仁は全身鎧の左手の手甲を外してアイテムリングから各種回復薬を取り出し、玲奈に手渡す。
「玲奈ちゃん。俺がドラゴンを引きつけている間に街の外に避難するんだ」
「私も一緒に――」
「リリーやみんなを守れるのは玲奈ちゃんしかいないんだ。みんなをお願い」
仁は周囲にサッと視線を巡らせてリリーやミル、ロゼッタに微笑みかけ、最後に玲奈をジッと見つめる。玲奈が滲んだ涙を手で拭って頷くのを確認すると、仁は再び口内に魔力を収束させているドラゴンに向かって駆け出した。
「黒雷斬!」
仁の右手の黒雷刀から放たれた漆黒の斬撃がドラゴンの下顎をかち上げ、火炎の吐息が帝都の夜空を赤く彩った。憎々しげに眼を細めたドラゴンは仁目掛けて火炎の球をいくつも吐き出すが、仁は黒雷刀を一旦消し去り、アイテムリングから取り出した不死殺しの魔剣で斬り飛ばす。仁がドラゴンの真下を駆け抜けると、ドラゴンは仁を追って反転し、大口を開けた。仁は振り向きざまに左の手のひらをドラゴンの顔に向けた。
「黒雷撃!」
仁の手のひらから放たれるかに思われた闇と雷の混合魔法は、遠隔魔法によりドラゴンの鋭い牙の間に発生した。訝しむドラゴンをあざ笑うかのように口内の魔力を散らしながら喉の奥を穿った黒い雷撃が、ドラゴンを体内から苦しめる。仁は苦痛に身悶えするドラゴンから玲奈たちの逃げる方向とは逆に距離を取り、したり顔を浮かべた。
ドラゴンは牙を剥いて咆哮すると、上空から滑るように仁に向かって突進を始めた。仁はドラゴンの炎で破壊された建物の残骸の間を縫うように進むが、ドラゴンはその巨体に任せて破壊しながら直進する。仁は何とか開けた場所まで到達すると、背後からの重圧を感じながら横っ飛びで間一髪突進を回避した。全身鎧が地面と何度もぶつかり、甲高い音を立てた。
仁がドラゴンを誘導した地は玲奈を探す途中で発見した場所で、既にドラゴンの攻撃により辺り一面が廃墟と化しており、人の姿は見えず、被害を気にしないで戦うのに最適だと仁は考えたのだった。
地面すれすれまで迫っていたドラゴンは再び空に舞い上がり、巨大な翼をはためかせると再び滞空状態へ移行した。元の世界とはいろいろ法則の異なる世界ではあるが、魔法的な力なしで目の前のドラゴン程の巨体が空を飛び、あまつさえ同じ場所に滞空し続けるなど考えられないことだった。とはいえ、ドラゴンも翼を持つ以上、空を飛ぶことに関して翼が何かしらの役割を持っていることは想像に難くなかった。
仁は上空からこちらを見下ろすドラゴンを見据えると、意を決して駆け出した。
「闇霧!」
仁の左手から溢れ出る闇の霧が上空のドラゴンの赤い巨体を闇夜に隠す。
「土壁!」
ドラゴンは煩わしそうに唸ると、翼を羽ばたかせて風を巻き起こした。黒い霧はあっという間に霧散してしまうが、ドラゴンの視線の先に仁の姿はなかった。遠隔魔法で足元から勢いよく斜め上方に伸ばした土壁に乗って空に昇った仁は、そのまま土壁の先端を足場にして飛び上がったのだった。
ドラゴンの更に上空で、仁が魔剣を両手で大上段に振りかぶる。落下の勢いを加えて死角から振り抜かれた渾身の一撃が、ドラゴンの片翼の付け根を捉えた。轟音と共にすさまじい衝撃が大気を震わせる。
「くっ」
翼を切り落とすつもりだった仁の攻撃はドラゴンの硬い皮膚に阻まれ、浅い傷を作るだけの結果に終わった。仁は身を捻ったドラゴンの翼に打たれて空中で体勢を崩し、背を下にして落下を始める。痺れた両手から魔剣が零れ落ちた。
悔しげに表情を険しくした仁の双眸に、咢を開いて首をしならせるドラゴンの姿が映り込んだ。その直後、仁の視界が赤一色に染まった。仁は咄嗟に黒炎を体の周りに纏わせる。凶悪な牙の間から火炎放射のように放たれた火炎の吐息が真上から仁の体を飲み込み、帝都の地面に沿って円状に広がっていった。瓦礫を吹き飛ばし、建物の残骸を燃え上がらせていく炎の海の中心で、自身の体で地を穿った仁がくぐもった呻き声を上げた。
仁は苦悶の表情を浮かべながら震える手を地につき、体を起こす。土埃が舞い、砕けた岩の欠片がばらばらと落下した。黒色甲冑の前面はほとんどが溶け落ち、辛うじて鎧の体裁を残していた背面も、地面との衝突に堪えられずにボロボロになっていた。仁は鎧の残骸を払いのけると、重たい体に鞭打ってドラゴンを見上げた。ワインレッドの瞳が煌々と輝いていた。
『非力な人族の身でありながら我に手傷を負わせ、我の灼熱の吐息の直撃を受けてなお立ち上がる者が今の世にいようとはな』
唐突に耳に届いた低い声に、仁は訝しげに辺りを見回すが、近くに人の姿はなかった。仁はまさかという思いを抱えて、自身を見下ろすドラゴンに目を向けた。仁の不自然な動きに、ドラゴンが目を細める。
『貴様。もしや我の言葉が、竜の言葉がわかるのか?』
仁は先ほどの声の主が目の前のドラゴンだと気付き、驚愕に目を見開く。それを目にしたドラゴンの口角が吊り上る。爬虫類を思わせる鱗に覆われた厳つい顔が獰猛な笑みを浮かべているように、仁には感じられた。




