7-12.襲来
「レナ様!」
ベッドから跳び起きたロゼッタが窓の前で立ち尽くす玲奈に声をかけた。
「さっきの音は――」
玲奈の背中越しに窓の外に目を向けたロゼッタが凍りつく。帝都の中に何本もの火柱が立っていた。
「レナお姉ちゃん、ロゼお姉ちゃん。どうしたの?」
もぞもぞとミルが掛布団から顔を出す。ミルの声で再起動を果たした玲奈は振り返って表情を険しくした。
「ミルちゃん、ロゼ。すぐに出られるように準備をして。何が起こったのかわからないけど、ただ事じゃない気がする」
玲奈は二人が真剣な表情で頷くのを確認すると、再度、窓の外に視線を移す。その直後、再び轟音が轟き、熱せられた風が勢いよく玲奈の頬を撫でた。玲奈は燃え上がる炎から目を離すと、手早く装備を整える。
「皆さん!」
玲奈たちがいつでも動けるように準備を終えるのと同時に、リリーがツインテールに結っていない髪を振り乱しながら部屋に飛び込んできた。リリーは肩を激しく上下させ、息を切らしながら口を開く。
「急いで準備してください。すぐに避難します!」
「準備ならできているけど、何があったの?」
「詳細はわかりませんが、どうやら街に魔物が入り込んだみたいなんです。空に巨大な影を見たという人もいるみたいで、ガロンさんは亜竜なんじゃないかって言ってます」
リリーの返答に、玲奈たちは顔面を蒼白にした。自由に空を飛ぶ魔物と戦ったことはなかったが、それがどれだけ大変なことか想像に難くなかった。ロゼッタの視線が自然と右手に持つ“亜竜の槍”に引き寄せられる。
「今、ガロンさんたちが情報収集に向かっているので、皆さんは商隊の準備が整うまで、護衛をお願いします!」
玲奈が了承の意を示すと、リリーは踵を返した。玲奈はミルとロゼッタを見遣り、部屋を飛び出す。窓の外からは断続的な爆音に混じって、いくつもの悲鳴が聞こえてきた。
玲奈たちが宿屋から出ると、宿屋の面する大通りには着の身着のまま飛び出したと思しき大勢の人々が溢れ、向かいの建物の奥の方から火の手が上がっていた。赤く照らされる夜空が被害の大きさを如実に物語っていた。
玲奈は生唾を飲み込み、薄暗い中、宿屋の前で指示を出しているマルコと、マルコにつき従っているクランフスの元に駆け寄る。マルコに声をかけようと息を吸い込んだ玲奈は突然強烈な気配を感じ、息を吐くのを忘れて空を見上げた。玲奈の視界を巨大な影が横切った。高速で駆け抜けた影は背から生えた巨大な翼を羽ばたかせると、180度回転しながら一気に高度を上げた。少しだけ欠けた月を背負って赤い翼を広げるそれは、玲奈に元の世界の神話や物語に描かれる有名な想像上の生物を想起させた。
「あ、あれは!?」
玲奈が驚愕の声を上げるのと同時に、巨大な生物の口の部分から扇状にとてつもない量の炎が放たれた。炎は轟音と共に地を抉り、広範囲に火柱と衝撃波を作り出した。月明かりと地上を燃やす炎はその生物の姿を白日の下に晒し出した。15メートルを超えるであろう全身を濃い赤の鱗で覆い、四肢とは別に長大な翼を持ち、トカゲなどの爬虫類を思わせる長い尾を携えたそれは、亜竜ではなかった。
「ド、ドラゴン……!」
誰かが呟いた言葉が波紋のように伝播していく。空を見上げていた人々の口から悲鳴が溢れ出す。金切り声の連鎖が人々を恐慌へと誘った。秩序を失くし、ただただ恐怖の対象から遠ざかろうと逃げ惑う。その場は既に馬車を出せる状況ではなくなっていた。人ごみをかけ分けてガロンたち“戦斧”の面々がマルコの元に駆け寄ってくる。
「マルコさん。嬢ちゃん。見ての通りだ。馬車は置いてすぐにでも避難するべきだ」
マルコはガロンに頷きを返し、喧騒に負けないよう声を張り上げて商隊に指示を出す。しばらくして、後方の馬車の辺りで指揮を執っていたリリーが商隊の面々と護衛の冒険者たちを引きつれて玲奈たちの方に向かってくる。その間もドラゴンによる攻撃は続いていた。再び玲奈の上空を巨大な影が過った。
「ミルちゃん、ここをお願い!」
玲奈の上を通り越したドラゴンがリリーの上空で咢を大きく開け、長い首を後方にしならせた。玲奈は近くの馬車の天井に飛び乗ると、左手の毒蛇王の小盾に魔力を通しながら、連なった後方の馬車の上を飛ぶように駆け抜ける。玲奈は馬車から飛び降り、小盾の鱗を展開させて魔力を最大限に流し込む。盾を覆う青白い光が鱗を飛び出して外側に広がり、半透明の青い膜となってリリーたち商隊の面々を覆い隠した。その直後、ドラゴンの口から放たれた火炎が辺り一面を燃え上がらせた。
「ぐっ」
玲奈は盾にとてつもない衝撃を受け、地に片膝をついた。弧を描く魔力の盾に沿って四方八方に流れた炎が大地を溶かす。玲奈の背後ではリリーたちがへたり込み、怯えた目で魔力の青い傘を見上げていた。玲奈が横目にミルの方を見ると、地に伏せたマルコたちを庇うように立ち塞がったミルが血喰らいの魔剣を振るって、ギリギリ届いた炎を防いでいた。玲奈はホッと息を吐き、上空にキッと目を向ける。
上空から襲い来る炎が弱まり、盾越しに見上げる玲奈の視線が、不機嫌そうに目を細めたドラゴンの視線と交わった。火炎の吐息が防がれたのが気に入らなかったのか、ドラゴンは再び口内に魔力を集める。再度放たれた火炎を受け止めた玲奈の盾から広がる魔力の盾に小さなひびが入った。ひびは徐々に広がっていくが、玲奈にはどうすることもできない。玲奈の顔が苦渋に歪む。
「もうダメだ……」
玲奈の盾で守られている商隊の一人が小さく呟く。それをきっかけに、固唾を呑んで玲奈の盾を見つめていた人たちの間に絶望が広がっていく。
「諦めないで! レナさんがわたしたちのために頑張ってくれているのに、守られているだけのわたしたちが泣き言を言ってどうするんですかっ!」
リリーが吼えると、項垂れていた人たちが顔を上げた。玲奈はより一層盾に魔力を流し込み、左手に力を込めた。永遠にも思える短い時間が流れ、火炎が収束するように消えるのと同時に玲奈は左手をだらんと垂らした。青白い魔力の盾は姿を消し、小盾が地面にぶつかって鈍い音を立てた。
「みんな、逃げて……!」
玲奈が震える声を上げるが、上空から見下ろすドラゴンに射竦められ、誰も動くことができない。
「レナお姉ちゃん!」
ガロンに背後から抱きすくめられたミルが、その腕から逃れようともがきながら大声を張り上げる。
「レナ様!」
ミルの横では駆け出そうとするロゼッタが“戦斧”の面々に腕を掴まれていた。その脇から、クランフスが躍り出た。悲壮な覚悟を決めたクランフスは脇目も振らず、玲奈の元へ全速力で走り出す。
玲奈はミルやロゼッタの叫びや近づいてくる足音を聞きながら、ドラゴンを真っ直ぐ見据えた。玲奈は痙攣する左腕を再び掲げようとするが、それより早く、ドラゴンが大口を開け、首を後ろに引く。リリーは玲奈の小さくも大きな背中を見つめてから、三度、吐息を放たんとするドラゴンに目を向けた。ドラゴンの口内が赤く染まった。次の瞬間。
「落雷!」
突如ドラゴンの頭上から極太の稲妻が走り、轟く雷鳴と共にドラゴンの頭を打ち据えた。ドラゴンの口内の魔力が霧散し、ドラゴンの顔が苦痛に歪んだ。ドラゴンは憎々しげに細めた目で辺りを見回す。
「こっちだ!」
玲奈が声のした方に視線を向けると、半壊した煉瓦造りの2階建ての平たい屋根の端に、一つの人影があった。その人影は黒一色の全身甲冑を纏った騎士だった。その右手には漆黒の武器が握られている。日本刀のような形状のその武器に、玲奈は見覚えがあった。




