7-10.脱出
「そろそろ頃合いかしら」
コーデリアの言葉に、仁とセシルは緊張の面持ちで頷きを返す。
ザスティンが去った後、仁たち3人はアイテムリングに収納してあった保存食で夕食を済ませ、同じくアイテムリングから取り出した毛布に包まって仮眠をとるなどしてそれぞれ英気を養っていた。そして、城内の多くが寝静まった頃を見計らって、遂に脱出する計画を実行に移す時が訪れたのだった。
「それではジーク、お願いね」
「わかりました」
仁は檻の縁に退避したコーデリアとセシルを背にして立つと、集中力を高めてゆっくりと左の手のひらを突きだす。
「黒炎!」
火魔法と闇魔法の混合魔法で再現した黒い火炎放射が、檻の外から檻の外面に向かって勢いよく噴き出した。仁は遠隔魔法で撃ち出した黒炎をゆっくりと上下左右に動かす。ゴウッと音を立てて檻の中まで入り込んだ黒炎は逆側の檻の内側まで届いて霧散していく。仁が放射を止めたとき、檻の側面に人一人が通るのに十分な大きさの穴が開いていた。
「よしっ」
仁が右の拳を握って小さくガッツポーズをとる。ジンの背後ではセシルが胸の前で手を合わせ、小さく歓喜の声を上げていた。
「ジーク、よくやったわ」
「では行きますか」
「ええ、そうね」
仁が先頭となり、コーデリア、セシルと続いて檻から出ると、離れたところにある別の檻から魔物のものと思われる低い唸り声が聞こえてきた。仁の使った魔法に反応しているのか、その声には警戒の色が浮かんでいるように感じられた。
「檻の中とは言え、城の中に魔物がいるというのは、なんというか、少し危険な香りがしますね」
仁が薄暗い地下室の奥に目を遣ると、釣られるように唸り声のする方を見ていたコーデリアが眉を顰めた。
「ちょっと待って。どうしてここに魔物がいるのよ」
「合成獣の研究のためじゃないんですか?」
仁はコーデリアに視線を向ける。ここがザスティンの研究室であるならば、魔物がいても何もおかしいことはないと仁は小首を傾げた。
「失念していたわ。ザスティン兄様の本当の研究室は城の地下室ではないのよ。もちろんここがザスティン兄様の管理する城の地下室であることに疑う余地はないけれど、実際の研究室は抜け道の先の森にあるはずよ」
考えてみれば、どの魔物でもテイムできるわけではないし、そもそも仁が遭遇した合成獣やその元となったであろう魔物の巨体さから考えて、隠れて城内に持ち込むのは無理な話だった。仁は以前、玲奈と一緒に帝都から脱出する際に通った隠し通路を思い出す。それと同じようなものであるとするならば、抜けた先に魔物避けの結界が張られている空間があり、そこに研究所があってもおかしくはない。
仁は辺りを見回すが、薄暗い広い地下室には檻がいくつか点々と置かれているだけで、コーデリアの研究室のような資料や実験道具などは見当たらなかった。
「少しだけ様子を見ていくわ。セシル、光魔法で照らしなさい」
「は、はい!」
コーデリアはセシルに命じるなり、すぐさま地下室の奥へ足を進め、仁もそれに続く。セシルが慌てて光源の魔法を発動させ、白い光が地下室を明るく照らしはじめる。その間も唸り声は絶えることなく聞こえていた。
「こ、これは……」
3人は目の前に現れた光景に絶句した。檻の中から、赤い鱗に覆われた体長30cmほどの爬虫類型の生物の小さな真紅の瞳が仁たちを見上げていた。グルグルと威嚇するように喉を鳴らすその生物は、魔物ではなかった。
「ド、ドラゴン……!」
コーデリアが震える声を絞り出すと、セシルはヒッと息を呑んだ。仁が魔眼を発動させると、視界の端に目の前の生物の情報が表示された。それは目の前の小さな生物が確かにドラゴンであることを示していた。
仁はゴクリと生唾を飲み込む。元の世界のアニメやゲームでお馴染みの西洋の竜をそのまま小さくしたようなドラゴンの子供は、2本の足で立ち、可愛らしい手から生えた爪を仁たちに向けていた。その背には小さいながら翼が生えている。
「ジーク、どうなの」
顔を正面に固定したまま、コーデリアはチラッとジークに目を遣った。
「は、はい。間違いなくドラゴンの子供です」
コーデリアは檻の中を見回しながら顔を顰めた。仁がコーデリアの視線を追うと、ドラゴンの子供の周囲には割れた卵の殻のようなものが散乱していた。
「まさか、ザスティン兄様はドラゴンを魔物と同様に扱い、ドラゴンの卵を盗んできたというの……?」
コーデリアは愕然と立ち尽くす。背後でドスンと音がして仁が振り返ると、セシルが腰を抜かしたようにへたり込んでいた。
仁はかつてこの世界に召喚されたときもドラゴンと遭遇したことはなかったが、冒険者だった仲間のラスティから嫌と言うほど聞かされた話を思い出した。
この世界のドラゴンは体内に魔石を持つものの、魔物と異なる存在とされている。その最たる理由の一つが高い知性を持つことだった。遥か昔にはドラゴンと意思の疎通を図ることのできる者もいたという話だったが、過去のある時を境に交流は絶たれ、ドラゴンが人前に姿を見せることはほぼなくなったという。しかし、人の欲望は果てしなく、ある者は新たな土地を求めて、ある者は素材としてドラゴンの鱗や爪を求めて、またある者はドラゴンを倒したという栄誉を得るために、幾度となくドラゴンの住処に踏み入り、その度にドラゴンからの報復と言う名の血の雨を降らせてきた。
ドラゴンは生半可な魔法や武器では傷つけることすらできないと言われるほどの硬い鱗を持ち、強靭な尾や鋭い爪の一撃は大地を割り、口からドラゴンブレスと呼ばれる魔法の吐息を放ち、個体によっては各種属性魔法も操ると言われている。
ドラゴンの強大な力によっていくつもの国や都市が滅ぼされてきた歴史は戒めの物語となって語り継がれてきたが、長い時の流れの中で形を変え、いつしか竜殺しの英雄譚の悪役として描かれるようになっていった。事実、過去に英雄と呼ばれた人の手によって殺められたドラゴンは存在する。しかし、実際は物語のようにその英雄の華々しい凱旋で終わることはなく、殺されたドラゴンの仲間による無差別とも思える報復をもって結末を迎えたのだった。
『ドラゴンには手を出してはいけない』
ラストルが仁に繰り返した言葉は、今も仁の耳にこびりついていた。
「急いでこのドラゴンの子供を住処に返さないと大変なことになるわ」
コーデリアがこちらを威嚇し続けるドラゴンの子供を見つめたまま、震える声を出した。
「この子の親の火竜がここまでやってきたら、帝都は……」
火竜は火属性の力に長けた赤い鱗を持つドラゴンの中では下位に位置するが、ドラゴン全体では中位の力を持つと言われており、帝都を火の海にするには十分すぎるほどの力を有していると思われた。事実、過去に人里に下りた火竜は都市を燃やし尽くしたと伝わっている。
「コーディー。その子は火竜ではありません」
「え?」
コーデリアの碧眼が仁の目を捉えた。
「その子は、炎竜の幼生体です」
目の前の幼竜が火竜より上位の存在である炎竜であるという魔眼の鑑定結果に、コーデリアは目を大きく見開く。仁が厳しい目つきで見つめる先で、炎竜の子供が威嚇するように低く鳴いた。その瞬間、地下室が、城が、帝都が、揺れた。




