1-11.真実
あの後、連れて来られたのはルーナリアの私室だった。ヴォルグが見張りに立ち、サラとシルフィが慌ただしく動き回っている。他の者たちは前もってルーナリアが遠ざけていたようだ。まだ準備に少しかかるということで、仁と玲奈はルーナリアと向かい合う形でソファーに座っていた。
「ガウェイン兄様は見張りの騎士を買収して玲奈を無理やり手籠めにしようとし、それを見咎めた私の奴隷であり専属メイドでもあるシルフィに深手を与えたものの、仁に無様にも返り討ちにされて気絶。その隙に玲奈は仁と協力して逃走を開始。様子を見に来た騎士4人を打ち倒し、ヴォルグを退けて逃走を継続。その後、姿を消した。目撃者は買収された4人の騎士とシルフィ、ヴォルグ。これが今回用意するシナリオです」
「ほとんどそのままですね」
「ええ。死者が出ていなくて本当に助かりました。仁が自制してくれたおかげですね」
ルーナリアが優しく笑う。
「それで、ルーナは大丈夫なのですか?」
「はい。買収された騎士たちは勇者逃亡の原因の一旦を担ったとして、厳しく処罰します。ガウェイン兄様には、半分失敗していたとはいえ、帝国が100年引き継いできた事業を潰したことを追及します。これでガウェイン兄様の発言力は相当落ちることでしょう。それに、兄様から見れば今回の件の一番の被害者である私が、わざわざ逃がしたとは思わないでしょうね」
「その事業というのが、勇者召喚なのですね」
こちらを安心させようと微笑を絶やさなかったルーナの顔が曇った。一瞬だけ逡巡するように目を伏せたルーナが、苦渋の表情を浮かべた。
「ジン、レナ。ここを去るあなた方に、最後に伝えなければならないことがあります」
「はい」
「私が知る勇者召喚のすべてをお伝えします」
仁はソファーの上で居住まいを正した。隣の玲奈が息を飲んだ。
「あまり知られていませんが、この世界には遥か昔に異世界より召喚された勇者の伝説が存在します。しかし、これはあくまで伝説であり、いくらアーティファクトを大量に生み出した古代文明の時代でも不可能だろうというのが通説でした。魔物や動物を召喚獣として従える召喚魔法の存在は確認されていますが、現在では使い手はほとんどおりません。さらに、それも召喚の際に大量の魔力を消費してしまうため、魔物使いが隷属させた魔物と同じように連れ歩くことがほとんどだそうです」
魔力を大量に消費するという話を聞いて、こちらの世界に召喚された直後になぜかほとんど空になっていた自分のMPを思い出した。そして、玲奈の部屋へ急ごうとしていた自分が光に包まれて玲奈の元へ瞬間移動した現象も。それぞれ厳密には一致しない事象ではあるが、そこに答があるように感じた。
「その定説が約100年前に覆されたのです。当時から大陸統一を掲げていた帝国、当時はまだ王国でしたが、は、とある事情で隣国と戦争を続けていました。そんな中、天才と評判だった隣国の王女が、勇者召喚を行ったという情報を帝国の諜報部が手に入れたのです。実際勇者とされた少年はめきめきと頭角を現し、隣国の反抗の御旗となったそうです。黒髪黒眼というこの世界では珍しい容姿と、高レベルの混合魔法の使い手で、黒炎と呼ばれていたと伝わっています」
仁は無言を貫き、玲奈がチラチラと仁の様子を窺う。
「帝国はその存在を恐れると共に、羨ましく思いました。帝国にも勇者が欲しい。そう考えた帝国はそれまでに増して隣国を落とすことに躍起になりました。目的に、勇者召喚の秘術の獲得が加わったためです。しかし、高いカリスマ性を持った王女と成長した勇者の元で一致団結して戦う隣国に苦戦を強いられました。そこで帝国は隣国の勇者を魔王、召喚した王女は魔女だと大陸中に喧伝しました。勇者の伝説よりも、かつて大陸中を恐怖に陥れた魔王の伝説が圧倒的に有名だったこともあり、隣国の勇者が活躍すればするほどに事実として受け入れられていったそうです。そして帝国を中心とした打倒魔王を標榜とする連合軍が結成され、遂に隣国を滅ぼし、帝国は勇者召喚に用いられた魔法陣を手に入れたのです」
仁は目を瞑って思いを巡らす。脳裏に親しくしていた人たちの顔が過る。仁にとってはたった3、4年前の出来事なのに、どうやらこちらの世界では100年もの年月が流れているようだ。送還された際に時間がほとんど進んでいなかったことから同じ時間軸ではないかもしれないとは思っていたが、こうして事実らしいと突きつけられると胸が引き裂かれる思いだった。
再びこの世界に召喚されて、またみんなに会えるかもしれない。例え国が滅んでいても別の場所で生きているかもしれない。そう心のどこかで期待していたのかもしれない。
「しかし、勇者召喚の方法を知る王女はその術を語ることなく魔女として処刑され、帝国の手には魔法陣だけが残ったのです」
頭を鈍器で殴られるような衝撃を受けた。いや、そんな生やさしいものではない。形容し難い苦しみが全身を襲った。噛みしめた歯が軋みを上げ、歯茎から血が滲み出る。呼吸が乱れ、全身を巡る魔力が外へ出たいと暴れ出す。膝の上で握られた手から血が流れ出した。
不意に右手が柔らかな感触に包まれた。つい最近も感じた、優しく温かな、小さな手。苦しみが僅かに和らいでいく。乱れた心が、安らげる場所を見つけたような気がした。
「ジ、ジン? どうしたのです! 大丈夫ですか!?」
仁の尋常でない様子に、ルーナリアが思わず立ち上がって駆け寄ろうとする。仁は左手を上げ、大丈夫だと告げた。
「続けてください」
心配そうに仁を見つめていたルーナリアが腰を下ろし、話を続けた。
「帝国はそれから魔法陣を使った勇者召喚の研究を始めました。ただ、帝国は勇者と敵対した際の恐怖を嫌というほど味わっていました。そのため、召喚された勇者が帝国に逆らえないようにするため、召喚魔法陣に隷属魔法を組み込むことにしたのです。そして長い年月をかけ、召喚魔法陣発動の鍵がエルフの血だと突き止めて様々な準備を整え、先日ようやく、勇者召喚を行うに至ったのです」
ルーナリアの言葉に看過できないものが混じっていた。昨日玲奈に話した仮説はどうやら正しかったようだ。玲奈の可愛い顔が悲痛に歪む。
「レナ。私は帝国の駒として、奴隷勇者を召喚しようと企みました。幸いにも失敗に終わりましたが、帝国の意志とはいえ、私は人として、してはいけないことをしました。そしてジン。おそらくその失敗が原因であなたがレナの奴隷として巻き込まれてしまったのだと考えています。私たちの世界の、帝国の都合であなた方の人生を壊してしまったことを本当に申し訳なく思います。謝って許されることではありませんが、どうか、私に償いの機会をお与えください」
そう言ってルーナはソファーを下り、床に直接膝を付けて頭を下げた。それは土下座だった。
「これは帝国の皇族の、更にごく限られた者しか知らないことなのですが、隣国の勇者は帝国の英雄に倒されたのではなく、滅亡直前に王女の手により元の世界に戻ったというのです。勇者は元の世界に帰ることができるのです。私が必ず帰還方法を見つけ出し、あなた方を元の世界に帰します」
何も言えなかった。玲奈も何も言わなかった。ルーナリアもただ頭を下げ続けた。仁の手を握る玲奈の手に力が込められた。仁が空いていた手を玲奈の手に重ねた。
「皆様、準備が整いました」
静寂の世界に声を届けたのはメイド長のサラだった。隣にシルフィがいた。サラとシルフィの足元に一般的なリュックサックと同じくらいの大きさの革袋が二つ用意されていた。
「あまり多過ぎる荷物は移動の邪魔になるため厳選させていただきましたが、衣類や保存食と、ナイフや縄などの実用品、当面の資金として金貨10枚がそれぞれの袋に入っています。この袋は魔法鞄なので、見た目より多くのものが入ります」
金貨10枚というのは日本での物価を元に換算すると、大体100万円相当になる。もちろん物の価値自体が異なり、生活水準も違うため、単純に比較することはできないが、大体そのような感覚でいいはずだ。ちなみに、銅貨1枚=10円、大銅貨1枚=100円、銀貨1枚=1,000円、大銀貨1枚=1万円、金貨1枚=10万円、大金貨1枚=100万円、白金貨1枚=1,000万円相当だ。それぞれ10枚で上位のものと等価となる。大金貨や白金貨は高価な物を扱う一部の商人くらいしか使わないため、あまり流通していない。
「本当ならもっと多くを差し上げたいのですが、皇女とは言え、すぐに自由に動かせるものには限りがありまして……」
「いえ、ありがとうございます。何も持たずに逃げ出そうとしていたことを思えば、天と地ほどの差がありますよ」
アイテムリングの中に一通り揃ってはいたが、金貨の類はほとんど入っていないし、女性用の衣服などは皆無だったため、純粋に嬉しかった。
「かなり時間も経ってしまいました。まだ夜明けまで時間はあるとはいえ、暗いうちの方が何かと都合がよいでしょう」
革袋を肩に担ぎ、部屋の奥へ歩を進めるルーナリアに続く。玲奈の分も持とうとしたが、頑なに拒否された。少し残念に思っていると、対等な立場で隣を歩けるようになりたいからだと耳元で囁かれた。脳が蕩けそうだった。
ルーナリアが壁に隠された仕掛けを起動すると、本棚が横にずれ、人ふたりが並んで通れるくらいの通路が現れた。
「これが皇族脱出用の隠し通路です。この先は帝都の外の森に続いています。隠し通路の存在は皇族他ごく少数しか知りません。いずれ追手がかかるにしても、ある程度時間を稼げるでしょう」
真っ暗な通路を覗き込む。この暗闇の先に何が待っているのか。再び召喚されてからまだ2日。とても濃い日々だったと思う。隣を向くと、玲奈が笑顔で頷いていた。
「私が必ずあなた方を元の世界に帰してみせます。ですから、それまで何としても生きていてください」
ルーナリアの真摯な瞳を静かに見つめる。もう言葉はいらなかった。寄り添う二人は大きく頷き返し、揃って暗闇の中に新たな一歩を踏み出した。
 




