1-10.赤騎士
「動くな! そこで何をしている!」
仁は銀甲冑の騎士の問いを無視し、腰に帯びたミスリル製の剣を鞘から抜き放つ。その剣には無駄な装飾はなく、ただただ銀灰色に輝く剣身は、武骨な職人によって鍛えられた一品であることを示していた。ミスリルは希少な金属の一種で、特に魔法との親和性が高く、魔力を通しやすいという特徴を持つ。
赤色甲冑の壮年男に先行する形で二人の騎士が走り寄ってきていた。騎士たちは仁が剣を抜いたのを目にして剣柄に手をやる。彼我5メートルの距離を、仁が一瞬で詰めた。
「ぐわぁあ!」
一人の騎士の全身甲冑に守られた頭部がミスリルソードの腹の部分で強打され、脳を揺らして膝から崩れ落ちた。騎士たちの間に入り込んだ仁は、反動を利用してもう一人の兜を殴打する。二人の騎士は剣の抜く間も与えられないまま、同じ運命を辿った。
「問答無用とは、ひどいものだな」
そのままの勢いで最後尾の赤騎士に襲い掛かろうとしていた仁は、正面から振り下ろされる斬撃に足を止め、瞬時に後ろへ跳んだ。目の前を黒い剣先が通り過ぎた。
「帝国にこの人ありと言われる、このヴォルグ・ヴァーレンの一撃を避けるとは、さすがは勇者といったところか。いや、貴殿は奴隷だったかな?」
油断なく剣を構える仁に、ヴォルグが不敵な笑みを浮かべた。仁はこの赤い騎士に見覚えがあった。この世界に召喚されたとき、ルーナリアの側に控えていた赤い甲冑の騎士だ。身の丈180センチくらいの偉丈夫で、その手には持ち手の身長を超える大剣が握られていた。
「やはり、強さを隠していたな」
ヴォルグの発言に、仁は眉をひそめる。
「ああも勇者のお嬢さんと態度が違えば、警戒もするというもの。それに、その装備。剣はミスリル製か。使い込まれているが、かなりの業物のようだ。どこから持ち出した」
仁は自分の演技力の無さに泣きたくなった。ヴォルグの問いは無視する。言いつくろってもすぐに嘘だと見破られそうだ。
「答えぬか。やはり貴殿には何やら秘密があるようだ」
仁はこの場をどう切り抜けるか思考を巡らす。最初の一撃を見る限り、かなりの強者だと思われた。ヴォルグが両手で右斜め中段に構える黒い大剣に目を向ける。大剣自体から強い魔力を感じた。仁の視線を感じ、ヴォルグが唇を持ち上げる。
「この魔剣が気になるか?」
仁の瞼が微かに上がった。魔剣とは剣自体が魔力を有し、並みの武器とは一線を画す性能を誇っていた。意志があるとも言われ、相応しくない者が手にすると命を落としてしまうと言われている。中には魔剣の意志に体を乗っ取られてしまったというような伝承も残されていた。
その代わり、魔剣が自らの持ち手として認めた者には“魔剣使い”の称号が与えられ、魔剣を使用した際により強力な力が与えられるという。ただでさえ強力な魔剣が、魔剣に認められるほどの者に振るわれ、称号によりさらに強化される。魔剣が、魔剣使いがこの世界で畏怖される所以だ。ヴォルグが構えていた大剣を下ろす。
「さて。部屋に隠れている勇者のお嬢さん。あなたの奴隷に、大人しくするよう言ってはもらえないだろうか」
玲奈が扉から出てくる気配を背後に感じた。
「玲奈ちゃん、隠れてないとダメだ」
ヴォルグの思惑を図りかね、視線を外すことなく玲奈に告げた。
「なに。私としては皇女殿下の客人である貴殿らを害したくないのだよ。事情はそこに転がっている騎士から聞いて、大よその見当はついている。十分同情に値するし、騒ぎを大きくしなければ、皇女殿下が守ってくださる」
「さっきの一撃は、殺す気だったと思うが?」
「少々貴殿の実力を試してみたかったのでね。直前の動きを見ても、あのくらいなら対処できると思っていたさ」
肩を竦めるヴォルグに、鼻で笑って返す。
「そもそも第一皇子を足蹴にして伸したんだ。昼間の様子からしても、とてもルーナに守り切れるとは思えないが。ああそうか。あの部屋に第一皇子が簀巻き状態で転がっている。皇子を殺されたくなかったら、武器を捨ててここを通してもらおう」
仁の脅迫に、ヴォルグは心底残念そうな顔を浮かべた。
「残念ながら私はルーナリア第一皇女殿下直属の近衛隊長でね。ガウェイン殿下の命は、正直どうでもいい」
「おいおい、帝国に仕える騎士様がそんなこと言っていいのかよ」
「むしろ、あの傲慢な馬鹿皇子を始末してくれるというのなら、ますますここを退くわけにはいかなくなったな」
「なんか、怒りにまかせて殺してしまわなかったのを若干後悔してきたな……」
「まぁその判断は間違っていないさ。私の思いはともかく、殺してしまっていれば、流石の皇女殿下でも庇いきれないだろう」
仁はなんだかんだと会話に付き合ってしまい、時間をかけすぎてしまっていることに焦りを覚えた。
(戦うしかないか……)
仁は覚悟を決めた。
(恨むなよ。戦いの最中に会話を始めたのはお前の方だ)
「雷撃!」
瞬時に魔力を練り上げ、左手を前に突き出した。左の手のひらから放たれた雷撃が、ばちばちと唸りを上げて閃光のようにヴォルグに迫る。
「はっ!」
油断していると思われたヴォルグは、右斜め下に下げられていた魔剣を片手で跳ね上げ、雷撃を切り払った。
「無詠唱で、しかも希少な雷魔法の使い手とはな。これはとんだ拾いものかもしれぬ。どうだ。諦めて私と共に皇女殿下に仕えぬか?」
「雷撃!」
再び雷撃を放つ。先ほどの焼き直しのように、ヴォルグの腕が大剣を動かす。
「魔剣使いに魔法は効かぬよ」
魔剣が雷撃を払うように動いた瞬間、魔剣の振るわれる方向と逆側に回り込んだ仁が剣を両手で握って斜めに斬りかかる。ヴォルグの体を切り裂くかと思われた斬撃が、魔剣の柄で受け止められた。仁は止まらず、そのまま前に出て切り結ぶ。辺りにリズミカルな金属音が響いた。銀灰色と黒の軌跡が宙に刻まれる。
二人の剣が一際大きな音を鳴らしてぶつかった。仁は体内の魔力を身体強化に用い、力に任せて押し込む。全身に満ちた魔力が細胞を活性化させ、筋力を跳ね上げる。同時にミスリルソードに魔力を流し込み、切れ味と強度を補強した。
「うぉおおおおおお」
銀灰色が強く輝き、徐々に黒を押しのけていく。
「身体強化に武器強化か。勇者というのは末恐ろしいな。それとも、貴殿だけが特別なのかな?」
仁は無視して両手に力を込める。銀灰色の剣先がヴォルグの肩に迫った。
「ふんっ!」
ヴォルグの気合に応じるように、魔剣から瘴気のように黒い魔力が漏れ出した。それがミスリルソードに蛇のように絡みつき、銀灰色の輝きを喰らっていく。
(魔力を食ってる……!?)
仁は咄嗟に剣を引いて後ろに跳ぼうとするが、それより早く、黒い斬撃が迫る。後退を諦め、体を捩って黒の軌跡を躱す。廊下の絨毯を切り裂いた魔剣が、そのまま反動を利用するかのように加速して跳ね上がり、横薙ぎに振るわれた。
回避できないことを悟った仁は、ミスリルソードを杖のように床に立てて防ぐ。鈍い音が辺りに木霊した。仁は剣に伝わる衝撃を利用して後方に思いっきりジャンプする。仁が剣柄から手を離したのと同時に、銀灰色の剣身が砕け散った。
「仁くん!」
背後で心配する玲奈に、振り向かないまま片手を上げて大丈夫だと示す。どうやら本当にヴォルグに仁たちを殺す気はないようで、武器を失った仁に追撃してくることはなかった。
(どうする)
アイテムリングにはまだ武器が残っているが、ミスリルソードより強力な武器はない。魔法も魔剣によって防がれてしまう。黒炎地獄などの大規模な魔法はこのような狭い場所には向いていない。建物ごと破壊してその隙を突くという手もないではないが、それこそ大騒ぎになってしまい、逃げきれる自信はない。
(やるしかない)
黒炎を使う。それにより仁がラインヴェルト王国の勇者、黒炎の勇者だと正体が知られてしまったとしても、ここで捕らえられるわけにはいかない。玲奈を無事に逃がすまで、捕まることも死ぬことも許されなかった。仁は何度目かになる覚悟を決めた。
仁の決意を感じ取ったのか、ヴォルグが僅かに警戒の色を浮かべた。仁が微かに前傾姿勢を取り、一歩を踏み出そうとしたまさにそのとき、ヴォルグの向こう側、仁の視界の先に、銀色のドレスを身に纏った一人の可憐な少女が姿を現した。その瞳には、確固たる強い意志が宿っているように見えた。
「そこまでです! 双方、矛を収めなさい」
不気味なまでに静寂が広がる中、凛とした少女の声がどこまでも響いた。
「ヴォルグ、下がりなさい」
「はっ」
ヴォルグが大剣を背負い、ルーナリアの後方へ下がる。仁はその動きを油断なく追った。
「ジンも警戒を解いていただけませんか?」
仁は戦意を全く持っていないように見えるヴォルグから視線を外し、真意を探るようにルーナリアの瞳を覗き込む。
「まぁ。そんなに見つめられては困ってしまいますわ」
ルーナリアは両手を頬に添えて微笑んだ。花のような笑顔が、先ほどまで剣戟の響いていた場にひどく相応しくないように感じた。
「すみません。冗談に付き合えるほど余裕はないのですが」
「冗談ではありませんのに」
棘しかない仁の言葉を受けてもルーナリアの表情は変わらなかった。
「レナもそんなところにいないで、こちらに来てください。ほら、シルフィも」
驚いて思わず振り返ると、玲奈の隣にハラハラした様子のシルフィがいた。
「仁くん……」
どうしたらいいか視線で訊ねてくる玲奈に、頷きを返す。それを見た玲奈とシルフィが小走りで近づいてくる。
「ジン」
「わかりました。ですが、身の安全は保障してください。特に玲奈ちゃんのそれが守られないようであれば、帝国の皇子だろうとルーナの配下だろうと、ルーナ本人だろうと、容赦はしません。玲奈ちゃんに関しては、命だけではなく、貞操もです」
ここだけは譲れないと、ルーナを見る目に力を込める。玲奈が隣に並び、シルフィはルーナの後ろに控えた。
「わかっています。ただし、保障できるのはこの城にいる間だけです。それ以降はあなた方お二人が、お互いを守り合ってください」
「ルーナリア皇女殿下。よろしいのですか? それでは皇女殿下のお立場が――」
「良いのです。既に私は失敗しているのです。もう一つ失敗が増えたところで、変わりはありません」
ルーナリアとヴォルグの話に付いて行けず、仁と玲奈は顔を見合わせて首を傾げる。
「あら、ごめんなさい。お二人を待たせてしまいましたね。では後に付いてきてください」
「えっと、ルーナ。どういうことですか?」
後ろを向いて歩きだすルーナに、慌てて声を掛けた。振り返ったルーナの顔に、悪戯に成功したような歳相応の得意げな笑みが浮かんでいた。
「お分かりになりませんか? お二人には帝都から逃げ出していただきます」
「「え?」」
仁と玲奈の声が重なった。




