6-7.魔法陣
仁は屋敷を出て、鳳雛亭への帰路についた。仁は頭の中でルーナリアから聞いた話を反芻する。
仁と玲奈が帝都を離れた後、ルーナリアは内密に送還方法を探す一方で、召喚魔法陣の修復に力を入れた。過去の事実から送還にも魔法陣が必要だと考えられ、帝国の監査を誤魔化すためにも最適だと思われた。ルーナリアの尽力の甲斐あって、仁と玲奈の召喚の際に真っ二つに割れた魔法陣は魔法的な処理を施され、多くの工程を経て元通りに修復された。それがメルニールと帝国の開戦直前のことだった。
魔王出現の報を受け、帝国上層部では思い通りにならないばかりか邪魔な存在になった仁と玲奈をどうにかできないか議論がなされた。ルーナリアはここぞとばかりに、帝国として送還方法を研究し、仁と玲奈に元の世界に戻ってもらう案を提案したが、仁たちが帝国の言うことを信用することはないだろうと一蹴された。ルーナリアは自分ならばもしやと思いはしたものの、仁と玲奈を自ら逃がしたことを話すわけにはいかず、引き下がるしかなかった。
仁がかつて魔王とされた勇者だと知ったルーナリアは罪悪感を増し、より一層、帰還方法の研究に力を入れようと思った矢先に、ルーナリアのメルニール行きと、仁の籠絡案が決定された。これにより勇者召喚の研究は凍結されるかと思われたが、過去の出来事としてではなく現実のものとして勇者の力を目の当たりにした帝国が、その力を今まで以上に欲っするのは自明の理だった。こうしてルーナリアの代わりに第二皇女であるコーデリアに引き継がれることとなった。
「第二皇女か……」
ルーナリアの話によれば、コーデリアは側室の子であることに強いコンプレックスを持っており、ルーナリアの研究を引き継げば、躍起になって帝国に隷属する勇者の召喚に邁進するだろうということだった。正室の子であるルーナリアの果たせなかった研究を完遂することで、自らの存在価値を証明してみせると息巻く姿が容易に想像できた。もう一歩まで進んだ仁と玲奈の召喚結果を元に修正し、それほど遠くない未来に、帝国の求める完全な勇者召喚を成し遂げるだけの力がコーデリアには備わっているとルーナリアは確信を持って語っていた。もしそうなれば、ルーナリアが仁と玲奈のために修復した魔法陣を使って新たに召喚された勇者と戦うことになるかもしれない。その勇者は自分の意志と関係なく帝国への隷属を強いられているにも関わらず。
「それは嫌だな……」
呟いた仁の言葉が夜道に溶けるように消えた。
「仁くん、お帰りなさい」
思ったより帰りの遅くなった仁は物音を立てないよう静かに部屋に入るが、3人とも起きたままだった。
「ただいま。先に寝ててよかったのに」
駆け寄ってきたミルの頭を撫でながら仁が言うと、ミルは眠気眼を両手の甲で擦りながら口を開く。
「今日は戦争に勝ったお祝いの日なの。一番頑張ったジンお兄ちゃんを待たないとダメなの」
「ミル、待っててくれてありがとう。玲奈ちゃんとロゼもありがとうね」
仁が玲奈とロゼに目を向けると、二人が優しく微笑む。
「ロゼ。酔いは冷めた?」
「はい。お恥ずかしいところをお見せしました」
ロゼッタは苦笑いを浮かべる。ロゼッタは酔っている間のことを覚えているようだった。
「恥ずかしがることないよ。ロゼの新たな一面が見られて、俺は嬉しかったかな。楽しかったし」
「ジン殿。その話はこの辺りで……」
「ごめんごめん」
仁は白い顔を赤くするロゼッタに謝罪し、3人を集めると、屋敷のことを話した。ミルは話を聞いているうちに元気を取り戻し、目を輝かせていた。仁はアイテムリングから屋敷の鍵を取り出して3人の登録を済ませると、明日引っ越しの準備をすることを告げ、手早く身を清めて就寝の準備を整えた。
「それじゃあ、みんな。おやすみ」
3人と口々に就寝の挨拶を交わした仁は照明の魔道具を消し、先に上がり込んだミルの待つ自身のベッドに近付く。そのとき、暗さを増した部屋を、唐突に生まれた青白い光が襲った。仁の足元を中心に幾何学模様で飾られた六芒星が浮かび上がる。
「え?」
突然の出来事に、仁の口から驚きの言葉が零れる。青白い魔法陣は仁の全身をスキャンするように上昇し、光の柱を作り出す。
「仁くん!」
ミルとロゼッタが硬直して動きを止める中、玲奈だけがベッドから飛び降りて仁に手を伸ばした。仁は強さを増す光に逆らうように玲奈に手を伸ばすが、光の端は見えない壁となって二人の間を別っていた。
「玲奈ちゃん……」
仁は自身の存在ごと全身を頭から上に引っ張られるような感覚に襲われながら、意識を手放す。仁はこの感覚を知っていた。
「え」
ぼんやりとする仁の頭が聞き覚えのない声を聞き取った。仁はパチパチと両目を瞬かせ、意識を浮上させる。白みがかった視界が晴れるにつれて、仁の目に見覚えのある景色が飛び込んできた。岩肌が剥き出しになった窓のない地下室のような部屋を照明の魔道具が照らしている。仁の足元には大きな石板が設置されていて、光の残滓がその石板が魔法陣であることを示していた。
「あなたは……」
仁の目が声の主を捉える。声の主は石板の一歩外に立ち尽くしていて、中心にいる仁との距離は3メートルほどだった。声の主は輝く金髪を持つ碧眼の美しい少女だった。高貴さを纏った少女の、本来であれば鋭さを感じさせるであろう釣り目は見開かれ、小さな口は半開きになっている。少女の目の下には薄らと隈ができていた。少女から少し離れたところに、同じような表情を浮かべた若い女性の姿もあった。その女性はつい数時間前にも目にしたのと同じメイド服を身に着けていた。金髪碧眼の少女は気を取り直すように小さく咳払いをすると、薄い微笑を浮かべた。
「私の言葉が理解できますか?」
仁の脳がフル回転し、与えられた情報から現在の状況を整理する。仁の頭が導き出した答えは、信じがたいものだった。
「私の言葉が理解できるかと聞いているのです」
仁が質問に答えないでいると、柔らかった声音が苛立たしげなものに変わる。意志の強そうな釣り目が細められ、微笑の仮面は既に剥がれ落ちていた。仁は構わず周囲に視線を送る。この部屋には仁の他には目の前の少女と女性の2人しかいなかった。
「私を無視するとは、いい度胸ですわ」
「ひ、姫様! 危のうございます!」
姫様と呼ばれた少女はメイド服の女性の制止を聞かず、ずかずかと石板の上を力強く踏みしめて仁に近付く。仁は決意を固めて両脚に力を込める。目の前に迫る少女とメイドを気絶させて時間を稼ぎ、その間に使われるだろう玲奈の特殊従者召喚で玲奈の元に帰る。それが仁の立てたプランだった。玲奈任せの計画ではあるが、目の前で消えた仁を玲奈が放置するとは考えられなかった。一抹の不安としてはメルニールと現在地の距離が挙げられるが、以前行った検証から問題ないと仁は考えていた。
「あら? あなた、その首輪――」
少女が動きを止めた一瞬を見計らい、仁は一陣の風のように少女に向かって駆け出す。すれ違いざまに仁は右の手刀で少女の首の裏を狙う。命まで奪ってしまわないように手加減した手刀が振るわれようとした瞬間、仁の体を心臓が握りつぶされるような激しい痛みが襲った。勢いを失ってその場に崩れ落ちる仁の口から、苦痛に塗れた呻き声が零れた。景色が暗転し、仁はそのまま意識を失った。
グレンシール帝国の帝都の城の地下室で、少女がドレスの裾を片手で押さえながらしゃがみ込み、仁の首筋に手を当てた。




