08 幕間 ルカの物語
「ほら、そろそろ始まるみてえだぞ?」
ここはアルビオン王都の中央広場。
隣に立つ熊のようなこの男の人に、僕は春の祝福祭に連れて来てもらったのだ。
僕の名前はルカ。
祝福祭なのに、なぜ家族で来ていないかというと――。
◆ ◆ ◆
僕の名前はルカ。
そう、それはさっきも言った。
僕の名前はルカで、そして、しがない旅商人の息子……
……だった。
余計な過去形を付け足さなくてよかったのは、つい半年前までの話だ。
父さんは流しの刃物商人で、地元での評判はいい方だったと思う。
母さんは早くに死んでしまっていたので、父さんと二人、根無し草のように旅ばかりして刃物を売り歩く生活をしていた。
まあ、刃物といっても高額な武器はなかなか扱えなくて、商品の大半は包丁とかナイフとかだったけど。
それでも父さんの砥ぎの腕はなかなかで、商品を買う余裕のない村でも、砥ぎの注文だけで旅費の足しにはなっていた。いつも回っていた馴染みの行商ルートでは、行く先々で村の女の人がしきりと声を掛けてくれてたっけ。
それが突然、北の果てのアルビオン王国に行くことになった。
とある村で目にした素朴な短剣に父さんが一目ぼれしたからだ。その短剣はアルビオンの王都に住む鍛冶職人が作ったもので、それを仕入れて僕らの国で売れば大もうけできるらしい。
アルビオン――それは僕らの国アルスを出てさらに国をふたつ超えた先にある、寒いことで有名な国だ。それは僕でも知っていた。
あと知ってたのは、アルゲオなんとかという名前の守護龍がいる、とかぐらい。守護龍とか、なんか響きが格好よくって記憶に残っている。
そんなアルビオンへの旅は大変だったけど順調で、冬になる前にその王都に到着する見込みだった。
ところがアルビオン王都の手前で魔物に襲われてしまった。その時のことは……ちょっと思い出したくない。
その時を境に僕は旅商人の息子ではなくなり、見知らぬ町で生きる孤児となった。
父さんはもういない。
いつも冗談ばっかり言って優しかった父さん。
今日みたいな天気の良い日ならきっと――
「――おい、聞いてっか、ルカ?」
バン、と横から肩をどやされた。
見上げると、熊のように大きな人があけっぴろげの笑顔で広場の前の方を指差していた。
「そろそろ始まるっての。……お、ありゃまさか幻のちびっ子巫女さまか? 神殿に秘蔵っ子がいるって噂はあったけど、本当にいたんだな。ちんまりしてどえらい別嬪さんじゃねえか。まるで女神ラエティティア様の像をそのまま幼くしたみてえだぞ」
この人、ラヴァルさんは今の僕を養ってくれている人。
魔物に襲われ、僕一人がアルビオンの神殿騎士団に救われた次の日。
どこで噂を聞いたのか神殿に押しかけてきて、泣き疲れた僕を引き取ってくれようとしたうちの一人。この国の人たちは信じられないくらいに親切だ。
後で知ったことだけど、このラヴァルさんこそ父さんが訪ねようとしていた鍛冶職人らしい。事情を聴いて、他の人たちを押しのけて強引に僕を引き取ってくれたとか。それ以来、僕はラヴァルさんのところで仮初めの親子のような、鍛冶屋の弟子のような生活を送っている。
「っても、見えないか。ほらよ」
僕はぐいと引っ張られ、気が付くとラヴァルさんに肩車をしてもらっていた。
ちょっ、僕はこれでも十二歳、成人した大人なのに――
「がはは、ルカはちっこいからな。今回はお前さんと同い年のオルニット様も来てるみたいだぞ。ほれ、見えるか?」
ラヴァルさんの分厚い肩の上はまあ確かに見晴らしが良くて、遠くに作られた壇のようなものが大勢の人の頭越しに良く見える。
僕は文句を飲み込み、しぶしぶ肩車を受け入れた。こういう時ラヴァルさんは人の話を全然聞かないし。
檀の上には何人もの貴族様や神官様が並んでいて、その中、ラヴァルさんが指さす先にいたのはこの国の第一王子。なんでも、産まれた時にものすごい祝福の光が部屋を満たしたらしくて、「精霊の愛子」「祝福の王子」とか呼ばれている有名人だ。すらりと背が高く、男から見ても整った顔をしているのがここからでも分かる。
町の人たちからの人気も高いようで、広場のあちこちから王子様の参加を歓迎する暖かい歓声が上がっているようだ。
「……お、マーテル様が出てきた。始まるぞ」
僕が同い年という王子様を眺めていると、ラヴァルさんが小声で教えてくれた。
マーテル様、というのは今お辞儀をした巫女様だろう。
ああ、あの人なら知っている。
ラヴァルさんのところに引き取られてしばらくの間、僕は胸の中がぐちゃぐちゃで、布団の中で丸まったまま一日を過ごすことが多かった。
この国に来て初めての、冬の祝福祭の時も行かなかった。祝福祭で祝福を授からなければじきに病気になって死んでしまう、そんなことは知っている。でもその時はこのまま病気になって死んでしまえばいい、そんな気分だったんだ。
それを言ったらラヴァルさんはもの凄く怒ったけど、父さんみたいに口が上手くないから、結局は黙って一人で祝福祭に出かけて行ったんだ。
僕に優しくしてくれてるのかなって少しだけ思っていたラヴァルさんが、そうもすぐに諦めて一人で行ってしまった――。そのことに僕の胸の中はまたぐちゃぐちゃになって、それから数日、祝福を受けなかった僕は投げやりな気持ちでまた丸まって過ごした。内心はいつ病気が出てくるんだろうって怯えながら。
そしたら。
なんと、神殿の人たちが、布団の中で丸まっている僕にわざわざ祝福を授けに来てくれたんだ。
神官様っていったら貴族様と同じぐらい偉い人たちだから、さすがにものすごく驚いて僕は布団から顔を出した。失礼があったら僕のような平民の孤児なんてあっという間に殺されてしまう。
でも、どうやらこのアルビオンという国では、病気とかで祝福祭に来れなかった人には神殿の人が出向いて無料で個別に祝福を授けてくれるらしい。僕の生まれた国アルスはもちろん、行商で訪れた他の国でもそんなことは聞いたことがない。
祝福祭に行けなかったら自分のせいで、次の祝福祭まで病気が出ないようびくびく祈りながら過ごすしかない。よっぽどのお金持ちか、隣組で大金を集めて神殿に喜捨でもしなければそんなものなのに。
それが、こんな無気力で何の役にも立たない孤児のところにも、時を置かずにわざわざ訪問してくれている。僕は状況を飲み込めないまま祝福と簡単な治癒の精霊術を授けてもらって、神官様たちの中にいたおばあさんと少しお話をした。とても優しいおばあさんで、ちょっとだけ元気が出た僕はラヴァルさんに謝って仲直りした。そして、それからはラヴァルさんとそれなりに前向きな今の生活を送るようになったんだ。
――その時のおばあさんが、さっき壇上にいたマーテル様だ。
とてもきれいなお辞儀をしてすぐに引っ込んでしまったけど、なんとこの国の巫女長様だったらしい。
今は王様がなにか喋っている。
僕の周りの人たちがとても好意的だけれど粗野な野次を飛ばしたりしていて、それにひどく驚かされた。僕が育ったアルスでは、王様や貴族様にそんな声をかけるなんてとても許されない。身分が違うから、平然と虫けらのように殺されてしまうだけのはずなのに、王様は満足そうに悠然と手を挙げて応えただけだった。
「おい、あれを見ろよルカ! あんなに霊力を貯めてくださって、王様たち、また無理したんじゃねえか?」
ラヴァルさんがびくりと身動きをして、興奮気味に僕の足をバンバン叩いて揺さぶり出した。
痛いし危ない。僕が肩車をされていて、すごく高い位置にいるのを忘れてるんじゃないだろうか。
周りの人たちもどよめき、口々に似たようなことをささやいている。
みんなの視線の先にあるものは、若い王様が高く掲げた石のようなもの。春のやわらかい日差しをうけてきらきらと輝いている。いや、輝いているのはお日様のせいだけじゃないような――。
アルスでも祝福祭の時にあんな石を見ているけど、あそこまで輝いてはいなかった。もうちょっとくすんでいたような気がする。
壇上では、神官……じゃなくって巫女長のおばあさん――マーテル様――が何か喋っていて、後ろの女の子が貴族のお辞儀をしたところだ。随分と小さい子だけど一人前の巫女服を着ている。あり得ない組み合わせなんだけど前の方の人達は大歓声を上げていて――うん、この国のしきたりはまだよく分からないや。
歓声が収まってようやく祝福祭の儀式が始まった。
ああ、これは知っている。
祝福祭のメイン、精霊の祝福を呼ぶ儀式だ。これから巫女様の手がうっすら光って、その手で空に霊力陣を描いていくのだ。
周りの人たちも一緒になって唱える女神ラエティティア様を讃えるお祈りの中、徐々に霊力陣が描かれていって――え?
なにこれ?
なんでこんなに大きいの?
……ラヴァルさんが「アルビオンの祝福祭を一度知ったらもう余所には行けねえぞ?」とか自慢っぽく言ってたけど、確かにこんなの、中央のコンコルディア教国でもやってないんじゃないだろうか。
そして、アルスとは明らかに段違いの輝きを放つ精霊石が、王様によってそんな霊力陣に掲げられた。
同時に立ち上がる、見たことも聞いたこともない規模の光の柱。
それを受け取った霊力陣が虹色に光り出して――
――金色の祝福が、広場を飲み込むように降ってくる。
その輝き、密度。
アルスの祝福祭なんて比べ物にならない。
……すごい。
僕は間抜けな顔をしてたんだろう。身を捩って僕の顔を見上げたラヴァルさんが、また足をばしばしと叩いてきた。
「どうだ! ウチの祝福祭はすげえだろ! 俺らの王様も巫女様たちもみんな凄えんだよ、そして今年は特に凄えぞ! がははは!」
だから危ないって!
ぐらぐら揺れるラヴァルさんの肩の上で反射的にそう答えようとした時、金色に輝く祝福が牡丹雪のように舞い落ちてきて。
次から次へと降ってくる、親指の先ほどもある祝福。
それがどんどん僕の身体に吸い込まれていく。
……すごい。
アルスではもっと小さな欠片だったし、みんな受け取れるのはたいていひとつかふたつ。
それがこんなに――。
体がぽかぽかと暖まっている。
奥底から活力が湧いてきて、意味もなく踊り出したくなるような、純粋な喜びの感情が心に溢れていく。
え?
これって祝福だよね――僕が知ってるのと全然違って――あはは、すごい。すごいよこれ――。
◆ ◆ ◆
それから僕は、ラヴァルさんの肩から降ろしてもらって、広場の奥に作られた屋台村で串焼きを貰って食べた。
美味しかったし、体の調子がすごく良くて、それだけでいつになく楽しくなってしまう。
ラヴァルさんと何でもないことで笑いあって……こんなに笑ったのはいつぶりだろう?
気が付くと、周りのみんなが広場の前の壇に向かってお辞儀をしたり、手を振ったりしていた。
もう人がばらけていたので、肩車をしてもらわなくても壇上の人たちがよく見える。
「ありゃ、マーテル様がこっち見てんじゃねえか。マーテル様ったらな、王様の母親でもあるんだぞ? だから巫女として儀式をしてくれるだけじゃなくって、王族としても今回の祝福祭の霊力を貯めてくれてんだ。どえらくキツい生活だっつうぞ? 俺たちも頑張って税をいっぱい納めて、あの人たちに返してやらねえとなあ。――ありがとよおお!」
ラヴァルさんが突然大声を上げ、その太い腕をぶんぶん振り始めた。
僕は耳がきいんとしてそれどころじゃなかったけど、そのマーテル様に手を引かれている小さな女の子に思わず目を奪われてしまった。
さっき壇上で大歓声を浴びていた女の子。七つか八つぐらいだろうか。小さな身体に上等な巫女服を着て、お日様の光が形になったような、やわらかそうな淡い金色の髪がふわりと肩にかかっている。どこか現実離れしていて、妖精という言葉がぴったりの、儚くも神々しい女の子。
息を飲むくらいにすっきり整った顔にはほとんど表情が浮かんでいなかったけれど、その透きとおるような水色のきれいな瞳には、こっちに向かって暖かいものが浮かんでいたと思う。
心を揺さぶられるほどに、ずっと見ていたいと思わせる瞳。
ずきん、と甘く鋭い痛みが胸を貫き、かあっと頬が勝手に熱くなっていく。
「おお、ちびっ子巫女さまがこっち見てんぞ――お? おいルカ、がははは、まさかおめえ初恋か? やめとけやめとけ、相手は子供――」
どこか遠いところでラヴァルさんが僕の肩をばしばしと叩いているけど、ぜんぜん気にならない。
頭の中ぜんぶが真っ白になって、ただひらすらに妖精のような女の子を見詰めていると――
突然、その女の子の身体が光り出した。
さっきの祝福の輝きを数倍したような金色のまばゆい光が、服の隙間という隙間から溢れ出ている。
そしてその光は、大きさに驚いたさっきの祝福の比ではない、こぶし大の祝福の雨となって広場に舞い広がっていく。
突然の変異に大騒ぎとなっている広場。
「なんだこの祝福は! まるで神話の奇跡じゃないか!」
「見てくれ! 俺の古傷が消えたぞ!?」
「奇跡だ! ラエティティア様の奇跡だ!」
大声で叫び、地面にひれ伏して女神ラエティティア様に祈り出す人。漂う祝福をその身に浴び、歓喜のあまり泣きながら立ち尽くしている人。
壇上では、あの女の子が光に包まれながら崩れ落ちていって、さっき教えてもらった第一王子様が何か叫びながらその彼女を抱き支えている。
そして僕は。
僕の全ては、女の子からこんこんと溢れ出る奇跡の光に吸い寄せられていて。
暖かそうで、でも震えるほどに神々しく高貴な光。
そんな光を僕の全身が焦がれるように熱望して、声にならない叫びが肺を満たして、ただただ呆然と光を見詰めていた。
そして、そんな思いが引き寄せたのだろうか。求めてやまない、祝福に変わっていない生の光が、直接そんな僕に向かってきて。
光に包まれた瞬間、頭の中が真っ白になって、僕はその場に倒れた。
ルカ君のこの物語、折を見てちょいちょい本編に続きを挟んでいきます。
なお、本日は昼ごろ小話をもう1話、夜に本編(第二章)を1話投稿する予定です。
どうでもいい裏情報
このシリーズ、執筆BGMはSuzanne VegaのLukaです懐かしい