07 フィリア、祝福祭に参加する(後)
「――では、祝福の儀を始めましょう」
耳を塞ぎたくなるような歓声がひとしきり収まると、マーテル様が凛と宣言して大きく両手を広げました。
同時に、それとシンクロするように両手を広げるクロエ姉さま、イネス姉さま、ヴァレリ姉さま。
ふうう。
どうやら試練の時は終わったようです。
ここから私は黒子です。お祈りをするように跪いて、その姿勢で実際の儀式を体験していけばいいだけです。
静まり返った広場の中、舞台の上で両手を広げたまま強烈な存在感を放ち始める姉さまたち。その肩に乗っていた精霊たちが一斉に、人には見えない光で色とりどりに輝き始めているのです。
その精霊の光が掲げた両手に移動し、掌が徐々に真っ白な光を放っていきます。
この純白の輝きは人々の目に映る光。儀式の始まりを目にした広場の人たちが、口々に女神ラエティティアを讃える祈りを唱え始めました。
マーテル様が目を瞑り、同じように祈りを唱えながら、空中に何かを描くように輝く掌を大きく動かしています。
その後ろの姉さまたちもそれぞれ輝く掌で宙をなぞり、目を瞑っていても不思議と息が合っていて統一感があるのは修練の賜物でしょう。
と、精霊たちが広場の上空に飛び出して、マーテル様たちの掌の動きに呼応するように舞い始めました。
真っ白に輝くマーテル様たちの手から光が伸び、それぞれの精霊たちと結ばれると、精霊たちの舞が純白の軌跡となって空に描かれていきます。
神秘的で、とても荘厳な光景。
マーテル様と後ろの巫女、神官たち、広場の人たちが一緒になって唱える祈りがどんどん高まっていきます。
大勢の人が創り出す一体感、そしてその上空に描かれる、人ならざるものたちの力の顕現。
やがて、精霊たちの純白の軌跡が、巨大な円と複雑な線の模様となって空中に完成しました。
宙に浮かぶ、光り輝く巨大な霊力陣です。
……マーテル様たち、すごい。
本番でここまで大きくて立派なものを作れるなんて。
複雑で、繊細で、力強くて。
来年精霊院に行って精霊と契約したとしても、私にここまでのもの、作れるでしょうか。
あとはこの魔方陣に霊力を注げば発動するはず。さっきの見るからに霊力を貯めこんだ精霊石を使って、いったいどれだけの精霊が集まってくることやら。
息を飲んで見守る私の目の前で、進み出た陛下が壇の中央で煌めく精霊石を掲げ、高らかに叫びました。
「――アルビオン一族から、わが国に住まう全ての民に祝福を贈る! 女神ラエティティア様のご加護があらんことを!」
その瞬間、精霊石が陛下の手の先で眩い閃光を放ちました。
ブオン、と低い共鳴音が耳朶を打ちます。
――え、何?
精霊石から、圧縮された力が光の柱となって立ち昇って。
光の柱はそのまま上空の霊力陣に吸い込まれ、一瞬の沈黙の後、霊力陣の複雑な一本一本が鮮やかな七色の光を放ちました。
そしてそのまま波打つように震え、霊力陣が力強く活性化して。
――そして最後に、全体が金色に光り輝き始めました。
それはまるで小さな太陽のよう。
どこかで見たことがあるその光は、まるで私を呼んでいるようで。
こんなの、聞いてないよ……。
私が妙な感覚に戸惑っていると、広場の向こう、町のあちこちから精霊たちが飛び出してきました。
精霊たちは嬉しそうに、吸い込まれるように金色の輝きの中心へと飛び込んで。
私について来た精霊達も、次々と飛び立っていきます。
あ。
いいなあ。
私が茫然と見守ってるうちに、百体はいた精霊たちが全て巨大な霊力陣の光の中に入ってしまいました。
そして――。
霊力陣が、音もなく弾け飛びました。
無数の金色のかたまりが視界いっぱいに広がって、ゆっくりと高度を下げて……これは、精霊たち?
先ほど霊力陣に飛び込んだ精霊たちが金色の光をまとって、ゆっくりと漂い降りてきます。
その光はとても優しく、力強い。
人の目にも見えるのでしょう、広場の人々は祈りを止め、畏敬の眼差しで見上げています。
そして、金色の精霊たちはゆっくりと人々の上に舞い降りてきて――
――その身から、細かい金色の粒子を人々の頭上に撒き広げました。
これが本当の、精霊の祝福。
広場の人々はまるで光の雨を浴びているよう。
そしてしばし恍惚とした後、やがてそこかしこから喜びの声が上がり始めました。
「ああ、体中から力が漲ってくるぞ! さすがはアルビオンの祝福だ!!」
「これで春の間は病気ともおさらばだぜ!」
「今年は特に豪華な祝福だ! 女神様、精霊様、そして我らが王様に感謝を!」
光を浴びた人々の感謝の気持ちが大きな山のように盛り上がっています。
ああ、なんて暖かさでしょう。ひとつひとつが積み重なって、こんなに集まって大きくなって――
「――祝福は全員に届いただろうか?」
壇上から、陛下が広場の人々に声をかけました。
かなり疲れた顔をしていて、手にした精霊石も色を失って、すっかり透明になってしまっています。
一旦静まり返る広場。
次いで、爆発するような歓声が返ってきました。
届いております――。王族の皆様に感謝を――。国王陛下万歳――。
活力に満ちた笑顔で、口々にお礼を叫ぶ人々。
陛下は片手を上げ、笑顔を浮かべて目の前の民衆に応えています。
そして声を高め、力強く宣言しました。
「祝福を受け取ったようで何よりだ! これからの活動の季節を、諸君ら全員が健やかに乗り切ってもらうことを願っている! ささやかながら恒例の食事も用意した。楽しんでくれ! では、女神ラエティティアとその眷属、祝福を授けてくれた精霊達に感謝を!」
再び沸き起こる歓声。
いつの間に用意したのか、広場の奥にたくさんの屋台が並んで調理の煙が上がっています。皆が笑いながら楽しそうに群がっていって――
「ふふふ、お疲れさまでした」
いつの間にか隣で満足そうに広場の光景を見守っていたマーテル様が、私の少し冷たくなった手を握って微笑みかけてきました。
「今日はありがとう、フィリア。無理に参加させて御免なさいね。今年の冬は厳しかったから、春を告げるこの祝福祭は特に盛り上げたかったの。でも、やっぱり貴女のお陰で最高の祝福祭になったわ。贈られた祝福の量もびっくりするほど多くって――」
そう言って、満足そうに広場を見渡すマーテル様。
「見て、みんなとても良い笑顔……フィリアは、参加してみてどう思った?」
「あ、あの、すごかったです。それと、何ていうか」
……広場の人たちが、本当に嬉しそうで。
私は祝福というものを簡単に考えていたけれど、霊力を持たない一般の人たちには文字どおりの命綱な訳で。
私は、私は――
「うふふ、優しい子ね」
俯く私をマーテル様はそっと抱き寄せてくれました。
「貴女が紡ぐ不思議な祝福も同じ効果を持っているわね。でも、貴女が頑張ってこの祝福祭に出てくれたというそれだけで、贈られた祝福の量が増えたのは本当よ。もしかして、と期待していた部分はあったけれど、これで確信したわ」
そう言って優しく私の頭を撫でるマーテル様。そして、つい、と上半身を離して私の目を覗き込んできました。
「私がさっきの御披露目の時に言った褒め言葉はみんな本心よ。精霊に愛された――いえ、精霊そのものとすら思えてしまう貴女がいれば、もっと皆を助けられるの。だから、改めてお願いするわ。どうか私達を手伝ってちょうだい――この国にいる、霊力を持たない全ての人達のために」
「……はい」
マーテル様への返事は、小さく、そして掠れたものだったけれど。
優しく抱きしめられる私の中に、とてつもなく大きな目標のようなものがぼんやりと渦を巻いていて。
この第二の生で得た身体の、その小さな胸の奥底に確かな道しるべが明るく灯った瞬間。
私は、私は――
「まあ、遥か大昔はそうじゃなかったみたいだけれど、今のこの世界には悪い空気みたいなものがうっすらとあるの。瘴気、と呼ばれるものね。だから祝福祭の他にも、畑の作物がその瘴気に染まらないようにしたりだとか、巫女の儀式はたくさんあるのよ。そして、その都度その土地を治める王族やら貴族から霊力を込めた精霊石を貰うのだけれど――」
頭と心がぐるぐると波立っている私に、マーテル様は落ち着かせるように語りかけてきます。
「――正直なところ、必要な儀式が多すぎて、どの貴族も霊力が足りなくてぎりぎりで回しているの。本当に困っているのよ。だけれど、今日の祝福祭で確信したけれど、フィリアがいればそれがかなり楽になると思うのよ。貴女に大きすぎる期待をかけてしまっているのは分かっているのだけれど――」
マーテル様は優しく身体を離し、私の手を引いて舞台の前方に歩き出しました。
「――でも、そうやって頑張れば頑張るほど、この国に住む人たちは笑顔になってくれる――ほら」
マーテル様が腕を大きく振った先には、広場に散らばる王都の人々。
屋台でもらった食べ物を手に、思い思いに集まって弾むように談笑しています。
何人かがマーテル様の大きな動きに顔を上げ、壇上の私たちの視線に気付いて笑顔でお辞儀をしてきました。
こちらに手を振り、嬉しそうに何か言っている人もいます。
それを見た周囲の人たちが振り返り、やっぱり私たちの視線に気が付いて、それぞれにお辞儀をしたり笑いかけてくれたり。
……みんな輝くような笑顔で。
厳しく長い冬が終わりになって、この先の健康を授かって。
山のような暖かさがやわらかなうねりとなって、次から次へと私に押し寄せてきます。
ああ、こんなに大勢の人が心から喜んでるんだ。
なんて素敵なことだろう。
心が満たされて、言葉にならないほど幸せで。
私の全てを圧し包む暖かさに、心の底から湧き上がってきた別の暖かさで身体がいっぱいになって――
「だから、ね。フィリアが一緒に頑張ってくれると嬉しいの。……どうかしら?」
マーテル様の言葉に、私はただコクコクと頷いて。
やっとのことで「はい」という言葉を口から出すことができました。
その瞬間。
折り目正しく着こなした、真新しい巫女服の真ん中で。
私の小さな心臓が、ドクン、と大きな音を立てました。
そして。
神々しい巫女服の襟元から、袖口から、裾から、金色の光が爆発するように迸って――
オルニット殿下が何かを叫びながらこちらへ駆け寄ってくる光景を最後に、世界がふつりと途切
以上で、序章「神殿の暴走娘編」は終了です。
小話を挟んで新章「アルビオン王都の秘蔵っ子編」に続きます。