06 フィリア、祝福祭に参加する(前)
私が祝福祭の壇上に登ると、そこには――
眩しいほどの春の日差しと、広場に集まったたくさんの人、人、人。
王都に住むほとんどの人がここに押しかけているのではないでしょうか。
人々の表情はみんな明るく、老若男女、質素な毛皮の外套を着ている人が多いけれど、みんな小奇麗にしていて不潔な人はいません。
そこかしこで興奮したような話し声が上がっていて、これから起こることを心待ちにしているように見えます。
私はこれまで神殿から出たことがなかったから、この世界の一般の人をこんなに間近に、こんなに大勢見るのはこれが初めてです。
何人かが目ざとく壇上の私を見つけ、「おお、ひょっとしてあれが噂のちびっ子巫女さまじゃないか」などとささやき合っています。
ち、ちびっ子巫女て。
くっ、そんな噂になっているとは一生の不覚!
確かに、この年齢で巫女見習いとして儀式に参加するのは珍しいことらしいのですが。
さらにこのアルビオン王国が辺境に位置していて、小さな国の分、王族や神殿と民衆の距離が異様に近く、特に巫女は親愛をもって迎えられる存在らしいのですが。
ですがががががが。
むきぃぃぃーー!
十二歳になって成人済みの淑女を捕まえて、その子供を見守るような暖かい視線はないと思うですよ!
誰ですか「巫女ちゃん頑張れえ」なんて能天気な野次を飛ばしたのは!
ぐぬぬぬぬ。
は!
いやいや、これはひょっとして、イネス姉さまとヴァレリ姉さまのすぐ後ろに付いていたのがいけなかったのかも。
二人とも長身ですからね、余計私の背が低く見えてしまったに違いないです。
私はさり気なく歩みを遅らせ、二人との距離を取る作戦に――ひえええっ!
舞台の反対側から王族の方々と登場してきたクラヴィス様の視線が冷たい!
怒ってますよ確実に。凍てつく波動ってやつです。
私はすすっと歩みを速め、ヴァレリ姉さまのぴったり後ろにつきました。ええ、元々この位置でしたが何か?
さあ、クラヴィス様の波動は見なかったことにして、これから始まる儀式に集中しましょう。おほほほ。
今日の儀式は「春の祝福祭」、この王都の領主である国王陛下がその住民に精霊の祝福を授ける儀式です。
霊力を持たない一般の人々は精霊の祝福を受けないと病気になってしまいますからね。
霊力を持つ貴族にとって、その霊力を使って精霊に祝福を乞い、領地の人々の健康を守るのは最も大事な務めなのです。
そして、精霊との親和性が特に高い私たち巫女の役割は、多数の領民に一括して祝福を贈る大規模儀式を執り行うこと。
数千数万の領民に個々に祝福を贈っていたのでは手が回りませんからね。巫女にしかできない大規模で特殊な霊力陣を描き上げ、貴族の方々が貯めた霊力を無数の精霊に渡して一気に祝福に変えてもらうのです。
「祝福祭は年に四回、季節ごとに行っているのよ。我がアルビオン王国の祝福祭は効果が高いって、とても有名なんだから」
以前、巫女長であるマーテル様が誇らしげに教えてくれました。
広場の様子をそれとなく観察すると、警備の騎士が町の人たちと和やかに言葉を交わしていたりして、町全体に歓迎されている雰囲気がひしひしと伝わってきます。
――と、王族の皆様と一緒にいたマーテル様が、優雅な足取りで静かに壇の中央に進み出ました。
途端に静まる中央広場。
一拍おいて、びっくりするほどの歓声が沸き起こります。
「マーテル様!」
「聖母様! いつもありがとうございます!!」
すごい。
マーテル様、大人気だ。聖母様だって。
惜しみない敬愛と歓迎の合唱に、マーテル様の肩に乗った三体の精霊も誇らしげに輝いています。
「――アルビオン王国、王都の皆さん」
マーテル様が口を開きました。
広場の歓声はぴたりと静まって、マーテル様の優しくも芯のある声が穏やかに広がっていきます。
「春の祝福祭を始めます。皆に女神ラエティティア様のご加護がありますよう」
マーテル様はそう言って優雅に一礼すると、隣に進み出た男の人と交代しました。
――レグルス・ ケルサス・アルビオン国王陛下。
がっしりとした体を包む豪華な衣装が、お日様に輝く蜂蜜色の髪とアイスブルーの瞳に良く似合っています。すぐ脇に控えるオルニット殿下も大きくなったらこんな美丈夫になるのでしょう。
国王陛下と第一王子の登場で、再び歓声が沸き起こりました。
このお方も皆さんに愛されているのですね。
と、祝福が暴走しそうな気配があったので、慌てて国王陛下親子から視線を外しました。
陛下も大人の魅力ダダ漏れのイケメンさんですし、若獅子のようなオルニット殿下と二人揃うと私にとって更なる危険物ですからね、危ない危ない。
「アルビオン王都、春の祝福祭へようこそ! 王族を代表して諸君を歓迎する!」
陛下の朗々とした宣言に、さらに湧き起る津波のような歓声と拍手。
――こうして、私が参加する初めての祝福祭が始まりました。
たくさんの人が集まった中央広場の壇の上、レグルス・ ケルサス・アルビオン国王陛下が高らかに言葉を継いでいきます。
「霊峰ソルスからの冬の吹き降ろし、大いなる息吹クルトゥーラも今年はいつになく厳しかった! だが、それももう終わりだ。ようやく待望の春が来たのだ!」
広場を埋める民衆たちから一斉に「おおっ」という賛同の言葉が返ってきました。
陛下は軽く頷き、威厳たっぷりにそれを受け止めています。
すごい。
私が知っている陛下とはまるで別人。
これまで神殿ではあまりお話したことがなかったけれど、そこでは真面目なクラヴィス様をからかって喜んでいる、茶目っ気たっぷりの人だったのに。
広場の人々は敬愛と信頼の眼差しで陛下と隣のオルニット殿下を見詰めています。みんなまっすぐで純粋な明るい顔。
正規巫女のクロエ姉さまが「この国の冬は厳しいけれど、その分、人が素朴で暖かいのよ」って言っていたけれど、確かにそれも頷ける気がします。
「――我らがアルビオン王国の守護龍、アルゲオウェントスも春の訪れと共に霊峰ソルスから解き放たれた! 屋内に閉じ込められていた長い冬は終わり、これから我らにも活動の季節が始まる! 諸君らが健やかなる体と清らかな心で過ごせるよう、我ら一族が力を込めしこの精霊石を以て、春の祝福の儀式を行う!」
陛下がそう宣言し、傍らに進み出たクラヴィス様から何かを受け取って高々と掲げました。
広場の民衆が大きくどよめいています。
あ、あれは見たことがあります。
この間マーテル様がちらっと見せてくれた、私の瞳と同じ、透きとおった空色をしている精霊石。
礼拝堂の女神ラエティティア様の像にも使われている、美しくも貴重な宝玉。
この間マーテル様に見せてもらったものは大人の握りこぶしほどもあって、なんだか力を吸い取られるような不思議な感覚がしてすぐに手を離してしまったけど、今日はそれを使って儀式をするということでしょう。
王族の皆様が霊力を注ぎに注いだ、私の瞳と同じ空色に輝く精霊石で――。
今は陛下の手で人々の前に高く掲げられているその大きな精霊石は、春のやわらかい日差しを浴びてきらきらと輝き、本当にきれいです。
結構な量の力が渦巻いているのが一目で分かりますね。
「では、我がアルビオン王国が誇る巫女、マーテル・ ケルサス・アルビオン――儀式を始めよ!」
陛下が厳かな面持ちでマーテル様に場を譲りました。
いつの間にか私たち巫女の列に並んでいたマーテル様はその言葉を受け、たくさんの人が集まる広場に向かって両手を大きく広げました。
「アルビオン王都の皆さん」
しん、と静まり返る広場。
「祝福祭の前にひとつお知らせがあります。――それは、このアルビオン王国に新たな巫女が加わったという喜ばしいもの」
たくさんの視線が、水を打ったような静けさの中で一斉に私に向けられました。
うわわわ、これ、もしかしなくても御披露目ってことですよね。
こんなにたくさん人がいるなんて知らなかったですし人の視線がこんなに威圧感を持っているなんて知らなかったですしなんかイヤな汗がどばどば出てきてまして――
――ど、ど、どうしましょう……。
「新たな巫女は、精霊契約どころか、精霊院に入学すらしていない年若き乙女です。本来なら巫女などとはとても認められぬ世代ではありますが、彼女は巫女に特化した特殊なギフテッド。そう、このマーテル・ ケルサス・アルビオンが保証しましょう、この者の持つたぐいまれなる才と、精霊に寵愛されしその魂を!」
あわわ、マーテル様盛りすぎ! 盛りすぎですって!
「――では紹介しましょう。アルビオン神殿が誇る五人目の巫女、我らがアルビオン王国に更なる繁栄をもたらす新たな巫女、フィリア!」
うぎゃあああ!
こうなったらお辞儀するしかないです!
両方の手のひらを胸の前で交差して、ええと、あとは膝をカックンと――
ウオオオオオオオオオオ!
腰が抜けるほどの大歓声が押し寄せきました。
え、あの……歓迎、されてる?
よ、よ、良かったですぅ。
「――フィリアは今後しばらく見習いとして各種儀式に参加します。皆さまの目に入る機会も多いと存じますが、何とぞよしなにお願いしますね」
最後ににこり、と微笑んだマーテル様に、再び大きな歓声が沸き起こりました。
任せてください、新たな巫女に感謝を等々、この国の神殿と民衆の距離の近さを実感するような声がたくさん聞こえてきます。
ただ、強いていえば、私に向かってくるのはおじちゃんおばちゃん世代の野太い叫びが多いような……頑張れよ嬢ちゃん、ちっちゃいのにスゴいぞ、うちの娘の友達になってくれ、飴ちゃんあげる……。
ええと、距離が近いといっても、これは近すぎるような。
気にしたら負けです。負けですとも。
この罰ゲーム、早く終わってくれないかな……。