04 フィリア、暴走する
「馬鹿者っ!」
クラヴィス様が咄嗟に何かの精霊術を発動しました。
やばっ! ぼんやりしている場合じゃ!
勢いに乗ってさらに迸ろうとする祝福は慌てて止めたものの、もう出てしまったものは止めようがなく。
やっちゃった……
マーテル様のふくよかな胸から少しだけ顔を浮かし、私は恐るおそる振り返りました。
見える範囲でも片手ではきかない数の光り輝く祝福が、牡丹雪のようにゆっくりと舞い落ちています。
…………せっかく抑えられるように練習してきたのに。
祝福を暴走させるなんて、もう何ヶ月もしなかったのに。
なんで? どうして?
よりによってこんなに大勢の前で見せてしまうなんて。
よりによって今日、お披露目の直前のこのタイミングで。
見習いデビュー、延期、でしょうか…………。
全身から血の気がさああっと引いて、目の奥にじわっと痛みが広がっていきます。
体が勝手に細かく震え出し、未だマーテル様に抱き締められていなければ地面に崩れ落ちていたかもしれません。
…………?
と、呆然と固まっていた私の目の前の地面に、唐突に小ぶりの霊力陣が浮かび上がりました。
純白の光で描かれた複雑な模様。巫女術で教わった、精霊の祝福を呼ぶ儀式で使う霊力陣にそっくりなもの。
え?
だけど、どこか変?
普通の霊力陣なら精霊たちが大喜びで集まってきますし、私もなんだかそこに加わりたくなるぐらいなのに。
この霊力陣は虚ろというか、見た目はそっくりなんですけど、それだけというか。
「この馬鹿者! こんなところで練習するんじゃない!」
クラヴィス様が突然、不自然なくらいに大きな声で私を叱りつけました。
ふえ? 練習?
「まあまあフィリア、あなたが祝福の儀式をきちんと出来ることは判りましたから、後はこの後の本番に取っておきなさいな」
マーテル様も普段より少し大きな声で、取ってつけたように相槌を打っています。
…………あ、そういうことか。
鈍い私の頭にもようやく分かってきました。
きっと、クラヴィス様がさっき使った精霊術は地面にそれっぽい霊力陣を描くだけのもので、私の祝福はそこから出てきたと。自分の身体から祝福を出したのではなく、練習で霊力陣を描いて精霊の祝福を呼んだと、そういう筋書きでしょうか。
少し強引ですが、私が精霊に頼らずに祝福を出せるということは充分に隠せそうです。
というかむしろ、あの一瞬でそこまで筋書きを考えて術を行使したクラヴィス様がすごいというか。
まやかしの霊力陣を描く精霊術なんて聞いたこともないですが、それを知っていて咄嗟に構築したのもさすがというか。
そしてそのクラヴィス様の意図を即座に理解して、即興でお芝居に協力するマーテル様もやっぱりというか。
そっと周囲を窺うと、私の秘密を知らない人たちは突然現れた祝福に目を丸くしていたようですが、地面に浮き出した霊力陣とクラヴィス様たちの咄嗟のお芝居に納得した様子で、馬車への分乗を再開したようです。
幸いほとんどの人が馬車に乗り込み終わっていて、さっきの光景が見える場所にいた人はほんの僅か。殿下の馬車もいつの間にか姿がありません。それでも幾人かは「ほう、巫女系のギフテッドか。珍しいな」などと話しながら、こちらを興味深そうに眺めています。
――ギフテッド。
世の中には、精霊と契約していなくても特定の霊力陣を描き、擬似精霊術を使えるギフテッドと呼ばれる子供たちがいます。私もそのギフテッドで、精霊契約前ながらも巫女系の精霊術を使える、と、そういう風に解釈してくれたのでしょうか。
ギフテッドなら珍しいながらもいない訳ではありません。
そもそもは火や水など特定の精霊との親和性が特に高く、契約をする前の幼少時から仮契約のような形で精霊に付き添われている子供たちのことで、このアルビオンにも数人はいると聞きます。そういった子供たちは将来の精霊契約を約束された存在として貴族に引き取られたり、多額の奨学金を贈られたりするそうです。
ただ、そんな子供たちでも、付き添われている精霊の属性――火や水といったもの――に関する簡単な精霊術を使えるだけで、祝福だとか巫女系の高位精霊術を使えるという話は聞いたことがないのですが……。
「フィリア、いくら其方が特殊なギフテッドだからと言って、精霊と契約するまでは負担が大きいと何度も説明したではないか」
クラヴィス様が、周囲に聞かせるような良く通る声で私を叱りつけました。
あ、やっぱりその路線なんですね。クラヴィス様のことですから、ひょっとしたら以前からこのカバーストーリーを考えていたのかもしれません。
少々特殊なギフテッドということで多少は注目されるかもしれませんが、それでも、精霊に頼らずに自ら祝福を出せる、ということが露見するよりは騒ぎが少ないのでしょう。
あ、でも、このお芝居に沿っていくとなると、今日のお披露目はなくならないということでしょうか。
本当に?
お披露目、中止じゃない?
ということは、このまま、巫女見習いとして祝福祭に行けるってことなの――
よかった…………。
俯いたままクラヴィス様に叱られ続ける私の頭を、とてつもなく大きな安堵が埋め尽くしました。
ああ、本当に救われた気分です。
謝って、叱られるのは後でたっぷりやります。今は私もお芝居に乗って、未だこちらに意識を残している人たちに向けて少しでもお芝居を完成させておかなければ。
「す、す、すみまませ、きき緊張してれれれ練習、してしままま……」
あ、あれ?
ろくに口が動きません。そういえば体もガクガク震えたままです。
「……まったくこの阿呆娘は」
クラヴィス様がボソリと呟き、私をマーテル様から引きはがしてさらりと抱え上げました。
お、お姫様だっこ!?
「時間も迫ってきました。マーテル様、私たちもそろそろ馬車に乗りましょうか。フィリアも疲れてしまったようだ」
やや大きすぎる声で話しながら足早に馬車に向かうクラヴィス様。
声の平坦さとは裏腹に、私を見下ろすグレイの瞳には極寒の怒りが吹き荒れています。
「ク、クラ、クラヴィス様、ごめ、ごめなさ……」
小声でなんとか気持ちを伝えようとしましたが、体の震えともどかしさで言葉になりません。
申し訳なくて、情けなくて。
あまりのもどかしさにまた目の奥がじいんとし始めて――
「……よい。謝るな。ここまでは想定内、むしろ良いパフォーマンスになった。そもそも其方がその年でその特別な力をそこまで制御できるようになったことが僥倖なのだ。こちらの都合で儀式参加を急がせている部分もある。無理はしないで今は力を抜いて、その震えを止めることに集中しろ」
みっともなく震える私の体を支えるクラヴィス様の腕から、いつもの静かな暖かさがすうっと流れてきます。
「クラヴィス様……」
縋るように視線を上げると本人にはついと顔を逸らされましたが、代わりにすぐ隣を歩いていたマーテル様と目が合いました。
「大丈夫よフィリア。私たちは貴女の味方で、貴女を守ると決めているの。今も上手に誤魔化せたでしょう? 私もまだ捨てたものではないわね、ふふ」
そう微笑むマーテル様の目は、慈愛に満ち溢れていて。
ああ。もう。
なんて暖かくて頼りになる人たちなんでしょうか。
私、泣きそうです。