31 歴史の一頁
「ほう、その時既に、光の大精霊アウローラと自ら名乗った、と」
護身剣の受け渡しから始まった大騒ぎもなんとか落ち着き、ここは新たに建てられたマーテル様の天幕の中。
私はクラヴィス様とマーテル様に詳しい事情を対面で聞かれています。
「大精霊……しかも、光、なんて」
テーブルに置かれたデアステラの鉢植えをじいっと見詰めたまま、マーテル様が深々とため息を吐きました。
デアステラの花は先ほどからずっとマーテル様の若々しい顔を静かに照らすのみで、何の変化もありません。
「……ねえフィリア、デアステラが女神の滴と呼ばれている、というのは覚えている?」
マーテル様がしばらくぶりに鉢植えから目を離し、にこりと私に微笑みかけました。
「ラエティティア様の絵を描く時には必ず一緒に描かれるデアステラ。それにはこんなわけがあるの――」
そう前置きをして、マーテル様はある一つの言い伝えを語ってくれました。
遥か遥か昔、きっかけはもう判らなくなってしまっているけれど、この世から精霊たちがいなくなってしまったことがあって。
大地は荒れ果て、空は乾き、世界が枯れてしまいそうになったそうです。
ラエティティア様はそれを嘆き悲しみ、流れた涙が大地に零れ落ちました。するとそれが光を放ち、一株の美しい花になったのです。
――それがデアステラ。
そして、そのデアステラの花から再び精霊が生まれたそうなのです。そして世界は徐々にかつての潤いを取り戻し、今に至ると。
精霊はこの世界を支える存在。
精霊を再び生み出してくれたラエティティア様への感謝と、その精霊が常に世界に満ちているようにとの願いを込め、ラエティティア様の絵には必ずたくさんのデアステラが描かれるようになったそうなのです。
「……ということで、デアステラと精霊は切っても切れない深い縁があるの。だからフィリアの話にとても納得ができるわ。ただ――」
「――大精霊、しかも光というところが、我々の戸惑っている部分なのだ」
言いづらそうに口ごもったマーテル様の後を、クラヴィス様が淡々と引き取りました。
なんでも、今の神殿関係者の中では、大精霊と呼ばれる存在は四柱だけというのが定説だそうです。
ここアルビオンの守護龍アルゲオウェントス、中央神殿のある霊峰テペで微睡む黒龍テラ=メエリタ、そして永らく行方知れずの紅龍と蒼龍。それぞれ主要属性の風土火水を司る存在だとか。
ほへえ、アルゲオウェントスは風の大精霊だったんですか。知らなかったです……。
「その辺りは精霊院に行けば嫌でも学ぶことになるが、問題はそこではない。先程の存在が、これまで不在とされていた光の大精霊を名乗ったことなのだ」
「そうなの。光を統べ、闇との調和を図るもの……確かそう仰っていたと思うのだけれど」
「ええとでも、光の精霊はいますよね? マーテル様もクラヴィス様も契約してますし」
「うむ、風土火水の主要四属性に比べれば少ないが、確かに光の精霊は存在する。それを考えれば大精霊が存在してもおかしくはないのだが――」
「あれ、クラヴィス様? そういえば闇の精霊と契約してる人っているんですか? 私、見たことないかも」
「……それは今の話と何か関係があるのか? まあよい、闇の精霊は光よりもっと少ない。表向きは契約した者はいないとされているが――」
私の素朴な疑問に、氷の視線になりつつ答えてくれるクラヴィス様。
そして続いて教えてくれた内容に、こんなこと聞かなきゃよかったと心から思いました。
「――中央神殿の中枢には幾人かいるようだな。この先で鉢合わせるかもしれぬ、コリント卿の懐刀のニゲルがそれだ。闇神官と噂されている」
そこで一旦言葉を切ったクラヴィス様は、眉間の皺をさらに深くしてゆっくりと口を開きました。
「……闇の精霊術は危険なものが多い。ラエティティア様の奇跡を体現する巫女とは対極の存在だ。特に其方とは水と油と言っていいだろう。マーテル様がここまで急いで合流してくれたのもそこを危惧してのことだ。――其方、この先、くれぐれも独りで我々から離れるな」
深い懸案がそのまま口調に出たかのような、重々しい声。
これは……本当に危ないのかも。
コリント卿に会った時の、周囲の精霊たちが怯えた様子がふいに頭に浮かびました。肩の精霊を縛っていた真っ黒な鎖のようなもの、あれはひょっとして闇の精霊術のひとつだったりするのでしょうか。精霊の力を強引に吸い取り、隷属させるような――。
背筋に広がる冷やりとした悪寒。
私はクラヴィス様の目を見ながら、急き立てられるような想いでそれを説明しました。
「……何ということだ。そこまで危険な術は聞いたことがないが、辻褄は合う。まず、コリント卿の精霊術は異常なほど強力だ。そして、それを武器に中央神殿で頭角を現してきた訳だが――その時期と、ニゲルが卿の周囲に出没し始めた時期が同じかどうかは分からぬ。だが――」
「フィリア、このことは絶対にもう口にしないで」
マーテル様が唐突に私の手を取りました。
両手で痛いぐらいに握りしめ、その海のような蒼い瞳に浮かんでいるのは――憂慮と、そして怒り?
「もし精霊を害するその忌まわしい術が真実だとすると、大陸全土を揺るがしかねない特級の禁術だわ。貴女がそれに気付いているのが向こうに知れたら……。フィリア、このことは今後私とクラヴィスで慎重に探っていくわ。だから貴女はこれ以上一切口に――いえ、考えもしちゃ駄目よ、分かった?」
静かな、でも決然としたその口調に押され、私はこくりと頷きました。
精霊をあんな風にわざと術で縛っていたのだと考えると、私だって怒りが沸々と湧いてきます。でも――この二人なら、任せてもいい。
私はどうやって動けばいいかすら分からないですが、この二人ならきっと大丈夫だから。
「……という状況だから、先ほど顕現した、光の大精霊の存在が重要なのだ。光を統べ、闇との調和を図るもの、だったか。闇の精霊術に対する強力な切り札となってくれるやもしれぬ」
クラヴィス様が、ほんのり光を放つデアステラに視線を移しました。
「其方、もう一度呼ぶことは可能か――」
「駄目よクラヴィス! そんな畏れ多いこと、軽々しくしてはいけないわ!」
あ、ええっと。
たしか消え際に「またいつでもお呼びください」と言い残していったんですよね。
私のことを母親扱いするのはさて置いて、呼んじゃっても怒りはしないと思うんですが。
でもこんな話をしても自分から出てこないってことは、あんまり姿を出したくないのでしょうか。
何となくまだ力が足りてないような感じもありましたし。
「――いい、クラヴィス? 相手は大精霊様なのよ? 貴方は昔からそうやって目的や研究の為には周囲への敬意というものを蔑ろにする傾向があったけれど今のは流石に度を越えて――」
ありゃ?
クラヴィス様、叱られてます。
珍しい光景ですけど、私、中に入った方がいいんでしょうか?
「申し訳ありませんでしたマーテル様。配慮が足りぬ物言い、以後気をつけます」
が、私の心配をよそにクラヴィス様がすんなりお叱りをいなしてしまいました。
……もしかして、慣れてる?
「ではフィリア、光の大精霊アウローラ様はルカに何をした? 召喚した其方なら分かるであろう?」
うわ、あからさまな話題チェンジです。しかもなぜか、矛先はしれっと私になってますし!
「ああ、それは私も興味があるわ。そもそもあんな古い言葉、よく知っていたわね。あれは、騎士に剣を捧げられた姫君が相手に返す言葉、だったかしら?」
「え、あ、あれは……ありがとうって思ったら、何となく言葉が浮かんで?」
んん?
ええとたしか、「我が護りの剣に祝福を、そして、その誠心に光の加護あらんことを」とかなんとかだっけ?
ラエティティア様の腕輪がこの言葉を使えって伝えてきたような気がしていたけど――
姫君が剣を捧げた騎士にって――
ひょっとしたらこれ、昔読んだ恋物語に出てくる、守護騎士の誓約に返す言葉だったのかも。
うわあ……。
私それ、現実で言っちゃったよ。
しかもあの真剣な場面で、さらに真顔で。
ヤバいです。
ものすっごく恥ずかしい……。
「――では、其方にも光の加護の具体的な効果は分からないんだな?」
クラヴィス様が面白そうな表情で、顔から火が出そうな私を眺めています。
だけど私、新たな黒歴史の一頁を開いたところですそれどころじゃないです。
「まあよい。だが、名前どおりの加護だとすると、闇の精霊術に対する抑止力はありそうだ。マーテル様、ルカをすぐ帰さずにしばらくフィリアの周囲に置いても?」
「そうね、竜に乗って出発する前に、帰りはどうなるか判らないとは伝えてあるわ。竜に乗せて送り返す余裕がなければ、そのまま同行して村を巡って帰るかもと」
「ならば今回の村巡りの間、フィリアの護衛兼側仕えとなってもらいましょう。給金も神殿予算から出せます。いや、側仕えの仕事は形だけでいい。本人の希望があればエンゾに剣の鍛錬を付けさせても良いが、基本的にはフィリアの傍にいてもらうことが仕事です。いかがでしょう?」
「そうね、良いアイデアだわ。私から本人に打診してみましょう。……うふふ、きっと嫌とは言わないと思うわ」
え、え、え? ちょっとそんな!
それはさすがに止めておきましょうよ!?
確かにルカ君は殿下みたいにイケメンじゃないから、顔立ちだけ見たらじゃがいもみたいだから私の祝福が暴走することはないですけれど!
でも近くにいるとなぜかほっとするタイプの男の子で、あんな風に護身剣をもらってすっごく嬉しかったですけれど!
それにほら、ルカ君みたいな人が私なんかの側仕えとか畏れ多いですし!
それに、その、あんなセリフを言ってしまった後でどうやって顔を合わせればいいのか…………
ええええー。
やーめーてーっ!




