29 彼方の雷鳴
「何だ今の光は!? どうした、何があった!」
「巫女殿!」
「フィリアちゃん! ルシオラ先輩!」
天幕の外でクラヴィス様たちが騒いでいます。
わわわ、やばいですっ。
私は弾かれたように立ち上がり、反射的にイネス姉さまに視線で助けを求めました。
「だ、大丈夫です! フィリアが、その……」
「すすすすみません! あの、ちょっと加減を間違えただけでっ!」
最後の特大の祝福が舞い降りる中、外のクラヴィス様たちにイネス姉さまと慌てて無事を伝えます。
天幕の中の金色の光はもうあらかた消え、先ほどの光の氾濫は収束しつつありまして、ただ、私の腕の中の鉢植えには――あれ?
鉢植えにさっきの幻想的な喋る小鳥の姿はなく、いつもどおりのデアステラの花が柔らかく光を放っています。
いや、ひと回り大きくなって、また更に光が強くなってる? それでも私を母上と呼ぶ小鳥なんかではなく――ええと私、幻覚でも見た!?
…………くすくす。
風もないのにデアステラの花が、ふるん、と揺れました。
この声、やっぱりこのデアステラが、さっきの?
「……お騒がせした。問題ない、ほら」
視線を上げると、ルシオラさんが天幕の入口を開いたところでした。外の男性陣に中を覗かせ、何も異常はないことを説明しています。
「フィリア、暴走したのか」
少し肌寒い夜風と共に流れ込む、クラヴィス様の氷点下ヴォイス。
ひえええ!
「……クラヴィス様、私達が無理をさせた。フィリアは悪くない」
「そうです、ちょっと多めの祝福をお願いしてしまったのです。お騒がせしてすみません」
わわ、ルシオラさん! イネス姉さまも!
か、庇ってくれるんですね。ありがとうございます!
「ほう……以後、気をつけろ。――フィリア、体調は悪くなっていないか?」
「は、はい! ちょっとびっくりしただけです。すみませんでしたっ」
「今日は早めに休め。明日の出発は早いぞ」
「はい!」
ため息を吐きながらくるりと踵を返したクラヴィス様の後ろから、武器を手にしたエンゾさんとクヌートさんが顔を覗かせました。その隙間からは三頭の騎竜が中に入りたそうにこちらを窺っています。
「ルシオラ、護るべき巫女殿にあまり負担をかけるな」
「フィリアちゃん、何かあったら遠慮なく言ってね」
「グルル……」
エンゾさんたちはそんな言葉を残し、天幕の入口を閉じて立ち去っていきました。
お騒がせしてしまってすみません……。
それにしても、このデアステラです。
私の腕の中、今はすっかり普通の鉢植えに戻ってしまっています。輝きは少し強くなっていますが、可憐な花が鈴なりに連なり――あ、さっきの鳥さんのトサカ、この花びらにそっくりかも。確かアウローラ、光の大精霊って言ってましたっけ。そんな存在、初耳ですけども。
でも、普通の精霊なら会話なんてできないですから、やっぱり凄い存在なんでしょうか。たくさんの光をありがとう、なんて言ってたのは、この鉢植えは私の祝福を大量に浴びてきていますけど、そのことなのでしょうか。
あ。
私、結構な頻度でこの鉢植えに「おはよう」とか「おやすみなさい」とか話しかけちゃってましたけど、それ、しっかり聞かれてたってことですよね。
うわぁ、めちゃくちゃ恥ずかしい……。まさか意識を持っていたとは。覚えてないといいんですけど。
「フィリア、ごめんなさいね。私たちが催促しちゃってたから……」
視線を上げると、イネス姉さまがその整った眉を申し訳なさそうに寄せ、私の顔を覗きこんでいました。
普段は表情が分かり辛いルシオラさんも、今ははっきりと後悔の色を浮かべて私を見ています。
「ええ!? そんなこと全然ないですっ! 私が勝手に暴走しただけですって! こっちこそごめんなさい! ……あ、それよりコレ」
私は腕の中の鉢植えを持ち直し、イネス姉さまたちに良く見えるように少し持ち上げました。
あれ?
きょとんとして反応がない?
まさか、私しか見てなかったとか。
ええー、今の見た目はこれまでと一緒のデアステラの鉢植えだし、大精霊さん、もう一度出てきてくれないかな?
ちょっと鉢植えをゆすってみましたが、そんな気配は全くありません。
むう、さっきだけの特別だったのかな。
あ、またさっきみたいに暴走気味の光を浴びせたら出てきてくれるかも――。
いやいや、今やったら絶対にクラヴィス様にこっぴどく叱られますよね……
「――フィリア?」
イネス姉さまたちが、鉢植えを持ち上げてゆさゆさとゆする私を不思議そうに見ています。
はあ、仕方ないですね。今は私の中だけに納めておきましょう。
…………揺れるデアステラの鈴なりの花から、シャラシャラと軽やかな音が聞こえた気がしました。
それはさっきの光の大精霊の声に少しだけ似ていて、私の選択を肯定しているような――
ううーん、考え過ぎですよね。
◆ ◆ ◆
翌朝、早く目が覚めてしまった私は、小川で顔を洗ってから天幕の脇でうずくまる騎竜たちのところへと足を運びました。
結局あれからデアステラの花がどうにかなることはなく、今朝も静かに柔らかい光を放って佇んでいるままです。おはよう、と小声で挨拶はしてみましたが。
「グルルル……」
早朝の爽やかな空気の中、クヌートさんの騎竜、地竜のティト君が甘えた声を出してすり寄ってきました。
もうすっかりこの三頭とは仲良しです。三頭にはそれぞれ性格があって、ティト君が甘えん坊、風竜のイリーナちゃんはすこし照れ屋で、エンゾさんの騎竜、火竜のヴィゴ君はやんちゃな男の子って感じです。
もちろんみんな私の倍以上も大きいのですけれど、こうしていると可愛い子犬みたい。犬のように尻尾を振ることはないですが――もしそれをされたら後ろが大惨事です――、魔物と戦う時の猛々しさが信じられないほど、人懐っこくてまっすぐな親愛を私に向けてくれるのです。
「みんなおはよー。番をしてくれてありがとね」
この宿営地はしっかりとした魔物避けの術が幾重にも掛けられていますが、それでも外に竜たちがいるだけで安心感が違うのです。
と、ヴィゴ君がぐいと身を屈め、私の手首、ラエティティア様の腕輪がある辺りを真紅の鱗に覆われた鼻先でつついてきました。
大丈夫、ちゃんと付けてるよ――この子、いつもこうして私の腕輪に触れたがるのです。竜の感覚は鋭敏ですし、何か感じ取っているのでしょうか。
「おはよ、フィリアちゃん。早いね。良く寝れた?」
「おはよう巫女殿。良いハルノツカイが採れた。すぐ朝餉の支度を整えよう」
私が竜たちと戯れていると、クヌートさんとエンゾさんが奥の木立から出てきました。
私が一番早起きかと思ったら違うんですね。二人は朝食の食材を採りに行っていたのでしょうか、クヌートさんの手には朝露に濡れた春の野草がたくさん載せられています。
「さ、今朝は新鮮素材の特製スープだよ。フィリアちゃんはそろそろ皆を起こしてきて貰ってもいい?」
「うわ、楽しみっ! みんなに声かけてきますね!」
うんうん、これが野営の醍醐味ですよね。
騎士の人たちは野営も手慣れているようで、流れるように物事が進んで行きます。すごい。
周囲では鳥たちがさえずり、エンゾさんは何も言わずに燻っている焚き火を熾しています。あ、火の精霊術使った!
私といると精霊術の力が倍増するはずなのですが、それを見越した見事な制御です。綺麗に炎が立ち上がって――うふふ、エンゾさん、さり気なく満足そう。さすが隊長格ですね、術の適応が早いです。
おっと、人のことばかり見ていないで、私もみんなを起こしてこなきゃ!
「うむ、やはり魔物が妙に活発になっているか」
「そのとおりだクラヴィス殿。さっき軽く巡回をしただけで、この辺りにはいる筈のない魔物を幾つか見かけた。カーニャ村には普通なら午後の半ばには着けるが、あまりのんびりはしていたくない」
焚き火を囲んで朝食をいただきながら、クラヴィス様とエンゾさんが難しい顔で打ち合わせをしています。竜たちは自分で森に食事を取りに行き、クヌートさんは寝ぼけ眼のルシオラさんを集中させようとこっそりつついているようです。
私は話し合いに半分だけ意識を割きつつ、クヌートさんが作ってくれた特製スープに集中していて――だって、すっごく美味しいんですよコレ!
「フィリア、魔物が出たら今日は全て其方が加護をかけろ。戦闘は手早く終わらせたい。イネスはフィリアの様子を見つつ補佐を」
「はい、クラヴィス様」
真面目な顔で頷くイネス姉さまと私。
危なかったです。いきなりこっちの話になるとは。
「フィリア、今日の鍛錬は念のために休んで万が一の加護に備え――」
クラヴィス様の言葉を遮るように、ふわり、と翼の生えた書簡が舞い降りてきました。
無形術のひとつ、手紙を飛ばす術です。
この旅の中で何度も見かけた光景です。この翼の輝きは、マーテル様からでしょうか。
話を中断し、眉間に皺を寄せながら封を開けるクラヴィス様。
「――予定が変わった。今日はここで一日待機する」
書簡を読み終わったクラヴィス様が、苦虫を噛み潰したような顔でその書簡を焚き火に投げ入れました。
「例のコリント卿が中央神殿へ帰還中に行方をくらませたらしい。今年のアルビオンの豊穣祈祷の異常さに勘付いたようだな。今、マーテル様たちがここに向かっている。今日の午後には合流できるそうだ。フィリアを含む我々は、念のため以後マーテル様と行動を共にすることになった」
うわ、コリント卿て、あの嫌な感じのする中央のイケメン風エロエロ魔人ですか?
イネス姉さまをイヤらしい目で眺めるだけでなく、あの人、精霊を妙に怖がらせてたんですよね。肩の契約精霊も鎖のようなもので縛り付けてましたし、なんか元気なくって――私としては色んな意味で近寄りたくない人です。
そのコリント卿の名前を聞き、エンゾさんクヌートさんはもちろん、眠そうだったルシオラさんまでもが急に顔に警戒の色を滲ませています。
元々マーテル様たちとはそろそろ合流する予定でしたけど、そこまで合流を急ぐとは、よっぽど危険な人なのでしょうか。
「そうだフィリア、今日はここから動かないから其方の加護は必要ない。一日みっちり鍛錬をするぞ」
えええっ!?
まさかのとばっちりが!
さっき鍛錬はお休みって言いかけてましたよね!?
もう、エロエロ魔人のばかばか!
大迷惑だよ、絶っ対に許すまじっっ!




