24 出発
「フィリアおねえちゃん、早く帰って来てね!」
「おみやげ忘れちゃダメだからね!」
夕方、神殿前の馬車寄せで、私は見送りに来てくれた孤児院の子供たちに囲まれていました。
裏表のない子供たちの瞳が夕日を浴びて輝いています。
そのあまりの純粋さに萌え悶えていた私の中に、思わず潮のような祝福がぶわりと……ひゃあ危ない。
動揺を必死に隠しながら視線を上げると、そんなみんなの後ろから私を見詰める最年長巫女のクロエ姉さまとエマ姉さま、ヴァレリ姉さまと目が合いました。みんな総出で見送りに来てくれているのです。
「フィリア、無理しちゃ駄目だからね? ちゃんとイネス姉さんを頼るんだよ」
「ああもう、皆さんに迷惑をかけないようにするんですよ? それと、移動中は馬車の中で行儀よく座って、綺麗な蝶々がいても一人で追いかけたりとか――それと――――」
みんな私を心配して、口々に声を掛けてくれます。
エマ姉さまの発言にはちょっと異議を申し立てたいところですが、その切れ間のない言葉と一緒に、旅の馬車ごと包み込むような大きな暖かさを流してくれています。
ああ、私ったら本当に幸せ者ですね。
「フィリア!」
え、この声は……オルニット殿下?
神殿の門に目を遣ると、殿下とお付の護衛騎士さん、少し遅れて側仕え見習いの少年破壊兵器テトラ様が、夕陽の中を真っ直ぐこちらに走ってきていました。
「フィリア、良かった間に合った。私も後ですぐに合流するからな、寂しくなんてないぞ!」
「ひゃっ」
流れるように人の輪をすり抜け、少しだけ息を切らして私の手を取るオルニット殿下。
キラキラのイケメンオーラをこれでもかとまき散らし、その後ろからは走ったせいか頬を真っ赤に染めた天使の美少年テトラ様が。
きゃあああ、これ危険なパターンかもっ。
意外と力強い殿下の手の感触に頬が熱くなるのを自覚しつつ視線を下げ、身体の中で狂喜乱舞するような祝福の大波と戦っていきます。
「おばあ様が許可してくれたのだ。すぐに合流して私も王族として一緒に務めを果たすぞ、楽しみだな!」
うぐぐ……ぐぬぬ……。
「テトラも行くんだよ、一緒だね!」
いやあああ。
そんな天使のようなつぶらな瞳で、下からこてんと上目遣いしないでえええ。
「ほらほら、そろそろ出発させてあげないと日没までにフーフェンに着けないわよ」
馬車の傍らでイネス姉さまと話をしていたマーテル様が、皆に声をかけながら歩いてきました。
おふう。
祝福、なんとか散らせました……。
ラエティティア様の腕輪に感謝です……。
「いろいろがうまく片付けば、オルニットと一緒に途中で合流しますからね」
マーテル様がさりげなく殿下の手を外し、そして旅支度の私をふわりと抱き締めました。
「貴女もオルニットも初めての領地巡りね。フィリアはクラヴィスとイネスの言うことをよく聞いて、頑張り過ぎないようにすればいいから」
「うむ、移動の馬車の中はちょうど良い研きゅ……鍛錬の時間となる。それ以外、其方は大人しくしていればよい」
クラヴィス様がマーテル様の脇から釘を刺してきますが、今、研究って言いかけましたよね?
わざとまた掌を切ったりとか、絶対イヤですよ?
「では巫女殿、そろそろ馬車へ」
皆の背後から、完全武装に身を固めた神殿騎士のエンゾさんが声を掛けてきました。
鈍色の胸当てと兜が夕日に輝いて、午前中より更に精悍に見えます。後ろにはクヌートさんとルシオラさんという、やはり完全武装の神殿騎士を二人引き連れていて、その三人でマーテル様にビシッと騎士礼を施しました。
クヌートさんはチョコレート色の髪の若い青年騎士さんで、ルシオラさんは綺麗な銀髪の凛々しい女性騎士さんです。エンゾさんは今回の護衛の隊長格なんですね。三人の先頭に立ち、深く渋みのある声でマーテル様に暇を告げました。
「行って参ります、巫女長様。我らが契約精霊に賭け、巫女殿たちを必ず護ります。どうぞご安心くださいますよう」
「エンゾ、クヌート、ルシオラ、よろしく頼みましたよ。カーニャ村の辺りで合流できると思います。気を付けて」
「はっ」
騎士三人が一斉に踵を打ちつけ、右手を素早く胸に当てました。
一糸乱れぬ動作と伸びた背筋、凛とした声。うわあ、カッコイイです。
私も見送りの皆さんにお辞儀をしつつ、クラヴィス様に続いてイネス姉さまが待つ馬車に乗り込みました。
さあ、いよいよ出発です!
私、頑張ってきますからね!
◆ ◆ ◆
「フィリアちゃんは地竜が怖くないの?」
王都を出てしばらく、今は疎らな木立の中。
地面の雪はさすがになくなっていて、午後の木漏れ日が優しく地面を染めています。まだ木々の新芽は出てないですけれど、地面を覆う枯草の隙間からちょこちょこと可愛い草が顔を覗かせ始めていまして、これが外の世界の春なんだなあと嬉しくなってしまいます。
見る物全てが珍しくワクワクが止まらない私は、渋るクラヴィス様に延々とお願いを続け、こうして馬車の馭者席にお邪魔させてもらっているのです。最後はため息と共に許してくれたクラヴィス様、ふふふ、これが粘り勝ちってやつですね。
馬車を曳いているのは神殿騎士のクヌートさんの騎竜、地竜のティト君です。
街中とかでは馬車は馬に引いてもらうのが普通なのですが、魔物が出没する街の外ではこうして地竜に引いてもらうことも多いのだとか。全然知らなかったです。
出発してすぐに街外れの神殿騎士団の竜舎で護衛騎士三人の騎竜と合流し、そのなかで地竜はクヌートさんのティト君だけということもあって、そこからはずっとこうして私たちの馬車を曳いてくれています。
ずんぐりと小山のような体躯に鎧のような鱗をびっしり纏ったティト君ですけれど、馭者席のクヌート君の言葉に嬉しそうに従っています。頭いいんですね。
なにより、ぱっちりとした目が可愛くって、時折振り返っては私とクヌートさんに甘えるようにグルグルと喉を鳴らしたりするんです。
「怖いなんて、そんなことないですっ。あの、頑張ってくれるお礼に、後でティト君を撫でてあげてもいいですか?」
私がクヌートさんにそう答えると、クヌートさんは嬉しそうな笑い声を上げました。
少数精鋭を誇るアルビオン王国神殿騎士団の中で、史上最年少の十七歳で正規の騎士になったというクヌートさん。癖が強いチョコレート色の髪をくしゃくしゃとかき混ぜ、そばかすが残る顔であっけらかんと私に笑いかけてきます。
「あははっ、そりゃいいや。ティトも喜ぶよ。たいていの女の子は地竜を怖がるんだけど、フィリアちゃんはそうじゃないんだね。ティトもびっくりするぐらいフィリアちゃんのこと気に入ってるみたいだし、ぜひ撫でてあげて」
「やった! ありがとうございます!」
私が歓声を上げると、ティト君も振り返って一緒にググゥと鳴き声を上げてくれました。
ヤバいです。竜ってこんなに可愛い生き物だったとは。
ちょっと祝福が飛び出しそうになりましたが、馬車の中でイネス姉さまと打ち合わせを続けるクラヴィス様のしかめ面が思い浮かび、なんとかラエティティア様の腕輪に押し込むことに成功しました。
ちなみに、護衛の騎士さんの残り二人、隊長格のエンゾさんの騎竜は首に大きな傷跡のある厳めしい火竜、無口な女性騎士のルシオラさんの騎竜はしなやかな体躯の美しい風竜です。
どちらも飛行主体の竜種ですが、今は主を乗せて馬車の周囲を威厳たっぷりに歩き、主従一体となって魔物を警戒してくれています。
さっきの私の歓声とティト君の鳴き声にルシオラさんの風竜――女の子で、イリーナちゃんという名だそうです――がピクリと反応し、それからなんだか興味あり気にこちらをチラチラうかがっているようです。が、主のルシオラさんが全く反応を示さず、無表情のまま騎竜ごと馬車の後方へと下がっていってしまいました。
うーん残念。
ルシオラさんは神殿でも目立っていたカッコイイ女騎士さんですし、イリーナちゃんも鱗が深い緑色に輝いていてすごく綺麗です。どちらともぜひお近づきになりたいのですが、まあまだ時間もあるし、これからに期待ですね。
「フィリアちゃんは本当に変わってるなあ。王都の外に出るのも初めてなんだよね。じゃあほら、あそこにあるの知ってる――」
楽しげに話していたクヌートさんがハッと前を向き、急に言葉を切りました。
ティト君が歩みを止め、前方を見詰めてなんだか迫力のある低い唸りを漏らし始めたからです。
「フィリアちゃん、ちょっと馬車の中に入ってて」
「どうした?」
「何かありました?」
馬車が止まったからか、中からクラヴィス様とイネス姉さまが顔を出しました。
「悪しきモノがこちらに向かってきます。巫女殿たちはひとまず中へ」
先頭を進んでいたエンゾさんが厳しい表情で戻ってきました。火竜さんもなんだか迫力が二割増しぐらいになっているように感じます。
「エンゾ、私も出よう。精霊術で援護する」
「かたじけない、クラヴィス殿。我らだけで充分かとは思うが、万が一の際は頼らせて頂く」
ひらりと馬車から飛び降りたクラヴィス様に、エンゾさんが小さな会釈を送りました。
「皆様、念のため巫女の加護を贈ります」
イネス姉さまも決然と口を開き、馭者席に出てきて霊力陣を描き始めました。
はわわ、ま、魔物が来るということでしょうか。
話には聞いていました。でも、皆さん緊張の中にも手慣れた感じがありまして、冷静に対処を始めているようです。すごい。
あ、イネス姉さまのこれ、知ってます。
巫女専用の精霊術で、巫女の加護を贈られた人は身体が軽くなって怪我もしにくくなるとか。
――つまり、みなさん本格的に戦いの準備をしているということで。
だ、大丈夫だよね?
神殿騎士は精鋭だっていうし、みんな怪我なんてしないよね?
イネス姉さまがそのまま手早く霊力陣を描きあげて活性化させると、私の周りの精霊たちがこぞって飛び込んでその身に白い輝きをまとい、それぞれの武器を手にしたエンゾさんたちに光の雨を浴びせ始めました。
「うわあ何だこれ! 体、軽っ!」
「…………イネス、いつの間にこんな強力な加護を?」
光の雨の中でクヌートさんが目を丸くし、後方からイリーナちゃんを走らせてきたルシオラさんが、言葉少なに呆然とイネス姉さまを見詰めています。
あわわ、これってもしかしなくても、私がいると精霊術の威力が高まるってやつでしょうか。
非常事態っぽいですし、それで皆さんが怪我をする危険が減るのは大歓迎なのですが……。
ちらりとクラヴィス様に視線を向けると、気にするな、とばかりに顎をしゃくられてしまいました。
「お前たち、お喋りは後だ。集中しろ」
「そうだった、すみません!」
「……イネス、後で聞かせろ」
エンゾさんの短い叱咤に、クヌートさんたちにも緊迫感が戻りました。
ルシオラさんを乗せたイリーナちゃんがふわりと舞い上がって馬車の真上に位置取り、火竜に騎乗したままのエンゾさんが最前列に進んでいきます。馬車に繋がれた地竜ティト君の脇では、無骨な槍を掲げたクヌートさんが、万が一の場合に馬車を引いて逃げるようにと噛んで含めるように言い聞かせています。
「さあ、来るぞ」
馬車の脇でいつの間にか剣を手にしていたクラヴィス様が、誰にともなく呟きました。
その視線は木立の奥を睨んでいます。
私はイネス姉さまをさり気なく馭者席の後ろに押しやりました。
心臓がバクンバクンと飛び跳ね、怖くて手も震えていますが、隣のイネス姉さまの肩ががっくりと落ち、さっきの加護の術でかなり消耗しているのが丸わかりだったからです。
ほ、本当に大丈夫だよね?
誰も怪我しないよね?
皆さんと同じ木立の奥を見詰めながら、無意識のうちにゴクリと生唾を飲み込んでいました。
と、木立の奥の方で、精霊たちが一斉に空に舞い上がりました。
精霊たちが避けるほどの何か、ということなのでしょうか……。
複数の何かがこちらに向かう物音が耳に飛び込んできます。
こちらにどんどん接近してきているようです。
私が息を止めたまま身体を硬直させていると。
ついに薮を掻き分け、私たちの視界に転がるように走り出てきたのは――
人?




