22 女神のしずく
前半一ヵ所、軽い出血表現があります。苦手な方はご注意ください。
イネス姉さまに付き添われ、昼食後、豊穣祈祷の村巡りの支度を済ませてクラヴィス様の部屋を訪れると。
そこには、午前中一緒に祝福行脚で動いていた二級神官のケールさんの姿がありました。たしか、私たちに同行するクラヴィス様の代わりに神殿に残るとかなんとか。
「遅いぞフィリア、其方はほとんど用意するものもあるまい。何をしていたのだ」
クラヴィス様が顔を見るなりお小言をこぼしてきましたが、豊穣祈祷の村巡りは一ヶ月近い長旅、乙女にはいろいろと用意するものがあるのです。
「では僕はこれで失礼しますね。お留守の間はなんとか神殿を回してみます」
むう、と口を尖らせた私と入れ替わるように、胃が痛そうなケールさんが退室していきます。
「うむ、よろしく頼む」
クラヴィス様は執務机の奥で軽く頷くと、扉が閉まるのを待って大きなため息をつきました。
「まずは座れ。さて、どこから始めるべきか」
「――ケールから聞いたが、職人街のライナーの病が癒えたそうだな?」
おおう、それからですか。
私は執務机の正面のソファでぴんと背筋を伸ばしました。
「えと、あれは私がと言うよりは、以前のクラヴィス様の術が元になってるってケールさんが」
「うむ、その可能性は高い。が、最近ヴァレリやマーテル様の側仕えのエマ殿がなにやら騒いでいるそうだな? それも考慮に入れると――」
クラヴィス様が唐突に机の上に霊力陣を顕現させ、肩の上の緑色の精霊に力を与えて小さなつむじ風を――きやああ、手が、クラヴィス様の手がざっくり切れて!
「えええ! ちょっとクラヴィス様っ! 突然何を」
「フィリア、ここに其方の祝福を注いでみてくれ」
無造作に、つい、と差し出されたクラヴィス様の掌は深々と切り裂かれ、真っ赤な血が今にも溢れようとしています。
ちょ、ちょっとクラヴィス様!
「フィリア急げ。机が汚れる」
「そ、そんなこと言われても! ええもう!」
慌てて身体の奥の泉を刺激し、そのまま祝福として目の前に差し出された手にドバドバと注ぎ込んでいきます。
「……ほう、痛みが強まる、か……そして、傷はさほど塞がらず、出血はやや増える、と」
「ちょっとクラヴィス様!」
「うむ、では」――瞬きする間に治癒の霊力陣を描き出し、見事な治癒術で掌の傷を塞ぎつつクラヴィス様は何食わぬ顔で言葉を続けました――「この状態でもう一度祝福を頼む」
「えええ、ちょっとクラヴィス様!? もう何が何だかさっぱりですけど……えい!」
「おお、なるほど。感謝する」
…………。
………………。
えええっ!
なんかものすごく満足そうな顔して塞がったばかりの傷跡をつついてますけど、今のを「感謝する」のひと言で終わりにしないでくださいよ!
「……ああ、今の臨床実験を説明すると、だ」
私のジト目に耐えられなくなったのか、クラヴィス様が解説を始めてくれました。
「其方の祝福には、おそらく代謝を活発にするような効果が含まれていると思われる。治癒術が傷を塞ぎ欠損を繋げる外科的治療とするならば、其方の祝福は、身体自身が持つ本来の治癒力を高める内科的治療の効果がありそうだ、ということだな。その証拠に――」
血を拭い取ったばかりの掌を、私の目の前でひらひらさせるクラヴィス様。
「まず、切創してすぐの祝福では、傷が癒えるどころか痛みが倍になった。これは、代謝が活発になるに伴って、痛みもより鮮烈に伝達されたということだろう」
ちょっとクラヴィス様、真面目な顔で何言ってるんですか。
すごく痛かったってことですよね?
「次に、治癒術を使った。この時点で痛みはかなり治まったが、治癒術には麻酔効果があるからそれは驚くには値しない。で、その後の祝福だが――」
クラヴィス様が、塞がったばかりの傷跡を指でごしごしと擦り始めました。
なんかもう、子供がかさぶたをほじって遊んでるようにしか見えません。この人は大丈夫なんでしょうか。
「うむ。やはり完全に癒えているな。普通はいくら治癒術を使ったとはいえ、奥まで完全に傷が癒えるのには時間がかかるのだ。疼きも残る。それが、こんなにも早く完治しているのだ。祝福祭の大騒ぎの時からもしやとは思っていたが、エマ殿とヴァレリの件も併せ、其方の祝福は実に研究のし甲斐がある。素晴らしいぞフィリア」
にっこりと輝くようなイケメンスマイルを浮かべるクラヴィス様。
でも、ええと、そんな褒められ方は何故かそれほど嬉しくないのは気のせいでしょうか……。
「――コホン。まあその、つまり、だ」
私の二度目となるジト目を受け、クラヴィス様は椅子に深く坐りなおしました。
「職人街のライナーの件を聞いた時はヒヤリとしたが、其方の祝福が目に見える形で即座に異変を起こす可能性は低いということだ。まあ、祝福祭の時のように大きく暴走するのは論外だが、私も同行するし、これなら豊穣祈祷の村巡り程度は問題ないだろう。其方も余計なことをしないよう気を付けておくのだぞ」
「はあい」
なんだか気の抜けた返事になってしまいましたが、仕方ないですよね。
まあ、暴走はしないように気を付けますけれど。
「それで、次だ。この鉢植えだが――」
と、部屋の扉にノックがあり、エマ姉さまとマーテル様が部屋に入ってきました。
「フィリア!」
昼餐会モードで着飾ったマーテル様とエマ姉さまが代わる代わるハグしてくれ、私は暖かさに包まれてほっこり気分でソファに座り直しました。エマ姉さまがお茶の支度で退出し、さっそく大人二人の間で昼餐会の様子が話し合われ始めます。
「コリント卿はさっそくオルニットの霊力測定を申し出てきたわ。最高峰の測定具を持参したから、一緒に上級貴族の子弟全員も測定しようと」
「厚かましいにも程がある申し出ですね。我がアルビオンが機密情報をそんなに簡単に渡すとでも?」
「うふふ、もちろんバッサリ断ったわよ。ただ、オルニットの測定だけは逃げられそうにないわ」
「そうですか。では、フィリアはイネスに付けて早々に豊穣祈祷の村巡りに出してしまおうと思います」
「あら、それは良い手ね。クラヴィス、貴方も行ける? 王族を待たずに早く王都から避難しておいて欲しいのだけれど」
「はい、準備は進めさせています。もうじき整うかと」
「分かったわ。エマが戻ったら精霊石を取りに行かせましょう。私もフィリアと一緒に豊穣祈祷に行きたかったけれど、途中から合流するわね」
ふええ……。
相変わらずこの二人の会話はぽんぽんと早いです。
なんか、あっという間にいろいろ決まっていくというか。
「ああ、それとコリント卿が神託の巫女姫という言葉を口にしたと聞きましたが、その辺りのことは何か?」
「特に何も。私から触れるようなこともしなかったけれど、霊峰テペの黒龍が何かしら反応を示したのかもしれないわね」
「それが一番ありそうですね。内容があまり漏れていないと良いのですが……」
ふえ?
このアルビオンの守護龍であるアルゲオウェントス以外に、他に黒龍なんてのもいるんだ。
ほへえ、知らなかったですー。
「そうそう、話は変わりますがマーテル様、この鉢植えを見ていただきたいのですが」
んん? クラヴィス様が手にしてるのって、私がご褒美でもらったマヤリスの鉢植え?
「――まあ! クラヴィス、これデアステラじゃないの!? これはどこでっ!」
「フィリアです」
「ちょっと良く見せて――まあ、やっぱりデアステラだわ。実在したのね! こんなものが見れるなんて、ラエティティア様のご加護かしら!」
「フィリアです」
ええと?
妙に私の名前が連呼されていますが、できれば、お仕事モードの二人の会話は脇で見ていたいというか。
そこはかとなくきな臭い流れですし?
「まあ、フィリア!?」
「……はい」
「貴女これはどうしたの? どうしてこんなものを?」
「ええと、今日頑張ったご褒美に、イネス姉さまたちにお花屋さんで? ……あの、でもそれって、マヤリス、ですよね?」
「違うわ! いい? マヤリスは花弁のここがこんなに開いていないわ。何より、普通の花が光ってるはずないじゃないの。これは、ラエティティア様の絵には必ず描かれる、デアステラ――女神の滴と呼ばれる奇跡の花よ」
……確かに、そう言われてみれば、少しだけ光ってますけれど。
……でもそれ多分、私の祝福の残滓というか。
「で、フィリア。其方、何をした?」
「ひゃ」
「フィリア、貴女、何かしたの?」
「ふぇ」
「「白状しろ(なさい)」」
…………。
私はビクビクしつつも全てを話しました。
これを買ってもらって本当に嬉しかったこと、嬉しさのあまり祝福が暴走しそうになったこと。
それはしっかり抑えたけれど、浮かれ心のままにマヤリスに祝福をお裾分けしたこと。
「……ううーん、花弁の形といい、これはどう見てもデアステラね。光は確かに弱いけれど、これ、もっと祝福を注げばもっと光るのではないかしら」
「うむ、ではこの鉢植えは豊穣祈祷に持参するのだ。聞けば今日、ライナーのところでも暴走間近だったらしいな? 出先でも毎日馬車の中で私が制御の指導をするから、漏れた祝福はこのデアステラに注げばいい。一石二鳥だ」
うう……結局鍛錬は続けなきゃいけないのか。
でもまあ、この可愛いお花を堂々と持って行けるし、よく分からないけれどそれでお花の為になるならいいのかな。
と、そこで扉にノックの音が。
エマ姉さまがお茶を淹れてきてくれたようです。
「ありがとうエマ。貴女もひと息入れて欲しいところだけれど、ちょっと急ぎでレグルスのところまで行って来てほしいの」
「陛下のところですか?」
お茶を給仕しながら、私に見せる貌とは全く違う、仕事の出来る側仕えといった態で僅かに首を傾げるエマ姉さま。
「そう、出来るだけ早くフィリアを豊穣祈祷に出立させてしまいたいの。王宮から戻ったばかりで悪いのだけれど、誰でもいいから神殿騎士を一人護衛に連れて、イネスの巡回ルートで必要な精霊石を貰ってきてちょうだい。レグルスには精霊術で伝言を飛ばしておくわ」
かしこまりました、そう頷きながらも、ちらっと心配そうに私を見るエマ姉さま。
暖かさがまた滔々と流れてきて、私はこっくりと頷き返しました。
ちょっと不安は不安だけど、神殿にいるより大丈夫みたいだから心配しないで――私の想いが伝わったのか、エマ姉さまも頷き返してくれ、再び退室していきました。
「さてフィリア、そろそろ他の面々も用意が済んでいる頃だろう。出発前に少し話をしたいから、準備が終わった者を食堂に集めておいてくれ」
クラヴィス様が立ち上がって、話は終わりとばかりに私に鉢植えを渡してきました。
なんか、本当にもう豊穣祈祷に出発するのですね。展開が早すぎて実感がまるでありません。
「のんびり進んでいけば途中で合流するわ。それまで無理しないように頑張るのよ?」
マーテル様が軽く肩を抱いてくれました。
ああ、私、すごく気遣ってもらってます。うん、頑張ろう。
そう、一人じゃないし、イネス姉さまもエンゾさんも、クラヴィス様も一緒。
あと護衛の騎士さんが二人、名前が出ていたクヌートさんは分からないけど、ルシオラさんてあのカッコイイ女騎士さんだよね?
そんな凄い人たちと、神殿の外に出るどころか、王都の外の村を旅してまわるんだよ?
どんな風になってるんだろう? 巫女の仕事が上手くできたらみんな喜んでくれるかな?
うーん、考えてみたらだんだんテンション上がってきましたっ。
よし、まずはイネス姉さまに準備が終わったか聞いてみよっと!




