17 祝福行脚
「ありゃありゃ、よく来てくださいました。ベルツは奥で寝とりますわ」
ラヴァル親方のお店のすぐ裏、教えられた古い家の戸を叩くと、腰の曲がったおばあさんが出迎えてくれました。
「こんにちは、おばあさん」
正規巫女のイネス姉さまが代表して綺麗なお辞儀をしています。
「来るのが遅くなってすみません。順番に回っているんですけれど、なにせ人が足りなくて……。ベルツさんに瘴気の症状は出てきていませんか?」
「ありゃあ、イネス様でねえか。ありがたいこって、こんなに有名な巫女様がわざわざ来てくださるなんて――ええ、ベルツは腰が悪いだけで余計な病なんて出てきちゃいませんよ。まあまあ、むさ苦しいところだけど、どうか中へ入ってくだされ」
しきりに恐縮するおばあさんに促され、イネス姉さまから順に年季の入った家に入って行きます。
神殿では祝福祭に来れなかった人にこうして順番に祝福を贈ってまわっているのですが、あれから約三週間、ようやく依頼をほぼ消化するところまで辿りついたそうです。
ただ、姉さまたちは休みなく手分けして動いているのですが、どうしても訪ねる時期に早い遅いが出てしまうのは致し方なく。
個人差はありますが、あまり待たせてしまうと大気中にうっすらと漂う瘴気に負けて色々な病が出てきてしまうので、イネス姉さまはおばあさんにまずそこを確認したのです。
まあ、ひと月を越えなければまず滅多に出てこないそうですし、初期症状程度であれば祝福を受ければきれいに消えるらしいのですが、ここのベルツさんはそうでなくてよかったです。
こちらが遅れたせいでよけいな苦しみを与えてしまったなんて申し訳ないですからね。
「おんやまあ、お嬢ちゃんはこないだお披露目されてた……ええと……フィリア様、でねえか。こんな小さいのに偉いねえ。どうかウチのを宜しくお願いしますよ」
「あ、いや、私はまだ見習いというか……」
「神官様も騎士様もほんに申し訳ないねえ。どうか宜しくお頼みしますよ」
そう言って、戸を押さえたまま深々と頭を下げるおばあさん。
あ、あの、えと……?
「まあまあ、頭を上げてください。こちらこそ遅くなってすみませんでした。待っている間、不安だったでしょう?」
おじさん神官のケールさんが、ハッとするほど真摯な口調でおばあさんに問いかけました。
「さあ、早くベルツさんに精霊の祝福を呼んであげましょう。本人が一番不安だったでしょうから」
おばあさんが感極まったような、何とも言えない顔でケールさんを見上げ、続いて私たち全員の顔を見て、家の奥に声を掛けました。
「――じいさんや、神殿の皆さんが来てくださったよ! 起きれるかい?」
私たちはおばあさんの案内で短く暗い廊下を抜け、奥の一間で寝ているベルツさんに対面しました。
「あ、ああ、来てくださったのか。お手数をかけてしまって申し訳ないのう。祝福祭の後も自分で神殿に行こうと何度か試してるのじゃが、この腰のやつが言うことを聞かんで――あ痛」
古びているけれど清潔に保たれた、どこか懐かしい匂いがする質素な部屋で、素朴な寝台に横になっていたのは痩せぎすのおじいさん。顔には充実した歳月を過ごしてきたことを物語る深い皺が刻まれ、でも少しやつれている様子です。
「あ、そのまま寝ていてください。大変お待たせしてしまってすみませんでしたね。こちらが巫女のイネスさんと新しく巫女見習いになったフィリア嬢、私は二級神官のケールと申します。早速イネスさんに精霊の祝福を呼んでもらいますけれど……その前に、腰の痛みを軽くしましょうか」
ちょっと失礼、と言いながらケールさんがベルツおじいさんの傍らに腰掛け、背筋を伸ばして座り直しました。
「腰の他に不調はありませんか? ……そうですか、痛むのは腰だけですね。ご存じのとおり腰痛を完全に癒すことは出来ませんけど、これで少しは楽になると思います」
ケールさんが深呼吸をひとつして、背筋を伸ばしたまま目を瞑りました。
同時に、肩の上に漂う青い精霊が嬉しそうに動きだし、ケールさんの手を明るく光らせていきます。
そうか、ケールさんて普段は神殿の治療室にいるって言ってたっけ。
治癒の出来る神官さんが巫女と一緒に回っているのはこういうことか。そうだよね、祝福祭に来れない人って病人か怪我人だもんね。実地の光景を見て、なんかすごく納得しちゃいました。
そして、巫女も大切だけれど、神官さんも大事なお仕事をしてる――そんなことも実感として心に残っていきます。こうして実際に現場を見るって、とても勉強になりますね。
と、私がそんな感慨にふけっている間に、ケールさんが純白に光る手で、宙に霊力陣を手早く描き上げていました。
あ、この霊力陣か。なんとなく見覚えがあります。
そして、うふふ、ケールさんも優しい人なんですね。霊力陣にとっても魅力を感じますよ。
そしてやはりというべきか、私についてきた精霊たちのうち白いのがふたつ、窓の外から飛び込んできたのがひとつ、合わせて三つの精霊がケールさんの契約精霊と一緒にベルツおじいさんに力を分け与えていきます。おじいさんの体がほわっと光って…………完了、かな?
「ふうう、終わりました。どうですか?」
……おじさん神官のケールさん、なんだかすごく疲れた様子です。
でも、きっとこれが普通なんですよね。私、クラヴィス様の術を見る機会が多いから、少し感覚がズレているかもしれません。
クラヴィス様は私のことを常識がないとか言いますけれど、あの人だっていろいろとオカシイと思うのですよ。息切れひとつせずに連続して術を使ったりしてますし。今度チャンスがあったら言ってみましょうそうしましょう。
「お、おお! 動ける、動けるのじゃ! 神官様、ありがとうございます!」
「え……ええと、痛みが薄れただけで直った訳ではないですからね、無理はしないでしばらくは安静を心がけてくださいね」
恐るおそる寝台の上に起き上がったベルツおじいさんに、疲れ切った様子のケールさんがどこか驚いたように言葉をかけ、そして私たちを振り返りました。
「では、続いて祝福に移りましょうか。イネスさん、お願いします」
はい、と品良く頷いたイネス姉さまが、流れるような所作でケールさんと場所を交代しました。
私もその斜め後ろに控え、全てを見逃すことがないよう、目を皿のようにして場を観察します。今回、私は何もしないで見ているようにイネス姉さまに言われているのです。
「――では、女神ラエティティア様に共に祈りを捧げましょう」
イネス姉さまの静かな声に、おじいさんとおばあさんが頭を垂れて祈り始めました。私の後ろでは、ケールさんと護衛のエンゾさんも一緒にお祈りを始めたのが聞こえてきます。
このお祈りをしなくとも祝福を贈れるのですが、お祈りをした方が効果が高まるとのこと。もちろん私も一緒にお祈りを捧げていきます。
みんなのお祈りが一体となった頃、イネス姉さまが肩の精霊の力を借りて手を光らせ、精霊の祝福を乞う霊力陣を宙に出現させました。私がクラヴィス様から教わったまやかしではなく、見た目は同じですがこれは本物の霊力陣です。
イネス姉さまの霊力陣は端正で、何というかとても整っているのが特徴。ヴァレリ姉さまの霊力陣が瑞々しくて、躍動感溢れているのと対照的ですね。
ちなみに、祝福祭では何人もが力を合わせて線の一つひとつを描き上げていっていましたが、あれは大規模な陣なので特別です。基本はああやって光らせた手でなぞるように描くものなのですが、個人レベルの術であれば熟練すればこうやってほぼ瞬時に全体を出現させられるのです。
まあ、当然そこには個人差があって、同じ霊力陣でも出現の速さから効力まで人それぞれ。クラヴィス様は違う霊力陣を同時にふたつ――まやかしを入れれば三つ――描けるそうですが、あの人、あんまり参考にしてはいけないと最近は思うのですよ。
「――アルビオン王都に住まう建具師ベルツに精霊の祝福を贈ります。女神ラエティティア様のご加護があらんことを」
私が余計なことを考えている間にイネス姉さまは祝福の手順をすべて終え、描き終えた陣に、くん、と霊力を注いで活性化させました。
瞬時に霊力陣が淡い金色の光に染まり、イネス姉さまの契約精霊が跳ねるように陣に飛び込んでいきます。
あ、私について来た精霊たちからも三つほど。
そして、さっきケールさんの治癒術を手伝った行きずりの精霊と合わせて全部で五体の精霊が霊力陣から淡い金色の光を受け取って、弾むようにおじいさんを取り囲みました。
そのままその身から、金色の粒子をおじいさんの頭上にばらまいて――。
祝福祭の時ほど大掛かりではないけれど、やっぱり幻想的でため息が出るほど美しい光景です。
私の祝福より格段に手間がかかっていて、これが本来の祝福。
淡い金色、小指の先ほどの大きさの祝福が、ふわりふわりとおじいさんに吸い込まれていきます。
そんな祝福を贈ったイネス姉さまは疲れてしまったのでしょうか、がっくりと肩が落ち、たおやかな手を膝について身体を支えているのに気が付きました。細い肩が小さく震えています。
思わず手を伸ばそうとしたけれど、イネス姉さまは凛と頭を上げて宣言しました。
「…………無事、祝福を贈ることが出来ました。ラエティティア様とその眷属、精霊たちに感謝を」
ああっイネス姉さま、無理しないで!
祝福行脚は一日三軒が限界と言っていたけれど、これ、本当は二軒でも大変なんじゃ?
巫女でない普通の精霊術師は一日に一回祝福を贈るのが精一杯といいますし、いくら少数精鋭のアルビオンの巫女とはいえ、一日に三回の祝福は無茶ではないのでしょうか。ぽんぽん祝福を贈れる私がいかにおかしいか、ここに来てよく分かった気がします。
……目の前では、無事に祝福を授かったベルツおじいさんとおばあさんが、互いに手を取り合って涙ぐんでいました。
ありがとうございますありがとうございます、と何度もお辞儀を繰り返し、感謝の念に染まった暖かさがひたひたとこちらに流れてきています。
なんという純粋な暖かさでしょう。
初めに戸口で「どうか宜しくお頼みします」と深々と頭を下げたおばあさんの姿や、祝福を贈ろうとする直前、口では何も言っていなかったけれどすがるように私たちを見詰めてきたおじいさんの眼差しが頭にまざまざと蘇ってきます。
ああ、だから巫女の姉さまたちは休みもなく頑張ってしまうのですね。
私も早くお手伝いをしたい。
姉さまたちの負担を減らしたいし、祝福を待っている人たちを早く安心させてあげたい。ちんちくりんで迷惑をかけてばかりですが、私、祝福に関してだけはすごく役に立てると思うのです。居ても立ってもいられないとはこのことで――
その後、ひたすらお礼を言い続けるおばあさんが勧めてくれる色々なお菓子やお茶を頂きつつ、疲れ切ってしまったイネス姉さまと神官のケールさんの回復を待って私たちは暇を告げました。
「どうだったかしら、フィリア?」
次の人の家に向かいつつ、まだちょっと疲れの残るイネス姉さまがやわらかく私に微笑みかけました。
私は何と答えていいか言葉が浮かばず、握りしめた手を上下させるしかできません。すると、おじさん神官のケールさんが思いもよらないことを切り出してきました。
「ねえ、フィリア嬢ちゃんが精霊に愛されてるってマーテル様の言葉、アレって本当だったんだね」
ふえ? それってお披露目の時の盛り言葉だと思うのですが、なんで今それが?
思わずイネス姉さまを見ても、微笑んでいるだけで否定の言葉が出てくる様子はありません。護衛の神殿騎士、エンゾさんに至っては小さく頷いてすらいます。え? どゆこと?
「僕が治癒の精霊術を使った時、あんなに光が出たことは初めてなんだよ。それで、ベルツさんがあんなすぐ起き上がれることに更にびっくりした。長年この治癒術を使ってきてるけど、治癒効果がいつもの倍以上あったんじゃないかな」
「私も神殿騎士として様々な治療現場に同席しているが」
これまで一歩引いてあまり喋らなかったエンゾさんもぐいっと輪の中に入ってきました。
「腰痛があれほど顕著に治るのは初めて見た。ケール殿との付き合いも長いゆえ、どれだけ異常な光景だったかは分かるつもりだ」
「――それと、イネスさんの祝福も、いつもの三倍ぐらい出てたんじゃない? フィリア嬢ちゃんが居るってだけでここまで精霊の反応が違うなんて、巫女術が使えるギフテッドということで驚いてたけど、こりゃそれ以上の秘蔵っ子って訳だよな。マーテル様があれだけ推すのも分かるなあ」
ケールさんの言葉に、イネス姉さまも微笑んだまま頷いています。
えええ? ちょっと待って、そんなの初耳ですよ!?
ま、まあ確かに、ケールさんの治癒の霊力陣に、私にくっついてきた精霊もお呼ばれされていましたけど?
それと、イネス姉さまの祝福の時も私にくっついてきた精霊が――。
え、つまりそういうこと?
私の周りに精霊が多いから、私の周りで使う精霊術の効果が高くなってる、そういうことなのでしょうか。
…………。
そういえば、私が儀式に参加すると効果が高まるとか、マーテル様がそんな事を言っていたような。
それってつまり、こういうことなのでしょうか。
やっと「精霊に愛されてる」という言葉の意味が分かった気がします。
あと、一時期クラヴィス様が、私の周りで片っ端からいろんな精霊術を試し打ちしていたことがありましたっけ。あの時はなんで私が付き合わされるのか分からなかったんですけれども。
えええ、そういう実験だったのっ!?
「うふふ、フィリアは幼子の頃から精霊に愛されているの。私たちアルビオン神殿巫女の、文字どおり本物の秘蔵っ子なのよ」
イネス姉さまが愛情をたっぷり込めた手で私の頭を撫でました。
その後ろではケールさんとエンゾさんが「どおりで神殿の奥深くで厳重に守り育てられてきた訳だ」などと大きく頷いています。
え? 私ってそういうポジションだったの?
それだけ聞くとなんか凄い存在みたいですけど、ええとその、真実は大きく異なるというか。
私が、神殿の、秘蔵っ子……。
…………。
うわあああーーー!
人生のハードル上がりすぎですって!
やーめーてーーーー!!