01 巫女見習い、秘密兵器を装着する
北の果て、アルビオン王国の礼拝堂で、人知れず小さな奇跡が起きてから十余年。
「フィリア、支度は出来ましたか? そろそろ行く時間ですよ」
歴史あるその礼拝堂に、巫女長マーテル様の澄んだ声が響き渡りました。
フィリアというのは十二年馴染んだ私の今の名前。
今の、というのは、私が人として生きるのはこれが二度目だからです。
「はあい、今行きまーす!」
うおっと、お待たせしちゃっているんでしょうか。もうちょっとで終わりますよ!
私は慌てて最後の身支度を済ませ、自分の小さな部屋の姿見で最終確認をしました。
「おおう。むふふ…………」
そこに映っているのは、憧れの巫女服に身を包んだ私。
私のために誂えられた純白の清らかな神衣は、目にする度に嬉しさが込み上げてきて、何度見返しても飽きません。
そう、これまで神殿から外に出ることなく巫女を目指して必死に修練を重ねてきた私ですが、ついに見習いとして今日の祝福祭という公の儀式に参加できるお許しが出たのです。
初めての外出。そして、憧れの巫女姿。
姿見の中からニマニマと見返してくるのは、淡い金色の髪、真っ白で透明感のある肌、澄んだ空色の瞳の少女――ようやく見慣れてきた自分。
見慣れてきた、というのは、人の身体を持つのが久しぶりだからでして。
いわゆる異世界転生というやつに近いでしょうか、私はつい最近――人の尺度でいうところの十二年ほど前――まで、肉体を持たずにこの世界をふわふわと漂っていたのです。
人としてこの身を得てからだんだんとその記憶が薄れているけれど、それはそれは気の遠くなるくらいに長い間、ただゆらゆらとこの世界を漂っていました。
似たような存在である精霊たちが近付いてきても季節が変わっても特に興味を引かれず、ぼんやりと、無感動に、ただ流れるままに。
今思うと、あのかわいらしい精霊たちがひっきりなしに寄ってきてはじゃれついたりしていたのは、もしかしたら私の気を惹こうとしてしていたのかもしれませんね。
それはさておき。
そんな長い長い旅路の前は、人として生きていた気がします。
たぶん今と同じ女の子。
内容はもうほとんど思い出せないけれど、こことは違う世界で生きた、黒髪黒目のごくごく普通の女の子だったような。
だからまあ、これは異世界転生ってのになると思うのです。
間にちょっと余計な期間を挟んではいますが、あの無感動で枯れた時代にはなかった瑞々しい感情も元気一杯戻ってきてますし。
あ、何故かは分かりませんが、チート能力っぽいのも一応ありますよ?
この世界では儀式で『祝福』というものをよく精霊にお願いするのですが、なんと、私は精霊関係なしの自力でそれを贈ることが出来てしまうのです!
まあ、かなり難点があるので、素直に喜べるものでもないんですけど。
その難点についてはまた改めて考えるとして、最近ようやくこの容姿にも慣れてきまして、姿見に映る自分に少しだけ違和感があるものの――
おっと、このニマニマした表情はいけないですわ。
私も今日から巫女見習い、もう立派な淑女ですもの。オホホのムフフ。
それにしても――ふむふむ。
うん、平坦すぎる顔立ちと子供のような身体つきに目を瞑れば、ちょっと美人の巫女さんに見えたりする角度もあるのではないでしょうか。
オススメは右斜め百五十度ぐらいの、自慢の淡い金髪に顔がほぼ隠れるぐらいの角度ですね。
すべすべぷっくらの真っ白なほっぺをチラリと見せつつ、目鼻立ちが隠れるその後ろ気味の角度なら結構イケると思うのですよ。
見返り美人、いえ、私の場合はそれ以上見返っちゃいけないですけど、そんな言葉があるくらいなのできっと美人に見えることでしょう。
身体つきはまあ、十二歳という年齢を考えればまだまだこれからのはず。
この世界の女の人はみんなワガママ悩殺ボディなので、私も将来確実にそうなる予定なのですよ。けして周りの同世代の女の子と比べて落ち込んだりとか、年齢が三割引きで見られたりだとか……ゲフンゲフン。
この世界の女子が発育良すぎるだけなのです。
あ、そうそう。身支度といえば大切なことを忘れてました。
私は自分の素朴な机の引き出しを開け、小さな布きれをふたつ取り出します。
これは昨夜遅くまで悩んだ末に作り出した、今日の為のとっておきの秘密兵器です。
この神殿に捨て子として拾われ、巫女になるべく育てられて十二年。今日は初めて神殿から外に出て、春の祝福祭でお披露目されるという晴れ舞台なのです。ここで粗相があっては私の乙女としての未来に関わります。
そこでこの小さなふたつの布きれが活躍するのですよ。むふふ。
先ほど私の『祝福』には難点があると説明しましたが、これがあれば万事解決なのです!
顔を姿見にぐいと寄せ、慎ましやかなラインを描く低い鼻をむんずと押さえ、ひと思いに鼻の穴を広げてそこにこの秘密兵器(布きれ)を――
「フィリア! あなた何やってるの!」
バタンと扉を開けたエマ姉さまが大声を上げました。
エマ姉さまはマーテル巫女長の側仕えで、幼い頃から私の面倒を見てくれた人です。きっとマーテル様に言われて私の様子を見に来たのでしょう。
ですが、今はいけない。
エマ姉さま、今が一番繊細なタイミング!
「ひまちょっとほりこみちゅうなのれして……ふが」
「んまあ! 貴女はもう淑女なのですよ! 何てことを! まあ!」
エマ姉さまの鬼の形相に、私は急いで布きれを鼻に押し込みました。ちょっぴり涙が込み上げますが、無事に収まったようです。
エマ姉さまは呆れてこめかみをぐりぐりしてますが、今日の私にはこれが必要なのです。
「何をやってるのよ……。はあ、もういいです、マーテル様がお待ちです! 支度は出来てるのね、行きますわよ!」
「ふあい」
ちょっと鼻声ですが、これで今日の安全はバッチリ、どんとこいです。
あ、エマ姉さま乱暴に手を引かないでください、痛いです。
「まあ可愛い! フィリアったら妖精さんみたいね!」
階段を降りた先の礼拝堂で待っていた銀色に輝く髪に蒼い瞳のたおやかな女性は、私の恩人、巫女長のマーテル様です。
とっても偉い人で、この国の神殿の巫女長でもあり、今の王様の母親、つまり王太后様でもあります。とっても若く見えるその実は私と同い年のお孫さんがいたりするんですけど、巫女として飛び抜けた才能を持ち、大陸中に名前が知れ渡っているとか。
「お待ふぁせしました、マーテル様」
交差させた両手で胸を軽く押さえ、膝をちょこんと曲げて貴族風の優雅なお辞儀をする私。
ふふふ、私の鼻に詰めた秘密兵器はバレていないようです。初めての巫女服に可愛いとすら言ってもらえました。ひゃっほう。
マーテル・ケルサス・アルビオン様。
この人が今生の私の大恩人です。
初めてのお孫さん、つまり第一王子が生まれた日の翌朝、戸締りがしてあったはずの礼拝堂で一人泣いていた怪しい赤ん坊――この身体を得たばかりの私ですね――を保護し、神殿で巫女見習いとして育てるよう計らってくれた慈愛の人。
その恩人が今日の私の晴れ姿にうっとりと目を細めてくれているのです。
私は嬉しさと誇らしさに胸が――
「うふふ、その鼻の…………は、貴女なりの防止策なのね。頑張るのですよ」
げ。
ばれてーら。
「エマ、直して差し上げて? 少しだけはみ出しているわ」
「はい、奥様」
「あふぁふぁふぁ痛い痛いれす! わあああああー」
……ひどいエマ姉さま。涙が止まりません。
でも取られなかっただけセーフです。奥にぎゅうぎゅうと押し込まれたので、今日の本番が終わった後に取り出せるか分かりませんが。
「ふふ、フィリアなら大丈夫。これまで訓練したことを忘れないようになさいね」
マーテル様はそんなことを言いながら、お孫さんを見る時と同じような微笑みを浮かべています。
なんともいえない優しい微笑み。
ああ、暖かい。
マーテル様から春の日差しのような暖かさが流れてきて、私を満たしてくれています。
この暖かさは人には分からない感覚かもしれません。
人が本当に優しい気持ちを持った時、相手にそっと流れる暖かさ。
ただ無感情に漂うだけだったあの乾ききった長い時を過ごした私を、まるで潤してくれるかのようなじんわりとした暖かさです。
ひょっとしたら、あのふわふわと漂っていた長い時間の中で、私という存在は人とは違った何かに少しだけ変わってしまったのかもしれません。
どちらかというと精霊とか、そちら側の存在の方へ。
まあそもそもあんな曖昧な存在から、母親もいないままどうやって赤ん坊の身体を創り出して人になれたのか、自分でも本当に不思議ですけれど。
その辺りのことはもうさっぱり覚えていませんが、よくぞこの暖かい人がいるここで人化しました。よくやった、当時の私!
「……フィリア、今日はしっかりと祝福を我慢するのよ?」
エマ姉さまがちょっぴり心配そうな顔で私を覗き込んできました。
そう、人の身ながら『祝福』を贈れるというのも、確かに私が人と変わっている点でしょう。ただ――
「はい、任せてくだふぁ!」
ちょっと鼻声で締まらなかったけど、握りこぶしを作って決意の程を見せつけてあげました。
私の祝福はよく暴走してしまうというか、意図せずに周囲にまき散らしてしまうというか、制御が難しい部分があるのです。
マーテル様に「人の身で祝福が贈れるなんてことが広まるととっても危険なことになるわ。だから絶対に人前では祝福を出さないように」と言われ、幼い頃から神殿に閉じ込められてずっと祝福を抑える訓練をしてきた私。
最近では祝福が勝手に溢れ出す時の傾向も分かり、それも含めてかなり制御できるようになったのです。
だからこその今日のお披露目。巫女としての修練もほぼ形になり、今日は私が初めて神殿から外の世界に出れる記念すべき日なのです!
それにしても、エマ姉さまからもじんわりと暖かさが流れてきています。自分で言うのもアレですが、苦労をかけましたからね。今日という日を喜んでくれているのでしょう。
……ああ、暖かいなあ。エマ姉さまも本当に優しい人。
ちょっと私の扱いは雑だけど、もう、ツンデレさんってやつですね。
まあ、祝福の制御はほぼ出来るようになっているので、よほどのことがない限り、心配しているような事態にはならないはずです。
それはたぶん大丈夫。
ですが、そこにはなんというか乙女にとって致命的な不具合が少々残っていまして、私としては主にそっちの方で気合を入れているというか。
その対策がこの鼻に詰めた秘密兵器でして――
「フィリア! 迎えに来たぞ!」
礼拝堂の扉が大きく開かれ、私より頭ふたつ分は背の高い少年が駆け込んできました。
げ。
マーテル様の孫、私と同じ日に生まれたオルニット王太子殿下です。
後ろから側仕えの少年たちと護衛の騎士がバタバタと走り込んできていますが、何を隠そうやたらと美形率が高いこの人たちこそ、乙女の私の天敵なのです。
「フィリアも今日でようやく神殿から出れるのだな。今日の祝福祭が終わったらいろいろ連れて行ってやるからな!」
オルニット殿下が溌剌とした笑みで私の手を取りました。
小国とはいえこのアルビオン王国の王位継承順位第一位、「祝福の王子」なんて呼ばれて国民に大人気のこの御方。
十二歳とは思えぬすらりとした長身、少し乱れた蜂蜜色の髪に、やんちゃさを残しつつも整いまくった顔。私を見詰める碧の瞳がキラキラと輝いて――いや、もう全部がキラキラしい美形オーラに包まれて、それが至近距離で私に向けられています。
いやああ、やめてえええ。
私の祝福の問題点、そのひとつ目。
イケメンさんや可愛い子供を見ると、なぜだか分かりませんが祝福が大暴走を始めるのです。
「……どうした、嬉しくないのか? やっと外に出れるのだぞ?」
俯いて祝福をこらえている私の顔を、腰をかがめたオルニット殿下が下から覗き込んできます。
側仕えの人や騎士さんたちといった他の天敵たちもぐるりと私を取り囲んできます。
特に今年から側仕えに入ったアイテール公爵家次男のテトラ様六歳、子供枠である上にイケメン枠も兼ね備えているあなたが、そのあどけない中性的な顔で天使のように見上げてくると――
ぐぬぬぬぬ、迸ろうとする祝福を頑張って抑えているのに!
そうやってみんなで私を囲んだりすると!!
あ。
鼻の奥からタラリといつもの感覚が。
――私の祝福の問題点、そのふたつ目。
頑張って抑えこむと、いきんだ分、鼻血がたらりと垂れるのです。
いえ、問題点を単体としてみるなら別にそこまで大騒ぎする問題ではないのですよ?
ただ、ふたつが合わさった結果として、こうやってイケメンさんや可愛い子供に囲まれる度に毎回鼻血を出すのって、乙女としてどうなのでしょうか。
特に御年六歳になるテトラ様は格段に破壊力がありまして、傍から見たら私、天使のような少年を見ては鼻血を垂らしている変態さんなのではないでしょうか。
……終わった。
これまでどうにか天敵軍団の顔を直視しないようにしてやり過ごしてきたのに。
私の花も恥じらう乙女生活はお先真っ暗、美人でナイスバディな噂の巫女さんへの道も――いや、今日の私は違うのでしたっ!
なぜなら、この鼻に詰めた秘密兵器が!
さり気なく手で確認してみても……うん、外には垂れてない!
ふはははははっ!
見たかね諸君、我が軍に死角はないのだよ!
今日一日はこれで大丈夫!
昨夜遅くまで工夫した甲斐がありましたよお!!
「……フィリアおねえさま?」
俯いたままガッツポーズをする私を、テトラ様が心配そうに見上げてきました。
少し目を潤ませ、こてん、と首を傾げて、そんな風に呼んでくれるなんて、なんて可愛いんでしょ――きゃああああ! また祝福の波があああ!!
あ。
……あの、マーテル様。祝福祭に出発する前に、布を取り換えてきても良いでしょうか?