Ⅱ.就職祝い
数日後、テレビでは次の総裁選についての話題がどの局でも放送されていた。
総裁選とは、とりわけ党の代表を決めることであるが、政権与党の代表に指名されると一国の総理大臣になるということだ。
アメリカは大統領制だから、もし選挙で与党が負けたとしても、大統領は変わらない。大統領はそのままで、議会の与野党が変わるだけである。
もちろん、それは大統領にとっては不利な条件であることには違いない。
しかし、大統領制のいいところは国民が直接選挙をして誰を大統領にするか指名できるところだ。
ところが日本は、総理大臣を国民が直接決めることはできない。総理大臣を決めることを国民の代表である国会議員に一任されているのである。
政権を握っている与党から選ばれ、議会で可決され、そして天皇より任命される。
総裁選は党内の確執が拮抗する場である。党の中にも派閥というのがあり、立候補者の誰を支援するか・誰に投票するか派閥で決める。無派閥の議員もおり、その議員の票を集めることも重要な勝利の手段にもなる。
秋山派閥からはもちろん山邑誠人内閣官房長官が出馬が濃厚で、もし当選すると戦後最年少の総理になる。48歳で総裁になるとすると、安倍晋三の記録を塗り替える事になる。
日本国憲法が出来る前、つまり戦前の大日本帝国憲法の時代から考えると、最年少は44歳。初代総理大臣の伊藤博文である。
他の派閥からも数人の立候補者が出る予想がテレビで賑わっていた。
誠人さんは、秋山総理の代行として激務に追われているようだった。
「山邑官房長官。総裁選には出馬されますか?」
「まだわかりませんが、要請はあります。秋山先生のためにも今は仕事をこなすのみです。」
「奥様の夕蘭さんとは順調ですか?」
「はい。おかげさまで。最近は会えていませんが、娘が心配してくれているので私も頑張ろうと思います。」
正直、誠人さんのことをパパと呼ぶ勇気はないのだが、こうしてテレビを通して娘と呼ばれると素直に嬉しかったりする。
パパとはあれ以降会っていない。
ハリウッドで活躍中の俳優にはあまりお咎めが無かったようだ。
「凜ちゃん。暇かしら?」
「はい。今日はバイトもないので」
「じゃあ、一緒にお買い物に行かない?」
「え、わたしですか?宗太郎は…?」
「たまには女二人で遊びに行きたいじゃない?」
「じゃあ、今から支度しますね。」
「わあー楽しみ!娘とショッピングなんて夢みたい!宗太郎はお留守番よろしくね」
「はいはい。母さん、買いすぎないでくださいね。」
初めて、宗太郎のお母さん・真由美さんと2人で出掛ける。いつも宗太郎かママが一緒だったからだ。
宗太郎は一人息子で、政治家の息子ということもあり、政治家になるための教育を受けてきた。
真由美さんは政治家の奥さんにしては珍しく、恋愛結婚…そして、とても苦労した家庭で育ったようだ。
母を中学生の時に亡くし、父と二人暮らし。掃除洗濯はもちろん、料理についてはとっても上手である。
宗太郎を育てるのは容易なことではなかっただろう。ましてや、私立の幼稚園から大学までのエスカレーター式のお金持ちが通う学校に入れて周りに合わせることはとっても勇気がいる。
うちのママは苦労もしたことがない箱入り娘であった。私の曾祖父の代からデパートや百貨店を経営する会社の社長令嬢で、許嫁もいたそうだが、ママは言うことを聞かずに15歳の時から誠人さんと10年近く付き合っていたので、さすがの祖父も誠人さんならと許していた矢先に、祖父も知らないところでパパが勝手にママを嫁にしたらしい。
相当、祖父も怒り結婚を破談にするよう働いたが、芸能界の裏の圧力に屈してママを嫁に出すことになってしまった。
「凜ちゃん、これどうかしら?」
「え…ネクタイですか…?」
「一つはお父さんに頼まれて、誠人くんに選ばなきゃいけないんだけど、もう一つは宗太郎の就職祝いにと思ってね」
「誠人さんと宗太郎に…」
「凜ちゃんが宗太郎の就職祝いを選んでくれたら、とっても喜ぶと思うわ。」
「なんだか、責任重大ですね。いつもプレゼントなんて欲しいもの聞いてたから。」
「あなたたちは、本当に仲がいいわね。喧嘩はしないの?」
「喧嘩…うーん、いつも宗太郎が喧嘩しないように持っていくんですよね。」
「宗太郎は、凜ちゃんを失いたくないのね。ふふ。」
真由美さんはプレゼントを選んだ後、「娘がいたら、行きたかったの!」と言いながら最近のテレビでやっている若者がよく行列を作るお店に連れて行ってくれた。両手には私のために選んでくれた洋服がいっぱいで、駅まで宗太郎に迎えに来てもらった。
宗太郎が
「母さん、遅すぎだよ。凜を連れ回しておいて。」
と愚痴をこぼしていたが、家に着いて私が選んだ就職祝いのネクタイを真由美さんが手渡すと、とっても嬉しそうな顔をして
「凜が選んでくれたの?大切に使うよ」
と機嫌良く受け取ってくれた。